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時間をかけるべきものにはちゃんと時間をかけたいが、お金もかかる

2020.07.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

楽しいことをしながらを過ごそうと思えば、時間もお金もかかります。豊かな人生をのためにお金の果たす役割は、とても大きいのです。とくに創作活動において、資金不足は成果物に不潔感をもたらしますので、それには抗い続けたいと考えるのです。

贅沢はできずとも働かなくても死なない程度のお金は、要る

「そんなにケチケチしてどうすんの。お金は棺桶にまで持っていけないんだよ」

という言い回しがあります。僕は、その考え方に反対です。

「明日食べるものがない、どうしよう」とか「もうアタマもカラダも動かない。あと3年も生きたら資金が枯渇してしまう」などと、お金の心配をせずに人生を終える人はとても幸せだと思っているのです。

願わくば自分もそうありたいと思っているし、今こうしてセミリタイアしているのも「なんとなく、もうできる状態になってるんじゃない?」と感じているからなのです。

ちょっとやってみて「ヤベっ、ダメだった」と思っても修正できるように、50代半ばでトライアルを始めたのです。
ヨボヨボになってから「これじゃ、最後までお金持たないじゃん」と気付いても遅いですからね。

さほど大きなお金が必要なわけではありません。

住むところさえ確保しておけば、おそらく20万円も消費に使う月なんてそうそうないのです。
それでも「お金がないから、やりたいことができなかった。買いたいものが買えなかった」ということを少しでも減らしたいので、もうちょっと余裕があればいいかな? くらいのもんです。

贅沢はできないけれども、ダラケきった田舎のオッサンとしてニコニコ過ごすぶんには、月額25万円もあれば十分な気がしています。

やってみないとわかんないけど。

山口県萩市に移住したあとに、自動車免許を取得します。
かつては免許持ってたんですけど、フリーランスになってちょっと食えるようになったころに、高い車のカタログを取り寄せ始めた自分にビビって更新に行かなかったんですよね…。

「セミリタイアする」と「ダラケきった田舎のオッサンになる」は、ほぼ同時に浮かんだ「これからの生き方」なのですが、これらを思いついたあたりで、物欲とか「消費によってステータスを補強したい」という気持ちがスルっと抜け落ちたのですよ。

このころからずっと、服はユニクロだし、靴はアシックス、時計はG-SHOCK、移動は公共交通機関か速歩きです。
(参考:人生の転換期に起こること

なので免許を取っても、買う車は「軽トラ」「箱バン」「ジムニー」のいずれかだろうと思います。
当然、同級生が経営している店で中古を探してもらうつもりです。

その代わり、以前「古民家再生をDIYでやりたい」という記事を投稿したように、セルフリノベーションをしながら生活するのを楽しみにしているので、そのための材料とか工具類を含む、もろもろのガジェット類は買い惜しみしたくないのです。

そのために必要なお金が月額25万円くらいだし、そのくらいなら働かなくても金融資産や不動産のやりくりでなんとかなると踏んでいるのです。

お金がないと、クリエイティブが不潔になるのです

僕はフリーランスになりたての頃に困窮を極めました。
その頃のことは「フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう」に書いていますので、ご参考に。

お金に困ると、四六時中お金のことでアタマがいっぱいになるのですよ。
そしてココロに余裕がなくなるのです。

僕の仕事はデザイナーでした。
いわゆる「クリエイティブ系」の職業です。

お金にもココロにも余裕がない状態って、致命的だと思います。

僕もこれ、困窮時代を脱してから気付いたのですが、とにかく貧乏臭くて不潔な感じがすると、ダメなのです。
ちょっと補足しておくと「不潔感」って、実際に「髪の毛を洗ってない」とか「服が汚れてる」ってことではなく(それが含まれる場合もあるけど)て、全体からにじみ出てる雰囲気だったりします。

あまり他人様の仕事にとやかく言うつもりはないのですが、そういうのって仕事にも出ますよね…。
なんとなく、不潔感のある表現、不潔感のあるデザインってありますもんね。

これって、ちゃんと時間をかけるべきところに時間をかけてないからじゃないかと思うのです。

人によって作業の進め方は違うのでしょうが、ディレクターなり、代理店の担当者なり、クライアントなりに見せる前に、どこかしらで自己検証する場面ってあるはずなのですね。

ココロに余裕がないと、そういう部分が雑になってしまうのですよ。サボってしまうのです。

お金がない自分がやっとこさ受注できた仕事なので「サボる」なんて考えられないはずなのですが、どこかしらで詰めが甘くなっちゃうものなんですよね。

そのときは気付いてませんでしたけどね。

その後、仕事を切れ目なく頂戴できるような状態になってようやく「こういう手間ひまが、ちゃんと伝わってるからなのかな」と感じるようになりました。

楽しく生きようと思えば、時間もお金もかかります

無職になったことによって、僕の中にちょっとした変化が起こっていて「サボらない」とか「必要な手間ひまを惜しまない」みたいなことを普段の生活のなかでも意識するようになってるのですよ。

これまで「業務用」だったものが「消費者用」になった感じです。

冒頭でいきなりお金の話をしましたが、労働による収入を失う老後こそ、お金のことって大切だと思うのです。
お金がかかるから「行きたいところに行かない」「やりたいことをやらない」という思考は豊かな人生を阻害してしまいますからね。

楽しく生きようと思えば、時間もお金もかかります。
それは当然のことなのです。

とくに時間がかかることを惜しんではダメだし、そのためには「お金がもったいない」と思うクセをつけないことですよね。

お金がないと、どうしても「無駄なこと」を嫌うのですよ。

何か行動してみて検証した結果「こりゃダメだな」という結論に至った場合、

  1. これやってみたけど、ダメなことがわかってプラス1。撤回して修正
  2. これをやった時間が無駄になるのが惜しいから、正当化&言い訳しつつ継続

であれば、(1)を選ぶクセを付けていたほうが自分の成長に繋がるし、やってて楽しいし、自分の中に引き出しもたくさん増えるのです。

創作活動をしながら暮らそうと思えば、時間をかけるべきものには、ちゃんと時間をかけるべきなのです。
そのためには、お金ってとても重要な役割を果たしてくれるのです。

人生を終える直前まで「お金がないから」とあきらめることなく、好きなものと向き合いたいし、そういう時間を過ごしたいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。