延々と続く、言葉探し
2019.09.09
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。自分が「やりたいこと」「なりたい姿」を表現するためにしっくりくる言葉を探し続けています。ちょうど今が人生の転機なので、自分自身と対話し続けているのです。正解にたどり着くことなんてありませんが「言葉探し」を続けることが楽しいのです。
心の中がモヤモヤするのは、言葉が見つかっていないから
なんとなく「今はこれをやらなきゃいけない」「自分はこっちの方向に歩き出さなきゃいけない」みたいなことを思っていながら、上手く言語化できていなくてモヤモヤし続けることってあるのですよ。
しばらく経ってから「なるほど、ここに繋がってるのか」と、合点がいって、心が晴れて、そして忘れ去ってしまったものもたくさんあるような気がします。
上手い言葉がハマってくれると、もう少し違う結果を得られたような気もするのですよ。
言葉になっていないから、
- 自分の中で納得がいかないし、思考の解像度が上がっていかない。
- 他人に今の自分を説明して、理解を求めることができない。
- 行動するポイントを見極められない。
こうして、ブログを書くようになってから、特に感じるのですよ。
昔から「言葉探し」に対する欲求はあったのです。
モヤモヤした感覚を解消するために必要なことは、自分の中に存在するものに言葉を当てはめることだったはずなのですが、ずっとこの「言葉探し」ができていなかったのです。
おそらく心の中で、自分なりに「やりたいこと」も「なりたい自分」も分かってるはずなんですよね。
こうして言葉を探し続ける工程を経ながら、ちょっとずつ解像度を上げていくようなしくみになっているのかもしれません。
もう少し早く効能に気付いていれば…
あらかじめ「これをこのようにすれば、こういう結果が得られます」とか「自分の心の中にあるこの考え方には、こういう言葉が用意されています」などということが用意されていたら、僕たちは快感を得ることができないのだろうと思います。
だから「なんかよくわからない欲求」に応えなくてはならないし、あ〜でもないこ〜でもないと、言葉を探し続けなければならないのです。
「あ、こういうことだったのね」と、ちょっとした気持ちよさを味わうために、10年以上の期間を要することだってありますが、そういう感覚が嬉しいから、何かに熱狂することができるし、なかなか成果の出ないものにも延々と継続して取り組むことができる。そういうものなのだろうと思っています。
僕は20数年前にサラリーマンを辞めてフリーランスになったときと、フリーランスのデザイナーを辞めて、セミリタイア生活を始めようとしている今の精神状態がとても似ているように感じるのですよ。
20年前は「フリーになって、バリバリ働くぞ」だったし、今は「仕事なんてもう、テキトーでいいでしょ」と、まったく違う方向に向いて動いているのですが、それでも一貫した行動を取ってるような気持ちでいるのです。
僕は「やりたいことを『やりたい』から『やる』に変えることが好き」なのです。
違うのは、今回はこうして考えてること、やってることをブログに記録していることですね。
つまり「言葉に残している」という部分が、20年前の転機とは違うところなのです。
フリーになったときあたりの心理状態もリアルタイムで言葉を残しておけば、後から誰かの参考になったり、自分で眺めて楽しんだりできたかもしれないと思うと、ちょっと残念です。
たぶん、写植→DTP→Webと経験してきたデザイナーって、それほど多くないと思うんですよね…。
いろんな偶然が絡み合っているのです。
「言葉探し」の重要性
にしても「言葉探し」の重要性は、自分との対話以外の、別の意味で高まってきていますね。
GoogleやSNSでの「検索」です。
何かをやりたいと思ったときに、用意されている方法論なんて山ほどあるし、あらゆる人が考えたこと、やってみたことを競ってネット上に公開する時代です。
大切なのは「どんな言葉(=ワード)で、検索するか」なのです。
自分が腑に落ちるための「言葉」も大切ですが、「他人はこういう感情をどういう言葉に置き換えるんだろう?」と想像してみることが、ものすごく重要度を増していると思うのです。
「言葉探し」はずっと続く
言葉とは、心が形を持とうとする途中の形態だと思うのですよ。
前述のように「やりたいこと」も「なりたい自分」もあらかじめ、心の中に入ってるものなのかもしれないのです。でも当然、形のあるものではないのです。
自分で行動してみて、手を動かしたり、頭を使ったりしてアウトプットされたもの(=成果物)が「形」なのですね。
その間の工程を考えや、感情などに変えて、ずっと繋ぎ続けてくれるのが「言葉」なのだろうと思うのです。
そして、その言葉自体もまた成果物なのですね。
僕は以前、
という記事を投稿しています。
これからの人生を「作る人」でいたいと思いつつ「伝える人」でもいたいと考えているのです。
でもこれ、同じことを別の言葉で表現しているだけなんですよね。
将来なりたい自分を表す言葉を探したときに、両方がリストアップされてきたに過ぎないのです。
たぶんこれからも、どんどん新しい言葉に出会っていくと思うのですよ。
「いいやつ見つかった」と思っても、1時間後には「やっぱこれじゃないな」と否定することだってあるかもしれません。
ただ、こうして自分の心の中を延々と言葉にし続けることは、楽しいことなのですよ。
人生の最後の場面で、どういう言葉を「選ぶ」のかはわかりませんが、それまで、ずっと言葉探しを続けていこうと思います。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。