終末をイメージしながら生活を作り変える
2018.09.04
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。50歳を超えると、同世代の著名人の死がメディアで報じられることが、珍しくもなんともないことになっていくんですよ。当然のように「他人事じゃないな」って感じますよね。もっと人生をシンプルに絞り込まなければならないような気になってきているのです。
50代って人生の終末を意識し始める時期なんでしょうね
50歳代になってから、日に日に自分の「死」を感じることが増えてきています。40代のときって「まだ半分」「まだ折り返し地点」だったんですけどね。50歳を超えるともう、今までの人生よりも、これからの人生のほうが短いわけです。
同級生も死に始めますし、同世代の著名人の死を聞くことも珍しくなくなります。
こういう感情って、自分を変化させる転機となってくれると思うんですよね。僕はわりとポジティブに捉えてるのです。
「ムダなことしてるヒマないな」とか「イヤなヤツを視界に入れたくないな」みたいに、とにかくシンプルな方向に人生を向かわせようという欲求が強まるのですよ。
雑念が減っていくというか、余計なことに関わりたくなくなって、今までと違うところに集中力の焦点が移っていくんですよね。
明らかに40歳代とは違うことを考えています。たぶん、自分自身を「鍛える」から「研ぐ」にフェーズが変わってきてるんじゃないでしょうかね?
新しい工程に向き合うために、一旦カラダを清めたいような気がしているのです。
自分を「ベテラン」と呼ぶ世界から、自発的に干上がってみる
Web制作や広告制作の業界で、Webデザイナーが「ベテラン」って言われるまで生きてこられた能力って、デザイン力でもセンスでも、技術力、営業力、コミュニケーション力でもなくて、自分なりの居場所を勝手に設定して、偶然誰かに承認される能力なのだと思うのですよ。
うまく言語化できなくてイライラするんだけど、僕よりも優れてるデザイナーなんて、いっぱいいますもん。
ひとことで言えば「運がいい」なんでしょうね。
おそらく今、自分の居場所を変え、承認してくれる人を選び直す準備を始めようとしているのですね。そのために、じっくりと考える時間が欲しいのです。
僕は自他ともに認める「ベテラン」です。業界内の古参作業員という意味ですね。
他の記事でも書いていますが、僕が「ベテラン」と呼ばれる、Webデザイナー業を長く続けたいとは思っていないのですよ。
ただ長く、職業人ではありたいし、生産者ではありたいのです。
自分の職業寿命を伸ばすために、今いる世界から離れてリセットしたいんですよね。
業界からも、東京からも、です。
「撤退戦をコンテンツ化してみる」で書いたように「フリーランスのWebデザイナーって、不要になるかもしれないぞ…」って考えも持っているので、観察は続けていきたいんですけどね。デザイナー業はやめても、作業としてのデザインはずっと続けることになりますしね。
何歳まで働くんだろう
僕には定年なんかないので、ムリなく快適に自由に働ける状態にシフトしないとダメなんですよ。「自分が80歳のときの働き方」をイメージして、今から働き方のスタイルの調整を始めてるんですね。
50歳代になった今、ようやく自分の「死」を意識して「人生、研ぐか」と思い始めたところで、考えついたのが「職業からの離脱」とか「セミリタイア」「田舎暮らし」なんですよね。
僕はフリーランスだから、ずっと「定年なんかないよ」って思ってきました。
だから「生涯現役」って、労働だけの話じゃなくて、資産運用や居住地選択みたいな準備に関することも含めて、「自分で生きていくチカラ」って基本中の基本なんです。
でもこれって、サラリーマンの方にも当てはまりませんかね?
退職金もあるし、厚生年金もあるしで、フリーランスよりは好条件なんでしょうが、せいぜい75歳くらいまで働くのが標準になりゃしませんかね?
そもそもの会社選びにおいて「75歳まで働く」をイメージする必要があると思うのです。
おそらく「75歳まで雇用延長してくれる会社が、いい会社」ってことになるんでしょうかね? 僕はとくに否定しません。「そりゃいいね」と思います。
でも僕が今、新社会人になろうとしているならば「40歳くらいの従業員の方が、自分で生きるチカラを持ってそう」な会社を選ぶと思いますし、そういう観点でリサーチすると思います。
これからも二転三転するんだろうと思います
そう考えると、僕は社会人になって30年くらい経ってるんですね、そして、同じくらいの期間が残ってるのです。
人生は後半戦ですが、職業人としては折返しくらいなのかな?
これからだんだんと、役割も機能も削っていって、だんだんと駆け出し時代と同じ「役立たず」に戻っていくことになるんだろうと思っているのですが「もう残りわずかですよね」でもあり「まだまだ長いですよね」でもあります。
過ごし方次第で、まったく別のものになる要素は、まだまだたっぷり残っています。反面、無為に過ごせば、あっという間に過ぎ去っていく期間だと考えます。冒頭から繰り返しているように「ムダの排除」が、とても肝心なのです。
たぶん5年後くらいに、自分でこのブログを読んで「若いな」「未熟だな」などと思うんだろうなと予想するのです。そのときには、全く別の事を考えてるような気がするんですよね。
そのとき社会には、現時点で存在していない職業がたくさん登場してて「これやりたい」「これ楽しそう」と考える自分でありたいのです。「生産者でい続ける」「職業人でい続ける」って、「トライアルし続ける」と同義ですからね、ムダなことに時間を費やして、トライアルの回数を減らしたくないのです。
こういうところに意識を傾けながら、生活の作り変えを楽しんでいこうと、今の僕は思っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。