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ブログを毎日更新している自分。何とも言えんな…

2020.04.27

こんにちは、萩ドットライフ()です。

こうしてブログを毎日更新している自分が信じられなかったりすることがあるのですよ。もともと僕は日記を書くことができない子供でした。理由はいろいろとありますが、とにかくダメなものはダメだったのです。「ピーマン嫌い」と一緒だったのです。

日記を書けない子供だったのです

毎月初に「運用報告」を書くことにしていて、必ず文頭に

XX記事投稿し、20XX年XX月XX日現在で計XXX記事になりました。当ブログを開設した2018年7月14日からXXX日間、毎日投稿を継続中です。

という「どうですか、ほら。毎日更新していますよ」アピールをすることにしています。

「我ながら、よく続くものだなあ」と、一番驚いているのは、自分です。

僕は日記が書けない子供だったのですよ。

僕は子供時代、山口県の萩市立明倫小学校というところに通っていて、そこでは毎日日記を書くことが義務付けられていたのです。

「あかるい明倫のこども」とか、そんなタイトルと、校内の特徴的な施設がイラストで表紙に書かれていました。
学年によって表紙が変わるんだったけな? そんな記憶があります。

中身(日記を書くフォーマット)は、学年によって変わっていったのは覚えています。

1年生から3年生くらいまでは絵日記で「おとうさんとしょうぎをしました、3かいやって1かいしかかてませんでした。あしたはもっとかちたいです」程度の文章と、将棋盤の絵でも書いておけばオッケー。

4年生くらいからは、ちゃんとした字を書くようになってたのかな? 6年生に近づくにつれ、方眼が細かくなり、最後は罫線になったみたいな記憶もあるのですが…。どうだったんだろ?
あまり詳細は覚えていませんが、それを毎朝集められて、担任の先生が全員の日記に目を通して、ひと言書き添えて返してくれるシステムになっていました。

僕はこれができない子供だったのです。

いつ頃から、どうしてできなくなったのかは覚えていません。
途中々々で怒られることはあって、そのときはしばらくテキトーなことを書いてた記憶はありますので、完無視していたわけではありません。

うっすらとした罪悪感とともに「ま、書かなくていいか」と思い続けていたことは覚えています。
小学校の頃って「みんなと一緒のことをやりましょう」みたいな感じがなんとなくありますからね。

ほぼ毎朝「忘れました」って言っていましたが、忘れてるわけなどないのです。

僕にとって日記とは「ピーマンが食べられません」と同じような存在だったんですね。

先生もメンド臭かったんじゃない?

たぶん…。たぶんですよ。
先生たちも「児童に毎日日記を書かせることに、何の意味があるんだ? いちいち赤ペン入れるのもメンド臭いんだよ」って思ってたんじゃないでしょうかね?

なんとなく…。なんとなくですよ。
子供ながらに、そういう空気を感じ取っていたような気がするのですよ。

軽い問題児扱いにはなっていたようです。

学年が変わって、新しい担任の先生になって、その先生が家庭訪問にやってきて最初に母親だったか祖母だったかに告げた内容が「○○先生(去年の担任)から聞いているのですが、日記を書かないそうですね。○年生になった今年こそは…」だったことがあります。

その当時「申し送り」とか「引き継ぎ」なんて言葉もシステムも知らなかった子供の僕ですら「うぁ。オレ問題児扱いされてんじゃん」くらいのことは感じられましたね。

とはいえ、その後も「忘れました」「明日はちゃんと書きましょうね」で済まされてきましたので、ずっと「書かない」という選択をし続けていました。

自分で言うのもアレですが、いろんな教科の成績が良かったり、「これはちゃんとやれよ」感を伴って課された作文がまずまずの評価だったりしたので「ま、日記くらいいいか」と見逃されていたのかもしれませんね。

もしかすると「こうして日記を提出することに何の意味があります?」「逆に先生は、何を求めてます?」みたいな雰囲気を出している、イヤなガキだったのかもしれません。

途中から「提出しなくても怒られないオレ」にちょっとしたカッコよさを感じ始めていたような記憶もあります……ダサいっすね。

こんな感じでしたから、先生から日記帳が返ってきたタイミングで席の近い子どうしで見せっこする輪の中に入ったこともありません。

当然、他の子たちがどんなことを話題に選んで日記を書いているのかも知らなかったのですよ。

「誰々と遊んだ」とか「好きなテレビを観てたら、お母さんに風呂に入れと怒られた」みたいな話を書いていればそれで良かったんでしょうけどね。

そもそも、学校以外のところにいる自分のことを学校の人(=先生)に伝えるのがイヤだったんですよね。
逆に、学校で起こったことを家で両親に話すことも苦手な子供でしたからね。

サラリーマンで例えると、休日に会社の仲間とつるむのが嫌いなヤツいるでしょ? 逆に会社でプライベートなことを話題にすることを拒むヤツ。僕、それです。

そんな僕が、ブログを、毎日、更新。へえ…

ブログって書きっぱなしで済むから続いているのだろうと思います。

これまで、何度かこのブログを匿名で運営していることについて言及していますが、書き終わった後に他人からあれこれ詮索されないことが、とても快適なのです。

(参考)

実は、もうすでに陰に陽に、何人かには身バレしているのです。

でも、このブログに辿り着いて、何本かの記事やプロフィールを読んで、僕本体を連想してくれるような人ならば、バレても構わないのです。

このブログのことが話題になったとしても、その人とはちゃんと噛み合う会話ができるだろうし、気が乗らないときには「匿名で書いてる意味、わかるよね」で突っぱねることができ、その上で人間関係にはなんの影響も及ぼさないと信じているからです。

僕は大人になった今も、日記が書けなかった子供時代と本質は変わっていません。
もしサラリーマンだったら、営業日報みたいなのを書けない大人だろうと思います。

「誰かに向けて書く」というスタイルが少々煩わしいのですよ。
子供時代の日記は、あきらかに先生に提出して赤ペンをもらうことが前提でした。

このブログは、僕自身の記録です。

毎日生活していく上で、ちょっと気付いたこととか、これまで自分が言葉にできなかったことをちゃんと言葉にしている人との出会いとか、偶然巡り合った場面転換の瞬間とかを、自分なりの言葉で書き留めておきたいのです。

それを公開することで、偶然のめぐり合わせがあって、その方が僕の記事を読んでくれて、何かを感じてくれるのであれば、それはとても喜ばしいことだと思っています。

こうしてブログを書き始め、しばらく継続してみたことで、以前投稿した「僕のことなんか、誰も見ていない」という記事で触れたように「こんなこと書いたら他人にどう思われるだろう?」「メンド臭い人だと思われるんじゃないか?」「ちょっと自意識過剰すぎるんじゃない?」みたいな邪魔な感情がが、溶けてなくなってしまったことが、習慣化のきっかけとなってくれましたね。

何にしても「このオレがブログを毎日更新してるのか…。何とも言えんな」と、ときどき思うのです。

ありきたりの、タイムマシンで過去の自分に何かを告げるヤツ。

「オジサンは未来のお前だ。50歳超えて毎日日記書くようになるぞ」とか、絶対に言いたくないですね。おそらく「チっ」て舌打ちされて、無視されますからね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。