書くことがないのに、いつも何かしら…
2020.03.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。取るに足らない着想から、あれやこれやと連想しつつ思考を膨らませて、どうにかこうにか結論まで持っていくチカラが付いているような気がします。これも書くことがないのに、毎朝なんかしらのプログ記事を書き続けている効能だろうと思うのです。
朝ボーッとしてるときに書いちゃうから続くのかもね
こうして毎朝ブログを書くようになって、なんだかんだでもう700記事に届こうとしてるんですね。
正直、それほど書くことなんかありゃしません。
朝起きて、SNSやらニュースやらを眺めつつ、ちょっと引っかかりを得たものの中から「これなら2,000字から3,000字程度のブログ記事にできるかな?」と思うものについて、書き始めることにしています。
メンド臭いから、あまり時事ネタとか調査を要するものは選ばないようにしていますね。
書き始めは、まったくのノープランです。
だから2・3行書いて「ありゃ。書くことなくなっちゃったな」なんてこともザラです。
書き始めと、着地点でまったく内容が異なってることも多々あります。
そういうときは仕方ないので、書き初めに遡りながら、どうにかこうにか辻褄を合わせていくようにしています。
当然、途中で「なに書いてるんだっけ?」と、わからなくなることもしょっちゅうです。
最初のころは、そんな朝が苦痛でしかたなかったのですが、最近はすっかり慣れました。
慣れたことによって、雑になってる部分もあるんですけどね…。
朝のボーッとしてるときじゃなくて、頭がクリアなときのほうが、もっと気の利いた記事をかけるんじゃなかろうかとも思うのですが、自分の文章を世間様にさらすなんてこっ恥ずかしいこと、起き抜けのまだ頭がちゃんと働いてないときじゃないとできません。
それと、頭がボーッとしてるときに、思いつくままを文章にしていくことで、なんとなく自分でも認識していなかった自分の本心を知ることができているような気がしているのですよ。
自分の思考の中に含まれていなかったような言葉や考え(=本心)が、ピョコっと顔を覗かせたりするのです。
無理にでも何かを書いていれば、本心が見つかる
そういうものを「これをテーマにするのは嫌だなあ、封印しておこう」という日もあれば、何日か経つと「こないだNGにしたアレ、今日のネタにしよう」と思うこともあって、自分自身もブレブレのまま、こうして毎日々々書き続けているのです。
ただ、こうして書き続けていると、だんだんと自分の本心を言葉に残すことに対しての躊躇がなくなってきますね。
言い換えれば、だんだんと羞恥心を失っていくような感じでもあり、「どうせ自分のことなんか誰も気にしていないんだから」と開き直ってるような部分もあります。
(参考:僕のことなんか、誰も見ていない)
そうなると、どこかから何かしらのネタを見つけてきて、それについてどんどん書いていく。
その過程で「あ、オレこんなふうに考えるんだ」と発見することが面白くなってくるのですよ。
その代わり、ブログ開設時に考えていた「収益を上げるためには、読者の役に立つことを書かなきゃ」みたいな考え方は完全に失われています。
(参考:人の役に立つブログになってない。それでもいいか…)
そして「こんなふうに書いたら、誤解されちゃうかな」とか「なんとなく人を傷つける表現が含まれてるかもな」みたいなところの処理が、少し雑になってきているかもですね。
ちょっと「自分が感じたとおりに書けばいいんだ」みたいな感じになってますからね。
そもそも、言葉を作る練習として始めたブログなので、少々よくない傾向かもですね。
隠そうとしてるものの中に、本心がある
毎朝、書くことなんてないにもかかわらず、何かしら書くことくらいははできるようになっています。
開設当初に思っていた「オレはこんなことを書きたい」なんて、ひと月くらいで消費され尽くしました。せいぜい「これならテーマにできるかな」を寄せ集めても3ヶ月くらいしか持ちません。
「こんなことを書いて、ひと様に晒したくないな」という部分をどうにかこうにか文章にできるようになって、かつ、その行為に対して抵抗がなくなったから、飛躍的に楽になりましたね。
人はどこかしらで、自分が隠そうとしている部分(=本心)に気付くと快感を得られるし、それを他人に開示したくなる欲求があるのかもしれませんね。
そして、それを継続していると、自分の思考や行動にも影響を与えてくれるような気がします。
ちょっと余談ですが、毎日ブログを書いていると、人と会って会話をするとき、ものすごくスムーズにしゃべるようになりますよ。
たぶん、ブログ記事を書きながら頭の中を整理しているし、言葉を作り続けてるからなのでしょうね。
話してる途中に質問で話の腰を折られても、上手く質問に答えつつ本論に戻すみたいなワザが以前よりもレベルアップしている気がするのです。
こうして、ブログ記事を書いている間にも、幾度か「あれ? なんの話を書いてるんだっけ」と、自分の居場所がわからなくなるし、そのたびにゴール設定が少しずつ調整をしています。
それでもどうにかこうにか「おあとがよろしいようで」まで走り切ることができてるのですよ。
文章力とか構成のレベルは、置いといてね。
毎朝、この習慣を持つようになってから、普段の思考の中でも、取るに足らない着想からあれやこれやと連想し続けて、最後には「今度これやってみよう」とか「忘れないようにメモっとこ」というところまで持って行けているケースが増えているような気がします。
何かしら思考を膨らませて、どうにかこうにか走り切るチカラって、ワリと訓練次第で伸ばせるものだなあと感じてる次第です。
これも、ブログの効能だよね、と。
おあとがよろしいようで。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。