ムダなコトがしたいから、セミリタイアするんだよ
2018.08.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ヒト様から「そんなことやって何になるの? ムダじゃん」って言われることが自分の人生を豊かにしてくれてることって、ありゃしませんかね? 人間関係において、同じムダを共有した経験って意気投合するためのツールとしても優れていると感じるのです。
「楽しみを見つける」みたいなことでしょうかね
ムダなコトって、忌避されますよね。僕も、仕事上で「そんな工程作るの、ムダでしょ」みたいなことはよく言います。
基本「効率イイ」が正義ですよね。
そんなことは百も承知ではあるのですが、子供のころから昔っからずっとムダなコトばっかりやってきてますよね。僕だけじゃないと思うんですよ。
子供の頃は、公園に言って、延々と虫採って、ポケットにギッシリ詰めて家に帰ってたり、裏庭の木小屋にこもって謎のオモチャを自作し続けたり、漫画ばっか読んでたり…。
大人になってからも、単行本の小説ばっか読んでたり、パソコンの周辺機器いらないのいっぱい買ってたり、固定IP契約して自宅でサーバー立てたり、着もしない服を色違いで揃えたり、高い酒買ってみたり、一円にもならないのに、知人の会社のホームページ作ってあげたり…。
そんときゃ、それなりに楽しいのですよ。でも後から考えて「あの時間、勉強してたら偏差値高い学校行けたのかな?」とか「仕事関係の本読めば、もう少し収入増えたのかな?」とか、そこそこの後悔はするワケです。お金もいっぱい使っちゃってますしね。
でもやっぱり「楽しかったんだから、仕方ねえか」ってなるんですよね。
ムダによって自分の幸福度が高められてたから、ギリ今の自分になれたんじゃないか、と。ムダを削ってたら、もっとショボい自分だったような気もするんです。
ムダなコトで人は結びつく
会合とかで、はじめてあった人と仕事以外の話に広がっていったとき、どんな話します? 当たり障りのないところで、出身地とかでしょうかね? そのへんから、趣味とか、昔やってたスポーツ、見てたアニメなどなどと広がっていく感じですかね?
その中で「共通のスポーツをしていた」「共通のアニメにハマってた」みたいなことがあると、そこから一気に話が弾み始めるんですよね。意気投合しやすいんだと思うんですよ。
その背景には、趣味に関する話って、社会的な地位や金銭的収入、学歴みたいなものを無視して、その場を楽しむことができるからなんじゃないかと思うのですよ。
でも、大人になってからの「ムダ」は、ちょっと社会的な階層が影響してくるような気はしますから、一概には言えないかも知れませんね…。
それでも「時計に散財した」とか「クルマ好きでガレージ作った」とかは財力を前提としますが、好きなひと同士は意気投合しやすそうですもんね。
大切なのは「同じムダを共有してる人同士は、一気に距離が縮まるよ」ってことだと思うのです。
ムダが楽しさを生み出してくれる
ムダなコトというのは文化活動なのですよ。損得とは関係のないところで「これ好き」って言いたいのですよ。ムダなコトじゃないとダメなのです。
実はこの記事、ついさっき「年齢とともに「好きなこと」って変わっていくし、変えようともする」って記事書きながら思いついたんですが、うまくひとつにまとめられなかったので、別の記事に仕立ててるのです。
仕事も「これ好き」から始まって、学習するし、成果を上げるための努力を継続する。趣味も「これ好き」で、全力で楽しんでいく。
これ、両輪なんですよね。
このふたつが上手く回ってくれるから、豊かな人間関係に出会うこともできるし、人生のクオリティが上がるのだと思うのです。
ただ最近、心のどこかで「ムダなコトして楽しむ感覚を失ってるな」と思ってるのです。精神的に余裕がないと、ムダを楽しむことはできないのですが、そのへんが上手くまわってない印象なんですよね。
セミリタイアして、ムダの範囲を広げたいのです
勉強とか仕事とかを「ムダじゃないこと」って定義すると、子供のころって、ムダなコトをやってることの方が多かったですよね。
公園で野球やサッカーしたり、ピアノや習字のお稽古にいくのも、別にプロを目指してるわけじゃないから、ムダなコトっちゃあムダなコトですよね。
子供のころは延々とムダなコトをしていたのです。
まだしっかりとデザイナーとして、生活が確立できたなかった頃、お金もらわなくても、Webサイト作ったり、デザインしてることが楽しかった。「楽しくてムダなコト」だったんですよね。
それが、生業になって、お金をもらいながら制作作業をする生活を続けていった結果、いつしか「お金もらえないなら作らな〜い」って自分になっちゃった。こうなったら軌道修正難しいっつううか、メンドくさいんですよね。
だから一旦、心に余裕を取り戻したいのです。
「お金もらえなくても、楽しいからこれ作る」を求めてるんですよ。ムダなデザイン作業したいんですよ。
そのために「ムダじゃないこと=仕事」の範囲を狭めたいのです。だからこそ「セミリタイア」なのです。
新しい「ムダなコト」にも出会いたいのです。
趣味にしても仕事にしても、初心者に毛が生え始めたくらいが一番楽しくて、頑張れるような気がするんですよ。だから、また何かの初心者になろうと思っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。