ブログ開設後100本目の記事です
2018.09.03
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。収益化を目的としたブログを始めるに当たって、いろいろとググり周り「3ヶ月経過・記事100本に達するまでは何も始まっていない」という先人の知見にめぐり逢い。「まずは素直に実行してみるか」と続けてきました。これが開設後100本目の記事です。
「質」より「量」を実践中です
このブログを開設したのが、2018年7月14日(土)。昨日(9月2日)までの約ひと月半の間の運用結果は、
- ユーザー:620
- セッション:1,265
- ページビュー数:2,328
- 見積もり収益額:153円
です。はい、まだ何も始まっていません。
が、少しずつではありますが、検索からの流入(Organic Search)が増えつつあります。
とにかく「記事を書く、2,000字書く」を習慣化することを目的に、できるだけ毎日書くようにしています。
ひと月半で、100記事投稿できたのは、開設前の準備中に、記事の作り置きをしてたからですね。連日、2記事を書き続けてきたわけではありません。
でも最近は「あれ? 仕事がヒマだったら、1日2〜3記事いけるかもな」なんて思いはじめています。
文字を書くことに馴染んでき始めてますね。
僕は職業がデザイナーなんですが「テキスト打ちって、デザイナーの仕事じゃないよね」なんてヌかしてたのですが、今や大喜びでカタカタやってます。
「そのうち、外出先でも記事書くんだから、こりゃフリック入力の練習、本格的に始めねぇとな」などとも思い始めています。
ただ、自分が書いた記事を後から読むと、涙が出るほどクオリティが低いんですよ。
- 構成ムチャクチャ
- 同じことを違う表現で繰り返してるだけ
- 文章の繋がりがギクシャクしてる
- 思い込みを一般論みたいに書いてる
- 言い訳がましい
- なんか知らんがキモい
などなど、あげればキリがありません。
他の職業に対する敬意が増しますよ
「こんな文章、恥ずかしくて他人に見せられないから、もう少し推敲してから公開しよう」よりも「ちょっとくらいこっ恥ずかしい目にあっても、ガンガン投稿しちまえ」って考え方でやっています。
みなさまのお目を汚していると同時に、僕のココロも傷んでいるのです。
僕は広告の現場にいますから、本職のライターさんの仕事が、常に手元にやってくるのですよ。クライアントから、盛大に赤入れされてるPDFが僕にもccで入ってきたりするのです。
僕自身が目を通しつつ「今回のライター、ちょっとアレだな〜」などと生意気な感情を持ったりもしていました。
でも、こうして自分自身で文章を書いてみると、当たり前ではありますが「勝負にならない」のですね。
たぶん、彼らがフツーにやってることが、僕にはできていないし、彼らに見えてるものが、僕には見えていないのですよね。
彼らは「プロのマウンドに立ってるピッチャー」なのですから。
僕は「グローブもバットも買ってもらってなくて、河原で石ころ拾って、ひたすら全力投球を繰り返してる子ども」なのです。
「やっぱり、本職ってスゲぇな〜」とは思いますし、正直言って敬意も増しました。
僕のブログ記事、誰かに校正されて「ここの表現、ビミョー」とかアカ入ったら、もうお手上げですもん。思いついたままを書いているだけであって「この表現と、あの表現」なんて比較してないし、引き出しが一切ありませんからね。
ただ「ダメだ、叶わない」とは思っていません。遥か後方からではありますが、追走を始めた感覚を得ているのです。
このまま、毎日のように記事を書き続けていれば、自分なりにいろいろ考え始めると思うんですよね。
考え方を変えなきゃいけないところとか、知識として学習しなければならないところとか。ずっと走りながら修正し続けることになるのだろうと思っています。
ブログって「芸」なのかな? って
僕がいつもやってる、デザインの仕事。請負で、クライアントや広告代理店・制作会社とみんなで進めていく仕事なんですよ、コラボレーション。
自分ひとりじゃ完結しないんですよね。自分の「芸」じゃないんです、いい悪いじゃなくて、そういうもんなんですよ。
ところが、ひと月前にブログ開設して、もっと前からWordPressのテーマをカスタマイズとかはじめてて、ネットでいろいろ調べ物したり、街歩いててフと思いついたことをメモったりしながら、ネタを記事に膨らませて。
Search Consoleやら、Google Analytics見ながら、アクセスに一喜一憂して…。
この間、だれとも情報の共有してないんですよ。まあ、他人のブログやSNSを目にしてヒントにしたりとか、微拡散されたりとかはありますけど、概ね、ひとりで完結してるんですよね。
これから先も同じで、誰かと会話したり、新しい知見を得て活用したりすることはあり得るでしょうが、すべてを自分で決定できるんですよね。
完全に自己完結しちゃうんです。他人の仕事を採用することはあるかも知れませんが、「これを使え」と供給されることはありえないのです。
こういうことを「芸」って呼ぶんじゃないのかな? と感じています。芸術の「芸」だし、芸能の「芸」。
「芸」に「自己完結」や「Stand alone」って意味は含まれていないようではありますが、なんかそんな感じがするのです。
そんな感じがするから「続けていこ」と思っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。