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自分の文章から気持ち悪さが薄れてきた

2020.02.19

こんにちは、萩ドットライフ()です。

自分の頭の中にあるものを文章にすると、どうしても気持ち悪さを感じてしまいますよね。でも、ずっと毎日投稿を続けていると、だんだんと自分の文章の気持ち悪さが薄れてくるのですよ。決して文章が上手くなったわけではなく、慣れなんでしょうけどね。

これはたぶん「慣れ」ですね

良くも悪くもこれは「慣れ」なのだろうと思いますし、どこかしらで数ヶ月前の自分を他人だと思い始めているのかもしれません。

いっとき、過去の自分のブログ記事を読んでは「なんだこの言い回し、気持ち悪いな」とか「なんか回りくどいな」「言いたいことが全然伝わってこないじゃん」などと自己嫌悪に陥っていたのですよ。

まったくそんなことが無くなったワケではありませんが、明らかに「薄まってきたな」と感じるのです。

僕は特に文章を上手くするトレーニングをしているワケではありません。
もちろん、誰かに添削してもらうこともありません。

朝起きてどうにかこうにか捻り出した「今日はこれ書こう」と思いついたテーマに関して、あっち行ったりこっち行ったりしながら、どうにかこうにか2,000〜3,000字程度の記事として着地させるということを繰り返しているだけなのです。

これまで30年以上デザイナーを生業にしてきた僕が、50代半ばになってフと思ったことが「そういやオレ、全然文章書けないな」だったので、「じゃあ書けるようにした方がいいな」ってくらいのものです。

ずっと毎日投稿し続けていますから、そりゃ少しは文章が上達したかもしれませんが、あくまでも我流ですから、限度がありますよね。

最初のころは、自分の文章をひと様に見られる場所に公開するってこと自体がこっ恥ずかしかったですね。

「自分は上手く文章を書けているだろうか?」
「こんなことを書いて、気持ち悪がられないだろうか?」
「読んだ人に、いいねと感じてもらえるだろうか?」

みたいなことばかりを考えて、見えない敵を作り出してしまうのですよ。
まだ、1日のpvが二桁いくかいかないか程度の人にしか読まれていないのに、です。

見えない敵は、自分の中に

でも、自分が他人のブログなどの文章を読むとき、あまりそんなことを気にしませんよね。
「うまい文章を読ませて欲しい」とか「いいね!をしたい」などと思いながら読み始めることなんてほぼありません。

なんかしらのワードでググって、気になったタイトルの記事に目を通して、引っかかりがあれば、それを参考に自分の思考を展開させるし、つまんなければ別の記事に移るだけなのです。

だから「見えない敵」を作り出す必要なんかないのですよ。

なんなんでしょうね? 僕が長らく、自分の作業をクライアントなりディレクターなりに評価されながら進行していく、デザイナーという仕事に携わっていたからなんでしょうかね?

どうしても「誰かと向かい合ってる」感が抜けないのですよ。

ブログなんて自分が書きたいことを書いて、不特定多数の中に公開して、たまたまたどり着いた方に読んでいただければ、それでいいものなのです。

もちろん、その方に共感してもらったり、なんらかの示唆を与えることができたり、「ほう」と思ってもらえると嬉しかったりしますが、これはこれでまた違うレイヤーの話ですよね。

基本は、僕が勝手に思いついたことを投稿しているだけなのです。

だから「見えない敵」は、僕の中にしかいないんですよね。

このブログを開設して1年半以上経ちますが、そんなことを考えつつ淡々と毎日投稿を続けていると、自然と自分の文章から気持ち悪さが薄れてきました。

自分のことを書くと、気持ち悪くなってしまうものなのです

「今日のテーマはこれにしよう」と思いついて、最初の2・3行だけ書いてから「あ〜ダメだ、書き進められない。なんか気持ち悪い感じになっちゃう」みたいなことって、よくあるのですよ。

それでもどうにかこうにか「書き切る」ことができるようになったのって、「自分の文章の気持ち悪さ」が薄れてきた(慣れてきた)からだろうと思います。

「オレ今こんなこと考えてる。これを文章にしてみよう」って、そもそも気持ちの悪い行為なのですよ。

僕はセミリタイア生活を始めながら、考えたこと、やったことの記録としてブログ記事を書いています。
思いついただけのものから、熟考しすぎて妄想の世界に入っちゃってるものまで多種多様なのです。

自分の中でどうにかしたいから、そう考えているのですよね。
ならば、ちゃんと書いておくほうがいいと思うのです。僕にしかできない作業ですからね。

そうやって生み出された文章なんて、気持ち悪いに決まってるのですよ。

ただし、それはたぶん僕にとっての気持ち悪さなのであって、読む人からすれば「どうでもいい」ことだと思います。

もし、この気持ち悪さに共感してくれて「気持ち悪いこと書いてるんじゃねえよ」って反応される方がおられたとしても、その人の気持が動いたのだからヨシってことなのだろうと思います。

たぶん、その人の中には僕と同じ「気持ち悪さ」があるのでしょうから。

このままでいいように思います

だんだんと「いいカッコしないほうが続く」とか「いいカッコしても誰も見てない」みたいなことが分かってきてるんですよね。

逆に、嫌われるほど誰も自分のことなんて気にしてませんからね。

当ブログ開設当初には「読者の役に立つ記事を書かなきゃ」みたいな気負いがあったり、「どうにかして文章から気持ち悪さを消し去りたい」みたいなことを考えていたりしましたが、いつの間にか書きたいことを勝手に書くブログになってしまいました。
(参考:人の役に立つブログになってない。それでもいいか…

結局、長く続けられるやり方を選んだほうがいいし、やりやすいようにやったほうがいいというふうに思っているのですよ。
毎月初の運用報告をご覧いただければ分かるように、アクセスの伸びは、とてもゆったりとしてますけどね…。

先日「ブログの収益化をちゃんと考える年にしよう」という記事を投稿したように、それなりのジレンマは抱えています。

どちらにせよ、文章の気持ち悪さを気にしてもどうしようもないし、それによって書けなくなることの方がイヤなのですよ。

だんだんと、自分の文章から気持ち悪さが薄れてきたことによって、ストレートに自分の頭の中にあることを記事にできる頻度が増えているような気がしています。

結果的に、良い方向に進んでいるように思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。