50代半ばのセミリタイア。まだ「何かやりたい」の途中
2018.12.18
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。思い起こせば、ずっと「何かやりたい」と思い続けてるような気がします。気がするだけかも知れません。今、まさにそう思っているし「以前からずっと、そう思い続けてるな」と感じているのです。「今やっていること」にそんなに不満がなくてもそうなのです。
セミリタイアも田舎暮らしも「何かやりたい」の一環なのですよ
僕は今、ずっとフリーランスのWebデザイナーを生業としているのですが、新規案件の受注を停止してセミリタイア状態になりつつ、東京と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活をはじめています。
ゆくゆくは萩市に完全に移住するつもりなのですが、東京の利便性も捨てがたいし、なによりも一定期間、二拠点生活というものをしてみたいという欲求があるのです。
「何かやりたい」って気持ち、みなさんはどうなんでしょうね?
「消防士になりたい」とか「世界一周したい」とかっていう、明確なことが「やりたい」のではなく、「何か」やりたいのですよ。
ずっとモヤモヤした感じなんですよね。
こういう感じって、みんなに共通してるもんなんでしょうかね?
言葉にできない感覚なので、知人・友人に確認のしようもないのです。
なんとなく「他人と違うこと」「今の自分を変えること」という要素は含まれてるようではあるんですよね。
そして、過去において何度か「何かやりたい」が「これしかない」に変わることがあるのですよ。
モヤモヤと感じてたものが、急速に解像度が上がっていく感じなんです。おそらく「思い込み」ってヤツなんだと思うんですけどね。
いまのところ「これしかない」になったものは、すべて行動に移しています。
行動し始めちゃってから「これしかない」って思い込んでるのかもしれませんけどね。
僕の今の状態、
- セミリタイア生活をはじめ
- 萩市への移住を決め
- ブログを書き始める
というのも「これしかない」という思い込みによって、行動しているのですよ。
思い起こせば、フリーランスのWebデザイナーとして、メシを食えているのも「何かやりたい」が「これしかない」を経て、カタチになったものなのです。
「何かやりたい」と感じる原因ってなんなんでしょうね?
決して「ヒマだな、なんか楽しいことないかな」という意味での「何かやりたい」ではないのですよ。
時間を持て余してるワケでも、生活がマンネリになってるワケでもないのです。
ましてや「今やってること」に不満があるわけではありません。
たぶん「成長欲」みたいなものがあるんじゃないでしょうかね。
でも、自分自身の成長って、なかなか実感できるもんじゃありませんよね。
だから、何かしらできることを見つけて、学習したくなるもんなんじゃないんでしょうか。
「学習欲」とか「努力欲」と言ってもいいかもしれませんね。
また、行動したり環境を変えると「好奇心」を満たされるので、楽しいんですよね。
そのきっかけをずっと探し続けてるような気がするんですよ。
簡単に言うと「常に変化を求めてる」ってことなんでしょうね。
自分の中にも「健康」「恋愛」「仕事」「人間関係」「お金」「趣味」などなど、いろんな要素があって、すべてが安定しているとつまんないし、すべてが変化していると不安になると思うのですよね。
たぶん、アタマの中で「変化」と「安定」のバランスをとろうとし続けてるんじゃないでしょうか?
したがって「何かやりたい」と「何もしたくない」は、一対になって存在しているはずなのですよ、僕が認識していないだけで。
「何もしたくない」を実現するためには、何もしなくていいワケですから、そりゃ認識する必要ありませんよね。
だから、もう一方の「何かやりたい」だけが、ずっと頭の中にいることになってるのかな? と考えています。
簡単なことから行動してみたほうがいいみたい
先ほど、
いまのところ「これしかない」になったものは、すべて行動に移しています。
行動し始めちゃってから「これしかない」って思い込んでるのかもしれませんけどね。
と書きました。
「これしかない」と思ったから行動に移したのか? 行動した結果「これしかない」と思うに至ったのか?
この辺りの順序って、自分でもよく判らなかったりするのですよ。
決断の記憶がないというか、決断していないのです。
「何かやりたい」が「これしかない」に変化していく過程と、「そろそろ始めるか」が「もう始めちゃったな」に変わりゆく過程は、同時進行なのかもしれませんね。
ならば、ストッパーを外す意味で、意図的に行動してみたほうがよさそうですね。
僕はどちらかというと、考えすぎて長い期間、逡巡し続けるタイプだと自分で思っています。
今から考えると「これしかない」に至りそうだけど、行動できないまま、意識からなくなってしまったものって、多かったんじゃないかな? と思うのですよ。
「もっともっと、いろいろ試せたはずだ」と。
やってみた結果「これじゃない」となることもあるかも知れませんが、そうなっちゃったら「やめよう」なのか「もう少し継続してみよう」なのかは、次のフェーズで折り合いを付ければいいと思うのですよ。
最終的に「やっぱ、つまんなかった。ムダな時間使っちゃったな」ということになっても、自分にはそういうの向いてないことが判ってプラス1だと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。