今さらながら、住む家について考えてる
2020.01.22
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「ヨシ、萩市に完全移住するぞ」と考えている最中なので、ずっと「家」のことを考えています。「家庭」のことではなくて「土地建物」のことですね。どうしても「資産性」にまつわることが頭を離れなかったのですが、いったん切り離すことにしました。
ずっと「家」のことを考えています
僕はいま、東京と山口県萩市を行ったり来たりする「二拠点生活」をしています。
東京にいるときは、自分で所有している分譲マンションで暮らしていますし、萩にいるときは高校まで育った親の家、いわゆる実家の1室に居候しているのです。
(参考:築40年を超える軽量鉄骨住宅、寒いっ!)
そして予定している次のフェーズは、東京のマンションを賃貸運用し、僕自身は萩市に完全移住することなのです。
そうなると、実家に居候し続けるわけにもいきません。実家ではずっと弟が両親の面倒を見てきたし、甥や姪にとっても「実家」ですからね。
だから僕は、自分が生活するための家を萩市内で探している最中なのです。
去年の暮れにはじめて「萩暮らし応援センター」という、移住をサポートする部署を訪れて、とりあえず1物件内覧させてもらったばかりで、家探しはまだはじまったばかりなんですけどね。
(参考:萩市の古民家を内覧してきた)
いわゆる「いい家」を求めているわけではなくて、「古民家再生をDIYでやりたい」などと考えているので、傷んだ家を安価で購入して、まずはそこを拠点にしたいのです。
自分自身が、そういう状況にあることもあってか、ここのところずっと「家」のことを考えています。
少し前に投稿した、
に目を通されると、その様子が窺えると思います。
そうやって「家」のことを考えていると、どうしても「資産性」のことが頭をよぎるのですよ。
「不動産」っていうくらいですから、無視できない考え方ですよね。
思い起こせば、僕が東京のマンションを買ったときも「駅徒歩何分か?」「デベロッパーは有力か?」「大手町・丸の内エリアの会社まで何分圏か?」みたいなことばかり考えていました。
当然、萩の家を物色するときも「いくらでリノベーションして、いくらで賃貸に出せば利回り○%くらい見込めるな」みたいな考え方をしていました。
でも、その考え方が少し変わり始めているのですよ。
投資効率とか考えるの、やめようと思う
僕が萩に移住する行為って、原点回帰みたいなものなんですよね。
30代半ばから、ずっとフリーランスのデザイナーとして仕事をしてきました。
年齢も50代半ばになって「焼きが回ったな」と感じるようになり「いったんゼロに戻すか…」と思っているところなのですよ。
人間、いろんなものが混ぜ合わさって出来上がってるものですから「オレの基礎はここにあります」とピンポイントで示せるわけではありませんが、なんとなく「戻れるところまで戻ってやり直してみるか」という気になっているのです。
焼きが回っちゃったまま、頑張ってみたり、新しい学習を始めてみても、たいして目の前の景色は変わりゃしないのですよ。
ほら、植木職人が、葉っぱの茶色く枯れたところや、要らない枝を落としてスッキリさせるでしょ? あんな感じを狙っているのです。
それでいま何となく「損得考えると良くないな〜」という考えに傾いているのです。
そもそも「仕事から離れたい。無職になろう」と思いついた時点で収入を失うのだから、損っちゃあ損ですよね。それでも「仕事から離れたい」んです。
萩に移住したいのも、こうして「ゼロに戻すフェーズだ」「原点回帰だ」「戻れるところまで戻る」などと、飾る言葉を並べていますが、単純に「萩に移住したい」のですよ。
二拠点生活を1年以上続けてみて「ここにいる感じ、ちょっといいな」と感じているだけなのです。
四の五の言わずに、まずは萩に居住してみることが「やりたいこと」なのですよ。
そこから先の生活をどうやって豊かにしていくかという攻略方法を考えるのは、そのあとなのです。
そもそも人は「やりたいことをやる」ことが大好きなのですよ。当然、僕もそうだったはずなのです。
この感覚、ずっと職業人として生きてきて、いつの間にか忘れていたのでしょうね。
「収益構造がどうだ」とか「ブランディングがどうした」みたいな話に囚われすぎてたのも、焼きが回った原因のひとつだったのかな? などと思っています。
職業人なのだから、それが当たり前なんですけどね。
でも、前述のように今はいったんゼロに戻そうと考えているフェーズなので、投資効率とか忘れて「ただ、自分を置く場所」として家を考えてみようと思っているのです。
今の僕が、住む家について求めるもの
僕が実家を出たのは、大学進学に伴い上京したときです。
本当は千葉県だったのですが、いちいちメンドくさいので「上京」ってことにしています。
最初に住んだのは大学の寮でした。
今もそうなのかどうか不明ですが、当時は1年間寮生活をすることが義務付けられていたのですよ。
1学年、体育学部140名・医学部90名のこじんまりとした大学(当時)だったから可能だったのかもですね。
1室5名の集団生活でしたから、プライベートなんてほぼありません。
2年になったら、バレーボール部の合宿所に引っ越しました。ここでも集団生活ですね。
ようやく自分でアパートを借りたのが社会人になってから。
7畳ひと間の和室でした。
その後、52平米2LDKの賃貸マンションを経て、現在の65平米2LDKの分譲マンションに…。
こうして振り返ってみると、少しずつ快適さや利便性を増してきているのですよ。
あたかも、身体の衰えを補うように快適な家を求め続けてきたようにも感じます。
快適で便利な家って、とてもありがたいのですよ。
その点では、今の東京のマンションは「ここ買って正解だったな」と、今でも思っています。
ただ、これまで1度も自分が住む家に自分で手を入れたことがないのです。
身体が健康であれば、毎日を気分良く暮らせるし、頭も良く回ってくれます。
でも、それは運動をしたり、食事に気をつけたり、病院で検査してもらったりしながら、日頃メンテナンスし続けているからなのですよね。
家も同様で、ずっとメンテナンスし続けないと快適性は保持できないのです。
でも、マンション暮らしをしていると、自分でメンテナンスすることなんて限定的ですよね。
それについては、管理費を支払うことで、利便性を買っているので「そういうもん」ってことなんですけどね。
前述のように僕はいま「DIYやりたい」熱が高まってるのですよ。
時間があればずっとDIY系のYouTube動画を観て過ごしています。
たぶん、電動工具やら材料やらいっぱい購入しなきゃいけないだろうし、失敗して何度もやり直すことも想定しています。
損得で言うと「損」であっても、快不快で考えると「不快」であっても、自分でリノベーションしながら、家の構造を理解したいという知識欲を満たしたいし「自分を置く場所」を自分の思い通りにカスタマイズしながら暮らしてみたいのです。
そうすると「不快」は「快」に転じるはずなのですよ。住心地も美観も。
たぶん「プラモデル作りたい」「パソコン自作したい」「家庭菜園したい」みたいなのと同じアレだろうと思います。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。