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拘る(こだわる)、について考える

2020.02.02

こんにちは、萩ドットライフ()です。

長きにわたって「拘る(こだわる)」という言葉をポジティブな意味合いで使い続けていました。何かにこだわることが、自己表現化しちゃってたんですね。それが、加齢とともに「いいですよ、そちらに合わせます」ってことが増えてきているのです。

拘束の「拘」と書くのです

わかってはいたことなのですが、改めて字面を見て「こりゃ、あまりいい意味で使う言葉じゃないな」って思っています。

モノを作る仕事をしていると、頻繁に耳にしたり、自分で使ったりするのがこの「拘る(こだわる)」という言葉なのですよ。

文脈にもよりますが、わりとポジティブな使い方をしてきたことが多かったようにも思います。

「職人ってのは、道具にこだわるものなんですよ」
「うちの板前、素材にとことんこだわりますから」

なんだか、ものすごく真面目に仕事に取り組んでる感じをアピールできますよね。

僕も「もうちょっとこだわってみたいんで、少し待っていただけます?」みたいな言葉を、一度ならずクライアントに伝えた記憶があります。
「もうちょっと時間頂いて考えたら、いい感じに着地できそうっす」くらいの意味だったと思います。

念のため、ググってみますと、

こだわ・る こだはる
( 動ラ五[四] )
① 心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。 「金に-・る人」 「済んだことにいつまでも-・るな」
② 普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。 「ビールの銘柄に-・る」
③ 物事がとどこおる。障る。 「脇差の鍔(つば)が横つ腹へ-・つていてえのだ/滑稽本・膝栗毛 6」
④ 他人からの働きかけをこばむ。なんくせをつける。 「達ておいとまを願ひ給へ共、郡司師高-・つて埒明けず/浄瑠璃・娥哥がるた」
出展:「こだわる」の意味や使い方 Weblio辞書(2020年2月2日現在)

ってことらしいです。

「気にしなくてもいいようなことを気にする」だって…。

なるほど。素材にこだわったり、道具にこだわったりすることが「気にしなくてもいいようなこと」だというわけではなくて、言葉の使い方が間違っていたのですね。

プロなんだから「気にすること」が、当たり前ですもんね。

「大切にして」「しっかり向き合う」の代わりに「拘る(こだわる)」を使うことが誤りなのです。

言い訳に使ってたかもな、感

40代後半に差し掛かってきたころから、仕事上のいろんなことに対して「なんか、どうでもいいいな」と思うようになり始めた気がします。

良く言えば「懐(ふところ)が深くなった」ということなのでしょうし、悪く言えば「流れに抗う気力が減退した」ということなのでしょう。

今こうして無職になって長期休養している原因のひとつが「なんだか焼きが回ってきちゃったな」と感じたことにあるので、後者を強く認識しているように感じています。
決して「こだわりを捨てて、ひとつ上のステージへ」ってことでもなさそうですね。

どこかしらで「本質じゃないところなんて、流れに従っとけばいいよ」みたいな考え方が支配的になってくるのですよ。

どうしても譲れないこと、守りたいこと、ロジックとしておかしいことについては、それなりに抗いはするのですが、些末な箇所についてはまったくこだわらなくなっていったのです。

たとえば「好み」の範疇に含まれるようなものでしょうかね。

僕の好みと、クライアントの好みが衝突したら、簡単に「あ、そうすか。ならば、そちらに合わせます」みたいな処理をすることが増えていったのです。

若いときにはそういう同業者を軽蔑していたこともあったんですけどね…。

「この人には、自分というものがないのか?」
「その好みに裏付けの言葉を探してやるのが、あなたの仕事ではないのか?」

みたいな感じに、です。

でも、オッサンになって思うことはですね。
若いころには引き出しが少なかったから、提示できるもののバリエーションが限られていたのですよ。
「自分ができること」を否定する・されると、次の一手に詰まってしまうのです。
だから、未熟さの言い訳として「こだわり」を前面に出していたんじゃないのかな? と。

「いいすよ、そちらに合わせます」が、良きことなのか、ダメになっちゃったということなのかは、よくわかりません。

だから、僕はいったんデザイナーを辞めて、休んでいるのです。

ポジティブな感じで「拘る(こだわる)」を使うのをやめようと思います

自分の足場をしっかり固めて、いま立ってるポジションを認識するみたいな考え方って、決して間違っているわけではないと思います。

でも、その場に留まって動こうとしない感じに対しては、ちょっとイヤな感じがしますよね。
たとえば「僕はこういう人です」的な決めつけを持っている人と会ったり、自分の中にそういう部分を発見するような場合ですね。
なんだか、行動範囲を狭めてるような気がするのです。

これが本来的な「拘る(こだわる)」の意味なんでしょうね。

前項で述べたように「なんか、どうでもいいいな」くらいの感じが今、しっくりきています。
大袈裟な言い方をすると、そのほうが「本当に譲れないこと」「大事なこと」「守りたいもの」「集中すべきとき」がクリアになってくるのですよ。

こういう感じも、加齢による影響なのかもしれませんけどね。

ほら、よく「戦いを略すと書いて、戦略です」って言葉を見聞きするじゃないですか。
どうでもいいことにこだわって細かい戦いを続けていると、オッサンはバテるのですよ。

だから「焼きが回って来ちゃたな」と感じたりするのですけどね…。

「あ、これは自分の人生に影響あるな」とか「自分の美的感覚にフィットする? しない?」という物事についてだけ、自分自身と向きあったり、ときには他人と衝突すれば充分だし、そのための瞬発力とパワーは常に充填しておきたいのです。

まずは、今後の人生で「拘る(こだわる)」という言葉をポジティブな文脈で使うのをやめようと思います。

職人は道具を…、板前は素材を…。大切にしているのだし、しっかり考えているのです。
「こだわっている」のではないのです。
なぜならば、それが彼らの人生を左右することだからなのですね。

でも、レストランのメニューに「シェフのこだわり」って書いてあっても、いちいちケチをつけたりはしませんよ。
「なんか、どうでもいいいな」で処理しますから。

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