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同じことの繰り返し。結局、反復なんですよね

2019.08.15

こんにちは、萩ドットライフ()です。

このブログを開設して、1年が経過しました。その昔スポーツをやっていたことが成功体験になっているせいで、何ごとも、スポーツになぞらえて考えるクセがあります。スポーツも仕事も、そしてこのブログも、同じことを繰り返している感覚があるのです。

バレー部に入ったとき。デザイナーになろうと思ったとき

いちばん古い記憶は、小学生のころだったか、もうちょっと前だったかの自転車の練習とかになっちゃうんでしょうかね。
何度も転ぶものだから、買ってもらったばかりの新品の自転車が、傷だらけになったりハンドルが曲がっちゃったりするのと引き換えに、少しずつ自分が「乗れる」ようになっていく感覚。

あ、違う…。買ってもらったあと数週間か数ヶ月間、補助輪付きで乗ってたはずだから、転んで傷だらけになったときはすでに「新品」ではなかったはずなのだけれども、そういった記憶の補正も含めて、いくつかの「できるようになった。ウレシイ」を体験しているのです。

もちろん「ソリが合わねえ、やめた」というものも、数多くあります。

母親が美容師なので、お客さんから「お子さんに、これやらしてみたら」と勧誘され、断りきれずに僕に勧めてきたものもいくつかあったようです。

ソロバンやら、ピアノやら、習字やら…。全滅でした。
むしろ、僕が「やらない」と言うのを待っているような空気も感じていました。そうすると勧誘してきた人に「本人がイヤだと言ってる」と断りやすいですからね。

誘われるがままに習い事を増やしちゃうと、月謝もバカにならないのですよ。

僕のこれまでの人生の中で、なんとなく「モノになったかな」と思えるものは、中学で始めたバレーボールと、社会人になって始めたデザインが代表的でしょうかね。

バレーボールに関しては、体育学部に進学しましたし、関東1部リーグに所属するチームでプレーるという体験ができましたからね。卒業間近まで「教員になりたい。指導者として強いチーム作りたい」と思っていました。
中学、高校は、まったく強豪じゃなかったんですよ。むしろ「下校時間を守りましょう」的な環境でした。

なので、少しムチャだったかもしれませんが「意思を持って継続すれば、そこそこできるようになるもんだな」と、ちょっとした成功体験を作ることができたと思っています。
いろいろと「昭和の体育会」的なキツさも体験しましたが、概ね「チャレンジしてみてヨカッタ」なのです。
そのため、その後いろんなことを考えるときに、バレーボール(スポーツ)の練習になぞらえるようになっています。

デザインに関しては、30年にわたって「メシのタネ」になってくれましたから、感謝々々です。
まともに美術教育も受けてないのに「デザイナーになろっかな」と思って練習を始め、フリーランスになって、50代半ばになるまでどうにかこうにか継続できたのって、バレーボールやってたときの「そこそこできるようになるもんだな」があったからなのですよ。

それがなかったら「まともな教育も受けてないのに、なれるわけないじゃないか。『なりたい』と『なれる』は違うんだよ」みたいなことを考えていたかもしれません。

おそらく、今こうしてブログを書いてることについて。「また、同じことを繰り返してる」と思っているのです。
はじめて1年ちょいですから、中学2年のゴールデンウィークくらいの感覚ですね。
「そのうち、試合にも出してもらえるようになるだろう」「上のカテゴリを目指す時期もくるんだろうな」と。

スポーツになぞらえると、しっくりくる

僕はスポーツの原体験がバレーボールでしたから、それをイメージするのですが、別の競技を体験した人には、その競技なりのイメージがあるのだろうと思います。
つまり方法論は様々なのでしょうが、基本的なイメージはそれほど変わらないのだろうな、と思っています。

僕の場合は、シンプルで、

  • ボールにさわれ、数さわれ
  • 考えながらさわれ
  • ボールにさわってないときにも考えてろ

みたいなことです。

「人に訊ねたり、本を買って読み漁る前に、まずはじめてみろ」ってことなのだろうと思うのです。もちろん基礎知識みたいなものは必要なのでしょうが、まずは手を動かすことじゃないでしょうかね。

とりあえず「練習なんだから、毎日やれ」ということなのだろうと思います。
なので僕は、こうして毎日ブログを書くことにしているのです。

なかなか成果が出るに至りませんが、バレーボールのとき「バレーでの進学を考えてみたら?」って言われたのが高校2年くらいだったし、デザインのときは、フリーランスで食えるようになるまでに3〜4年要してるし「まあ、そんなもんかな?」と思っています。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう

朝起きたら、まずブログ記事を投稿することにしています。
前日までに「書きたいこと」のストックがあることもあれば、朝起きてから、他人のtwitterやブログを眺めたり、Google広告のキーワードプランナ―をグルグル回したりしてヒネリ出すこともあります。最近は後者の方が多いですかね。

「ちゃんと考えながら書かないと練習にならんぞ」とは認識しているのですが、なかなか自分の思考の方向性が正しいかどうかすら手探り状態なのです。
これは、成果が出るまで淡々と継続してみるしかありませんよね。
結果「この分野、自分に向いてなかった」ことが判って終了、ということだってあり得るのです。

成長をやめたら引退

「自分に足らないものの発見の連続」なんですよね。
それを素直に受け止めることで、次の成長に向かうための練習を開始するのですよ。
そんなことを延々とやり続けるのです。

結局、成長するためには、何かを反復し続けるしかないのですよ。

どうしてもみんな「今の自分ができること」をやりくりして、その場をしのごうとしますよね。
それって「現状維持」にはならないのですよ。
周りが、環境が、どんどん先に進んで行きますからね、取り残された人は相対的に「後退してる」ように見られるのです。

趣味であれば、そのまま継続することができますし、それを咎める人は誰もいません。
しかし、それが職業人であれば、「引退」です。

いわゆる「焼きが回った」という状態ですね。僕も今、これが原因でデザイナーを引退しようとしています。デザイナーとして、成長し続けることにバテたのですよ。

だから、再び何かの初心者になって、成長している自分と出会いたいがために、ブログをはじめ、いろんなことに手を出すフェーズを作ろうとしているのです。

「まだ仕事が来るのに、デザイナーを辞めるのはもったいない」とは思っていないのですよ。
「焼きが回ってることを認識したのに、デザイナーを続ける時間がもったいない」と思っているのです。

スポーツだろうが、職業だろうが、あらゆる分野において、さまざまなジャンルや専門性があったり、次々と新しい技術が登場したり、受け持つ範囲が広がったり狭まったりします。
一度身につけた知識で、長期間を乗り切るのは不可能だし「ムリすんな」と思うのです。

だからこそ、ずっと成長し続けることが必要なのです。

キャリアの途中で「自分に向いている分野」だったはずのものが、そうでなくなる可能性も十分あります。そうなったときに素早く、自分自身を変えるか、その場から離脱するかを判断しなければなりません。

そのためにも「できないことをできるようにする、足らないものを知って付け加える(=成長)」を延々と続けている必要があります。

それによって「引退」が、職業人としての寿命となるのか、次の職業へのキャリアスライドになるのかの分かれ道となるのです。

はい。僕は今「ただ単にデザイナーを引退しようとしているだけ」だと思いたくないのです。「次に自分が就くべき職業を新構築しようとしている」と思いたいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。