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継続できているのは、匿名のその他大勢でいられるから

2021.02.03

こんにちは、萩ドットライフ()です。

個として認識されずにその他大勢の立場でいたほうが、肩肘張らずに自分と向かい合うことができて、快適なことってありますよね。僕がこうしてブログを毎朝書き続けられてるのって、匿名にして、実生活と切り離していることが大きいと思っています。

匿名ブログにして良かったと思ってる

このブログの記事数が1,000本を超えたことは、先月「とりあえず1,000記事投稿してみた。さてどうしよ…」にて投稿した通りです。

僕は自分のことが「飽きっぽい性格」なのか? 「粘り強くコツコツ続けることが得意な性格」なのか? いまいち把握できていません。
ひとにも「オレって飽き性だからさ」と言うこともあれば、逆に「いったん始めたからには…」みたいな主張をする場合だってあります。

場合によったり、取り組む事によったり、会話している相手にどう思われたいか? によったりするんですよね。
おそらく、みなさんそんな感じなんじゃありませんかね?

ただ、何かを書き続けるということにおいて、ここまで継続できたのは人生初のできごとです。
そして、何となくではありますが「今後も継続するんだろうな」と思えているのです。

ここまで継続できた理由を考えてみると「セミリタイアして暇になったから」とか「オッサンになって早起きになったから」「同居人がいなくなって、自分のことだけ考えていれば良くなったから」などなどが挙げられます。

でも、一番影響が大きかったのは「匿名ブログにしたから」だと思うのです。
ブログのことは、ブログ本体とそれに紐付いたtwitterだけで完結するので、完全に実生活(=僕本体)と切り離して運営できてるんですよね。

それがなかなか心地いいのです。

個として認識されたら、とたんに居心地が悪くなる

どんなお店でもそうなのですが、僕はわりと「その他大勢」でいられることが快適なのですよ。
ちょっと常連っぽく扱われ始めると、とたんに居心地が悪くなっちゃうんですよね。

だいたい『いつもありがとうございます』って言われ始めると「あれ? 『いつも』って言われたな…。マズいことになったぞ」と感じるようになります。

このまんま「いつもありがとうございます」「はい、また来ます」くらいのやりとりがずっと続くのなら、大したことはないのです。

それが「○○さん、いつものこれっすね」とか「お忙しいんですか? いや、最近来られないな〜とか思ってて」みたいな感じに展開していくと、ちょっとムズムズしてくるんですよね。で、結局足が遠のいちゃうんです。

まぁ、「人」によったり、「状況」によったりするんですけどね…。
過去には、行くたびに20〜30分くらい雑談してから店を出るのが習慣化してたことも皆無じゃありませんでしたからね。

でも、概ね僕は個として認識されたとたんに居心地が悪くなることのほうが多いのです。
それをきっかけに、そのお店に行かなくなっちゃっうことのほうが多いのです。

このブログに関してもそうなのです。
自分が「萩ドットライフ」モードになっていないときに、このブログに関することをあまり話題にされたくないのです。

これまた「人」によったり、「状況」によったりするんですけどね…。

語りたいときは、相手やタイミングを選びたいのです

最近ずっと、facebookやtwitterの本名アカウントに投稿していません。
本名twitterに至っては、鍵をかけてしまいました。

以前「facebookを使うのをやめた理由」という記事を投稿したことがあります。
facebookに関しては、ときどき触ってみたり、また遠ざかったりを繰り返しています。

今は、友達申請があったことが通知されたら、そのついでにタイムラインを眺めるくらいでしょうかね。

facebookは、投稿したことに対して、メッセージやメールで個別の話題にしてくる人が鬱陶しいのです。
ずっとコメントで会話を続けようとしたりね…。

50代後半の僕の「友達」なので、オッサン・オバサンが多いのですよ。
だから、どうしても個対個のコミュニケーションに持ち込みたいのでしょうね…。

決して「オレに構うな、ほっといてくれ」ってわけではないのです。

やっぱり「人」によったり、「状況」によったりするんです。繰り返し書いて煩わしいでしょうが…。

なんとなく「この人に話したいな、聞いて欲しいな」ってこと、ありますよね。
仲がいいとか悪いとかじゃなくて、ほんとに「なんとなく」な感じなんですけどね。

そして当然、ちゃんとコミュニケーションを取れる環境でお伝えしたいのですよ。

何が言いたいのかというと、こうして「その朝」考えていることをダーっとブログ記事に書きなぐって、投稿するような行為は匿名のその他大勢の立場でいたほうが気楽なのです。

だから、継続できるのです。

その代わり、ブログに投稿した内容を含め、ずっと考えていること行動を起こしたことを、ちゃんと語り合いたいときには、それなりの場を設けた上でやりたいのです。

対自分の場合、雑にできないから

この人とこのテーマについて話すのが、気乗りしない状況だったり、メールを何往復もさせながら、先方の好奇心を満たすために時間を奪われてるような場面だと、どうしても自分の思考が雑になっちゃいますよね。

それを避けたいのです。

こうして、毎朝ブログを書いているとき「なんでもいいから、とりあえず書いとけ」みたいな雑なことにはしていません。
これは自分自身の記録でもあるので、ちゃんと考えてることを、もうひと絞りしながら文字にして行ってるんですよね。

以前「量と質どっちが大切? について考える」で、「質を求め始めたらキリがないから、自分のできる範囲で量を確保しよう」みたいなことを書いたこともありますが、それとは少し違った意味合いで「丁寧/雑」を使っています。

あとで読み直して「なんだ、これ?」なんてのはいっぱいありますけど、書いてる最中は、それなりに丁寧に考えているのです。

途中で「あれ? 何が言いたかったんだっけ」とか「書き出しと書き終わり、考えてること違ってるぞ」なんてことも多々ありますが、それなりにその日の朝の思考の記録なのです。

大袈裟な言い方をすれば、自分が宿る場所なんですよね。

生きているかぎり、何をやるにしても他人の存在を無視することはできません。
僕の場合、自分と向き合う感覚を上手に得られるものが、継続できるものになりがちなのかな? という感触を持っています。

対自分の場面が多いほうが、思考が雑になりませんからね。
「他人に見せて承認されたい」という欲求がないわけじゃありません。むしろ、強く持っているほうだと思っています。

でも、そこに至る過程で「丁寧に自分と向き合いたい。変な邪魔されたくない」という欲求のほうが、もっと強いんでしょうね。
だから匿名で、実生活上では誰からも話題を持ちかけられないことで継続できている部分が大きいと思っています。

逆に言うと「雑に扱ってオッケー」という判断をしたものが、すぐに飽きてしまうものということなんでしょうね。

このへん、もうちょっとしっかり考え続けて、しっくりくる言葉を探してみたいと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。