加齢とともに、感情の記憶力が衰えていきますね
2020.12.30
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。こんな時期なので一年を振り返ってみたりするのですが、出来事とそのときの感情が上手くセットになってないんですよね。なので「歳を取ると感情の記憶力が衰えるのかな」などと思っています。かなり前から、こういう現象には気づいてたんですけどね。
感情の記憶力
加齢とともに、感情の記憶力が失われていっているように思います。
こういう時期なので、この2020年に起こったことや、やったことを振り返っているのですが、それらと同時に僕の中から生み出された感情を上手く思い出せないのです。
もちろん「マンションに買い手がついた、嬉しかった」とか「引越屋に何を訊ねても返事が返ってこない、腹立たしかった」などと、出来事としては記憶しているのですが、そのときの気持ちを復元できないんですよね。
僕は50代半ばを過ぎているのですが、ときどきふと昔の感情が蘇ることがあります。
「うぁぁあ、あんときゃ恥ずかしかったな」とか「嬉しさのあまり、膝が震えて動けなくなっちゃった」みたいな、状況の記憶よりも先に、そのときの感情が突然蘇る感じですね。
こういうことは若いころから頻繁にあったことなのですが、その感情にまつわる出来事が10代から30代くらいの間に限定されてるんですよね。
不思議とこの10年くらいに体験した感情がぶり返すことはないのです。
50年以上も生きていると、たくさんの出来事と出会っているし、それに伴う感情もセットになっているのです。
古い記憶は、出来事の細かい部分は忘れてしまって感情だけが残っているから、感情を思い出す。
新しい記憶は、まだ出来事の詳細を覚えているので、感情よりもそちらの方を強く思い出す。
ってこのなのかな? などとも思ったりするのですが「それにしても、この1年程度の感情を思い出せないのはどういうことだ?」とも思うのです。
結果「歳を取ると、感情の記憶力が衰えるんだろうな」みたいなところに着地しています。
一般的にそうなのか? 僕だけがそんなふうに思っているのか? 誰かこれについて研究したりしているのか? ググってみたけれどもよく分かりませんでした。
年々、いろんなところが衰えていきますからね。
巷間言われる「人の名前を思い出せない」とか「あれ? この部屋になに取りに来たんだっけ?」なんていう体験は日常茶飯事になっていますので、全体的に記憶力がポンコツになっていても何の不思議もありません。
当然ながら、瞬間々々の感情はちゃんとあるんですけどね。
「老いると感情の制御が難しくなる」みたいな話も聞きますし、これは加齢とともになくなるものではなさそうですね。
でも、それが残らなくなってるんですよね。
パラパラっと崩れていく感じ。
いつまでもクヨクヨしなくなったとか、誰かのことを延々と憎み続けるようなことがなくなる、という意味では良いことなのかもしれませんが、見たこと聞いたことを血肉にする力も失ってるような気がしてるんですよね。
ブログを書く習慣は、自分と対話する習慣
前項で述べた「加齢とともに、感情の記憶力が失われる」ような現象について、なんとなく以前から感じてはいたのです。
こうしてブログを書くようになったり習慣化されたことと、無縁ではないと思っています。
何かしらの道具を使わないと、出来事や思考と感情をセットにして整理できなくなってるのですよ。
メガネとか補聴器みたいなもんです。
昨日考えたことなら、朝起き抜けに復元できるし、数日前の出来事くらいならばまだ、出来事の詳細と感情がセットで残っているのです。
その状態でブログに書き残しておくと、何もしないよりは記憶に残りやすいような気がしているのです。
だからといって、何かが上手く進むわけでもありませんけどね。
そういう習慣を持つことで「オレ、ちゃんと頭を動かしてるな」という気になれるし、「明日の朝もブログ書くんだから」と思うことで、常に頭をアイドリング状態にしておけるのです。
先日投稿した「人生における仕事の役割を、過大評価してたかもしれない」で「仕事もいいけど、健康とか学習の継続のほうが大切だよ」みたいなことを書いたのですが、こうして毎朝ブログを書くことで、記憶力の衰えに抗ってるんですよね。
ブログを書くと「これやったとき、なに考えた? どういう感情だった?」って、自分の中にもうひとつの視点を置いて整理する工程が生まれるのですよ。
その過程で「この先なにやりたい? どう生きたい?」という対話も自分自身とできるのですよ。
ブログを書く習慣は、自分と対話する習慣なんですよね。
頭を動かして、ものを考え続ける習慣なのです。
思考が独りよがりになりがちな危険も孕んでいるのでしょうが、結局、自分のことは自分で決めるしかないので、これでいいのです。
誰かの意見を取り入れても、参考にはなるけれども、決して自分のものにはなれませんからね。
身体も頭も
僕は、もうひとつの習慣である朝ランにも似たような効能を見出しています。
朝ランするから体調いいし、体調いいから朝ランが快適なんですよね。
(参考:田舎の朝ラン事情。日の出時刻の影響大ですよ)
週に3・4回、ちゃんと身体を動かし続けることがすごく大切なのです。
そして、身体と頭って連動してると思うのですよ。
身体が鈍(なま)ると、頭が錆びます。
身体が鈍って頭が錆びると、人が老いるのです。
老いるのは仕方ないといえば仕方ないのですが、抗えるものなら抗いたいし、老い方も自分で選べるところは選びたいのです。
そのためにセミリタイア人になって、萩に移住したという経緯もありますしね。
(参考:[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる)
過去にも何度か、ブログを書くことの効能とか、健康を維持することの大切さについては記事として投稿していますが、最近なんとなく「感情の記憶力が衰えてるぞ」ということが気になっていて、再度考え直してみた次第です。
これからも「この機能が低下してる」「この能力を失ってる」みたいなことを体験し続けることでしょう。
そのたびに微調整しつつ、老いに抗っていこうと考えています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。