同じことを、くり返し何度でも
2020.03.08
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ブログを書いていると「あれ? 前にも同じことを書いてたよな」ということが頻繁にあり、自分の発想力の乏しさにうんざりすることが多いのです。最近は「それだけ繰り返し考えることならば、自分にとって大切なことなのだろう」と思うようにしています。
前にも同じこと、書いてなかったっけ?
自分の発想力なんて大したことないんだな、と感じています。
こうして毎日ブログを更新していると「あれ? この話、前にも書いたんじゃなかったっけ」と思うことが多いのですよ。
そして、過去記事を検索してみると、実際にそうだったりするのです。
ホントは次から次へと新しいことを考えて、その欠片でもいいから日々更新されている自分の姿をこのブログに残したいのですが、そんなことは無理なのです。
と、ここまで書いて「あれ? この話、前にも書いたんじゃなかったっけ」と思い、検索してみると過去に「グルグルと、同じことについて考え続けてる」という記事を投稿していました…。
正直なことを言うと、もう「同じことを何度も書く」ことについて諦めているのです。
「人間なんて、そんなもんだよな」などと思い始めています。
昨日投稿した「教えて? じゃなくて、答え合わせを」でも、
もう「前にも書いたし、同じテーマの記事書くことはやめよう」なんてことは考えていません。
「数ヶ月前の自分と、今の自分。ちょっとは変わってるんだから、書くことも変わるだろ」くらいのつもりで気にせずに書いていこうと思っています。
なんてことを書いてるように、もう開き直っています。
そのテーマについて、また書きたくなったということは、それだけ何度もそのことについて考えてるってことなのですよ。
「そっか、オレってそんなことに気を留める性格なんだ…。知らなかった」ということがブログに記録し続けることで可視化されてるんですよね。
いいかえれば「ルーティーン」ですね
「お祈りって効くんだよ」という話を、どこかで聞いたか読んだかしたことがあります。
いま僕が住んでる東京のマンションには何もないけれど、山口県萩市の実家には仏壇も神棚もあります。
僕が子供のときには祖母が、今は母が毎日お供え物を交換したり清掃するついでに何かをお祈りしています。
子供のころ祖母に、なんのお祈りをしているのか訊ねたことがあります。
うろ覚えではありますが「みんなが元気で過ごせますように」「あんた(僕)の頭が良くなりますように」と思いながら拝んでるという返答だったように記憶しています。
もしかすると、絶対に口にできないようなことも「お祈り」の中に含まれていたのかも知れません…。
そうやって、毎日、同じ時刻に、同じ場所で、自分にとって大切なことを反復していたのですよ。
今で言う「ルーティーン」ってやつですね。
つまり、お祈りにはルーティーンと同じ効能があるのです。
- 毎日同じことを繰り返すことによって、異変に気づくことができる
- 大切なことを反復することによって、咄嗟の判断を間違えない
ということですね。
だから、僕がこのブログで同じことを繰り返していることに気づいても「いつものお祈りだな」と思ってください。
ちょっとだけ、行動の後押しになるのです
実際に毎日々々同じことを考え続けてると「なんか知らんけど、いけるかもな」って気になってくるものなのですよ。
じつはこの「いける、やれる」が結構大切で、行動するときの、最初の一歩の、体重移動の、ちょっとした後押し、くらいにはなってくれるものなのです。
いっぽうで、巷間「会社を辞める辞める言ってるヤツって、結局いつまで経っても辞めないんだよね」みたいな説もあって、これも真だと思うので、このへんの矛盾にいまいち折り合いが付いていないのですが、とりあえず放置したまま話を進めますね。
たぶん「いける、やれる」と思うことによって、できない理由とか、行動することのリスクなんかを覆い隠す効能があるんじゃないでしょうかね。
決して「計画性」とか「危機管理」をないがしろにしてるわけではないのですが、そこそこ考えたあとならば、どこかしらで「勢い」で前に出るフェーズって必要ですもんね。
そのために、同じことを何度でも考え続けること、言い続けることにはそれなりの効能があると思うのです。
ただし欠点として、実際に行動に至るまでの間に「オレって口ばっかじゃん」と自己嫌悪に陥ったり、妙な焦りを感じることがありますね。
僕はわりとせっかちになって、わかりやすく判断が雑になったりします。
以前投稿した「他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました」で述べたように、山口県萩市での古民家の取得の話を進めている件に関してもそうなのですが、ある地点で「ベストを模索する努力」を捨てちゃうんですよね。
「おおむね良好ならば、行動優先だよね」と考えてしまうのですよ。
これが前述の「勢いで前に出るフェーズ」なのですが、この時点で良し悪しを判断することはできません。
いったん動き出してしまえば「うん、これで良かったんだ。そうに決まってる」と思い込むしかありませんもんね。
決断後の自分の行動によって「正しかった」にも「間違ってた」にもなり得るのです。
これからもこんな感じで、同じことを何度でも繰り返しテーマにしつつ、少しずつ状況が変わっていく様子を記録し続けたいと思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。