目標はコントロール可能でないと、モチベーションなんて上がらない
2019.10.15
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。このブログ、毎日自分と向き合う時間をつくることを目標に継続しています。「今月は○pv達成!」などと目標を数値化してしまうと、モチベーションを保持できないのです。それでも少しずつ自分が成長しているのを感じるし、そういうのって大切なのです。
「身長を10cm伸ばします」って目標、無理ですよね
昨日「人は、変わりたいのか? 変わりたくないのか?」という記事にて「結局、人は変わりたいと思ってる」という内容の記事を投稿しました。
書きながらボンヤリと思ってたことが「自分が変わるための目標設定の仕方」なんですよね。
「今年は10kg体重を落としたい」という目標設定って現実的なのですが、「身長を10cm伸ばしたい」ってあり得ませんよね。
それは、体重の増減は自分でコントロール可能なことで、努力の継続によって効果はでるのですよ。
でも、身長は自分の努力ではどうにもなりませんよね。
「そんなこと、当たり前じゃん」と思うのは、例えが「身長」と「体重」だからなのですよ。誰でも知ってることだからなのです。
自分の人生を振り返ってみると、実は「今年の目標は、身長を10cm伸ばすこと」みたいな目標を設定してたことって、結構あったように思うのですよ。
今こうして、毎日ブログを書いていますが、書き始めた当初は、
- 1年後に30,000pv/月くらいのアクセス欲しい
- 1年後に毎月1万円くらいの収益欲しい
みたいなことを考えていたのです。
毎月、定例コンテンツとして投稿している「運用報告」をご覧いただければわかるように、その10分の1程度しか達成できていません。
正直、途中幾度も行き詰まりを感じてたんですよね。
書きたいことなんて、そんなに毎日あるわけじゃないし、その上、当初思い浮かべてた目標値にまったく届かないので、モチベーションを失いかけていたのですよ。
それで「当面、アクセスも収入も気にしない」「毎日2,000〜3,000文字分だけ、自分と向き合う時間にしよう」ということにして、今もこうして続けているのです。
この考え方の変更が「ステージダウン」なのか「最適化」なのかは自分でもわかりませんが、「続いてるんだから、いいんじゃない?」くらいに考えています。
目標を数値化することは、大切なんだろうけど…
僕は過去20年以上、フリーランスのデザイナーで食ってきました。
50代半ばになった今、セミリタイア生活を始めることにして、まずは1年以上の長期休暇をとることに決め、無職になりました。
この後、また職業に就くつもりですが、趣味との間くらいのユルめの、75歳くらいまで続けられる仕事を作ろうと思っています。
(参考:「生産的な趣味」タグを付けられた記事の一覧)
現役のフリーデザイナーだった期間、僕はとくに数値目標を設定したことがなかったのですよ。
開業当時は漫然と「まずは年収1,000万円だな」程度のことは思っていたのですが、以降「今年は何本受注して、売上○万円を達成しよう」みたいなことを考えたことはありませんでした。
ずっと成り行きだったのですよ。
スケジュールが空いてくれば「収入下がったら嫌だな。案件来ないかな」と思うし、詰まってくれば「お金なんてそんなに要らないよ。もっと休みたいな」と感じることの繰り返しでした。
多くのみなさんがやっておられるような、数値目標を立てて、それに向かって邁進していくという能力が絶望的に欠けているのだろうと思います。
その代わり「毎日ブログ書く」とか「週3〜4日、8kmの朝ランやる」「ググりながら自室にwebサーバー立ててみる」みたいな目標ならば、どうにかこうにか取り組めるのです。
おそらく、目標を数値で設定してしまうと、自分でコントロールすることができないために、途中で萎えてしまうのですよ。
売上ならば顧客次第のところがあるし、アクセス数ならばGoogle次第だったり、「頑張っても、どうにもならんなあ…」というところがあるとツラくて耐えられないのです。
だから僕は、自分が頑張る(=コントロール可能な)ことのみで達成できることを目標にするようにしています。
その上で、成果が出なければやり方を変えればいいし、それでもダメならやめればいいと思っています。
成果が得られるのなんて「あと」に決まってるのですから、目先の数字を追いかけまさわないほうが、自分にとって効果的なやり方と向き合えるような気がしているのです。
すぐには表面化しない成長って大切
だからといって、まったく数値が気にならないわけではないのですよ。
このブログだって、1日に何回Google AnalyticsやGoogle AdSenseをリロードすることか…。
月末に請求書を出すときには「今月○万円だ! ウヒョヒョ」と思っていしたし、朝ランも時計を見ながら遅い速いに一喜一憂しています。
よっぽど、生活設計や仕事の成果に影響が出ない限りは、いろんな指標としての数字には娯楽として向き合うくらいでちょうどいいような気がするのです。
上述のように、成果が得られるのなんて「あと」なのですよ。
そこまでの過程に、数字にならないような要素がたくさん散りばめられています。
それを感じながら、アクセルを踏み込んだりブレーキをかけたりしながらコントロールしていくのですが、数字としての達成度だけで効果を判断していると、それらの重要なものを見落としがちになるのです。
当初の目標値をまったくクリアできていないこのブログも、それでもずっと少しずつではありますが、アクセス数は上向きなのです。
Organic Searchと呼ばれる検索エンジンからの流入も、月ごとに増えていて「これがGoogleに評価されてるってことなのか?」と、細かい快楽を得られるポイントはいくつもあるのですよ。
加えて、毎日ブログを書くことによって自分と向き合い、どうにかこうにか言語化していくことを続けていると、精神衛生上いいような気がするのですよ。
これまで、壊れたままほっぽらかしていたものを少しずつ修復しているような感覚を得られるのです。
こういうのって、決して数値化できない効能ですよね。
こういう、すぐには表面化しない成長って大切なのです。
これまでの人生の中でも、毎日コツコツと努力を継続しているのに、まったく成果が出ない。つらい。
けれども、ある時期急速に望んでいた成果が得られて、気がついたら自分の予想をはるかに超えていたということも多々経験しています。
努力量と成果が比例しないことは、いろんなところで何回も聞かされてきたことですが、自分が渦中にいると「成果でない、ツラい、やめたい」という期間が本当に苦しいのですよ。
なので僕は、目標はコントロール可能なことにおいて、日々の継続によって達成感をえられるような仕組みにしたほうが心地いいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。