考えてることと、書くこと
2020.06.10
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。このブログは毎朝、思いついたことを書くことを習慣にしているのですが、あまり時事問題や社会問題には触れないようにしています。そのときには大きなインパクトを受けていても、自分の中にある関心と乖離があって、ちゃんと言葉にならないのです。
その朝、思いついたことを書く習慣に
このブログは朝、起き抜けに書いています。
別に、そういうふうに決めたわけでもないのですが、いつの間にか、そういう習慣になってしまったのです。
このブログを解説したころは、まだデザイナーとしての仕事を請けていたので、いわゆる就業時間になると、クライアントや広告代理店、制作会社の人たちからメールや電話がかかってきます。
そういうものにブログ書きを中断されるのが不快なので、起き抜けに書くようになったのです。
書き始めは、何について書こうか? とか、どういうタイトルにしようか? みたいなことを考えずに、思いついたままのことを書き進めます。
こうして書きながら「そうだ、これのこと書こう」「これ書くんだったら、あれについても触れておかないとな」などと思いつきながら、文章量を増やしていきます。
だから、調子のいいときには、なんとなく最初っから構成を考えて書き始めたかのような仕上がりになるときもあれば、書き始めと書き終わりで、まったく違うことを考えていて「オレは、いったい何について書こうとしていたのか…」というよくわからない文章になっていることもあります。
なんだか、以前にもこういうことを書いたような記憶がありますね。
けれども、僕という同じ人が、毎日々々書いているのですから「同じようなことを何回も書いていても、そんなの当たり前じゃん」とも思うのです。
普通に生活していても「あれ、また同じこと考えてるな」って結構ありますもんね。
そういう方が自然なのだろうと思います。
そして、今日のように「なんか、書くことないなあ」「そんなにブログネタなんてあるわけないじゃん」という日は、こうして「ブログを運営していることで気づいたこと」みたいな内容でお茶を濁そうとするのです。
時事問題や社会問題は、意図的に避けてます
ただ、考えてることをすべてブログに書いているかと言うと、そうでもないのですよ。
僕は毎朝こうしてブログを書きながら、考えてはいるけれども書いてはいけないこと(=アウトプットすべきではないこと)を選別しているように感じているのです。
ここのところ、にわかにネット上での誹謗中傷に対する抑止策を法制化しようという動きが見られます。
ネット上のひぼう中傷抑止へ 自民党が提言案まとめる
インターネット上のひぼう中傷を抑止するため、自民党は、誰が投稿したか速やかに特定できるよう情報開示請求の要件を緩和することや、アクセス記録の保存期間を延長することなどを盛り込んだ提言の案をまとめました。
出典:ネット上のひぼう中傷抑止へ 自民党が提言案まとめる | NHKニュース(2020年6月9日)
誰かを傷つけることを目的とした、投稿に関して「こういうのよくないよね」という気持ちは誰もが持つものなのでしょうが、そうではない「意見」とか「考え方」に関しても、思いがけず受け手に不快感を与えることもあるだろうことは、予測しておくべきだと思っています。
当ブログのような、アクセス数の少ないものであれば、概ね「なんだこいつ、つまんねえこと書きやがって。バカじゃねえの?」で済む話なんでしょうけどね。
僕はときどき、上記のようにニュースを引用して「今、こんなことが起こってますね」みたいな話題に触れることはありますが、あまり時事問題や社会問題について深入りして何かを書くことはしていません。
そのときには、関心を持ってググり回ったりしていても、2・3日経つとすっかり忘れちゃってることなんて、山ほどありますからね。
追いかけ切れないのですよ。
他の方のグログや、SNSを眺めていると、ずっと社会問題についてご自分の意見を述べ続けておられる方も多数いらっしゃいますね。
そういう方々を否定するつもりはないのです。
むしろ、そういう意見を求めている方が多いことは、フォロワー数などを見れば理解できます。
間違いなく、そちらのほうが「面白い」のです。コンテンツとして優れているのです。
でも「僕には向いてないな」と思っているのです。
書く習慣が、自分の関心を仕分けしてくれる
前述の通りこのブログ、毎朝起き抜けに、思いついたままのことを書くようにしているのです。
朝一番の頭の体操のようなものですね。
でも最近は、朝のブログ書きによって、少しずつ物事を考える方向性を補正しているようにも感じはじめているのです。
twitterのトレンドに表示されてる、有名人のスキャンダルや失言について考えるよりも、電動工具の選び方や相場、使用頻度などをイメージしていたほうが楽しいし、各国で起こっているデモや暴動についての意見を収集するよりは、金融資産の運用について考えることのほうが、自分にとっては大切なことなのです。
とはいえ、SNS上に有名人のスキャンダルに関することが頻出するようになると、それなりの関心は持ちますし「日本のトレンド」みたいなリンクをクリックしてみることもあります。
でも、このブログ上でそのことに触れることはないし、SNS上でも反応しないのです。
食事会や飲み会でも話題にしないし、おそらく話題にしない人々が集まる会にしか出席しないのです。
人によって、大きく関心を持つこともあれば、小さくしか関心を持たないこと、まったく関心を持たないこと、それぞれあると思うのですよ。
自分があるいは他人が、何に関心を持って、何に関心を持たないかなんて、その人の勝手なはずなのですよね。
SNS上などでときおり見かける「こんなにも大切な問題なのに、なぜみんな声を上げないんだろう」みたいな言い回し、そりゃ人それぞれに「大切な問題」が違うからに決まってるのです。
「オレって今、これについて関心持ってるんだっけ?」を確認するのに、毎朝のブログ書きが役立っていると思うのです。
たとえば「オレは、ネット上の誹謗中傷に怒ってる」と書き出してしまうと、ネット上に散りばめられている怒りの表現を拾い集めつつ文字を埋めたところで「あれ、これ以上書き進められないぞ」ってなっちゃうと思うんですよね。
前項では「追いかけられない」って書きましたけど、それはそこまで関心がないからなのです。
考えてても飽きてしまうのですよ。
ネット上から得る物事に対するインパクトと、実際に自分の中にある関心の間には、相当の乖離があって、無理矢理にでもいいから文章化するクセをつけておくと、そのへんがクッキリと仕分けできるよな、と思っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。