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毎朝、何かしら思いつくことがあるのは…

2020.10.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

最近「なんで毎朝、何かしら思いついちゃうんだろうね」なんてことも考えてみたりするのですよ。こうして何かしらをブログ記事化することが習慣になってくれましたからね。たぶん中途半端なままのことが多くて、それでいろいろ考えるんでしょうね。

中途半端なことが多いから、いろいろ考え続ける

こうして毎朝、何かしらをテーマにブログ記事を書くことを初めて、なんだかんだで900日くらい経ってるんですよね。

そりゃ朝起きるたびに「ヨシ今日はこのことについて書いてみよう」なんて、スラスラとテーマが決まるわけではなく、むしろその反対で「ブログ書くって決めてるから、しかたない何か考えよう…。あれ? 何も思いつかないぞ」なんて日のほうが圧倒的に多いのです。

でもPC前で粘ってると、何かしらをひねり出せるもんなんですよね。

「今日はもうダメかもな、毎日投稿するなんて誰かと約束したワケでもないし、今日はもういいか…」なんて思う日もあるのですが、テキトーに単語をいくつか書き散らかして朝ランに出かけ、帰ってきて入浴を済ませて再びPC前に座り直すと、ちょっとだけ「思うこと」が増えてたりね。

どういうことなんでしょうね?

このあたり、いつもなんとなく考えていることなのですが、いまのところは「中途半端なことが多いからだろうな」なんて思っています。

中途半端なことって「やりかけのこと」だったり「別にこのままで構わないよ」ってことだったり、「やろうとしてたけど、消えてなくなりそうなこと」だったり、いろんなパターンがあると思います。

これらすべてについて「はて、これについてはどうしよう」なんて考え続けてるんですよね。
当然、チカラの入れ方の強弱はありますけどね。

「別にこのままでいいじゃん」と思っていることに関しても、これはこれで「このままで放置中」という判断をし続けているのです。

僕はいま、無職になっているので仕事をしていないのですが、それでも友人のことやら家族のこと、家のこと、暮らしのこと、いろいろなことが中途半端なまま動き続けているのです。

逆に、納期があって公開・クローズがある「職業」を失ったことによって、きちんした終わりが見えないものに囲まれて「あれもこれも、全部やりかけじゃん」みたいな気持ちが強まっていますね。

だからこそ、毎日何かしらの考えることがあるのでしょうね。

そうそう「すばらしい考え」なんて降ってきやしません

当然、ムラだってあります。
朝起きて、PC前に座って「ヨシ今日はこれについて書いてみよう」と思う日が続くこともあれば「ダメだ、何も思いつかない」という日が続くこともあります。

最近はしばらく、何かしらを思いつく日が続いていたのですが、今朝はパタっと止まりました。

PV前に座っても何も思いつかない

って書いてから朝ランに出かけ、こうして続きを書いています。

前項で書いたように「中途半端にしてることがあるから、いつも何かしらを考えてるんだろうな」などと思っています。
何かしらを考え続けてると、そのうち「すばらしい考え」みたいなものが降ってくるような気がしているし、そういうものと出会うことで、ちょっと気が晴れるのが嬉しいのですよ。

だからずっと、その考えが生まれる仕掛けをこさえようとしたり、祈ったり、他人からパクってこようとしたりしているのです。

おそらく「いっちょ上がり、これでひとつ消えた」なんてことがないのは承知の上です。
でも、いろんなことを中途半端だと認識しているからこそ、考えたり、思ったり、ヒントを探し回ったりすることがやめられないんですよね。

だから毎朝PC前でうんうん唸ってたり、ちょっと朝ランでブレイクしたりすると、何かしら「思っていること」のカケラが見つかって、それを無理やり拡張している感じです。

だから過去記事を読み返してみると、似たようなことを何度も書いていたり、反対に真逆のことを「オレはこう感じてる」みたいに書いてたりするんですよね。
でも、その朝はそう思っていたのだから仕方ないのです。

ずっと何かを思い続けるんでしょうね

いま僕が住んでいる家の周りには石垣がいっぱいあります。
山の登り口に建ってる家ですからね。

うちが建っている敷地は、周囲から一段上げて造成されていますし、隣接する山側の田んぼは、さらにもう一段高くなっています。
いつごろ作られたものかはわかりません。

登記簿を見ていると、大正12年のものが見つかりましたので、それ以前に作られたことは間違いなさそうです。

お城や武家屋敷などの立派な石垣と違い、なんとなく雑な作りだし、中で木が育ってしまって壊れている箇所もあったりして、その気になれば手作業で解体できそうな石垣です。

こうして毎日、中途半端なままになっていることと向き合いながらものを考えることって、石垣を積み上げるようなことなのかな? と思ったりもします。

上手くハマってくれる大きな石が見つかれば、石垣はぐんと高くなるのですが、そのタイミングはなかなかやってくるものではなく、それまでは、大石と大石の間を中石や小石で埋めていく作業を続けていたり。

中石どころか小石もみつからない日もあって、そんなときには上から砂を振りかけてみたりね…。

時間の進み方が急すぎてあたふたすることもあれば、何も進まなくてひたすら暇つぶしと時間稼ぎをしているときもあります。
前者の場合には「明日のブログは、これ書こう」とか「さっき考えたこれ、膨らみそう」なんてことが多いのですが、後者のひたすら時間稼ぎをいているようなときには、ぐるぐると同じことばかり考えていて、すぐにブログネタが尽きてしまうんですよね…。

いまのところ、どうにかこうにか「ネタがない」こと自体をテーマにすることでしのいでます。

ただ、この中途半端なやりかけ仕事に囲まれた生活というのは、僕が生きている限りずっと続くんでしょうね。
ということは、ずっと何かを思ったり、考えたり、感じたりし続けるってことですね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。