地方から若者が流出するのは仕方ない
2019.06.02
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「地域創生」という文脈でものごとを考えるとき、地方から若者が流出することが問題視されがちですよね。でも、僕はむしろいいことだと思っているのですよ。若者は自由に居住地を「選ぶ」べきだし、同時に地域の大人は「選ばれる」街を作るべきなのです。
自分が暮らす場所は、自分で決めよう
もともと僕は「若いうちに、一度都市部で生活してみたほうがいい」派です。
以前投稿した「住む場所って、人生を左右しますよね」で、
高い収入を得られる仕事は、都市に集まりますよね。「お金が欲しい」「面白い仕事に就きたい」のであれば、間違いなく都市を目指すべきだと思います。
都市同士も競争をしていますから、その中でも「新しい産業」がどんどん集まって来る都市を選ぶべきだと思うのです。
(中略)
ネット技術によって「住む場所はどこでもいい」時代になってるのに「面白い人」「優秀な人」って都市に集まるんですよね。
たぶん「集まる」って行為が重要なんじゃないかと思うのです。
と書いているように、若いうちになるべく広い世界を見て、刺激を受けたほうがいいと思うのです。
「都市部」というのは、言葉のあやみたいなものなのかもしれません。
本質は「自分が住む場所は、自分で決めた方がいいよ」なのです。
だから「これからは、地方の時代なのだから、若者は故郷に残るべきだ」という論調には大反対です。
僕らオッサン・オバサンは、若い方々に「どこで何をしたいかは自分で決めろ、街に残ることを前提にするな」と都市部への転出を促しつつも「いつか、この街に帰って来たい」と思わせるような環境づくりを進めることが役目なのだろうと思っているのです。
ひとまず、流出する若者のことは、後ろから風を送って応援しましょ。
僕自身が、大学進学と同時に東京へ転出し、そのまま50代半ばまで40年近く生活しました。
生まれた街・山口県萩市で過ごした時間よりも東京で過ごした時間の方が、はるかに長いのです。
そして今、再び萩市に移住しようとしています。
高校時代までの友人とは「帰ってくる」という言葉を使って会話をしていますが、これだけ長らく離れていたのですから、もう「帰省」じゃなくて「移住」ですよね。
途中、まったく故郷に興味のない時代もあったのですよ。
フリーランスのデザイナーになって、仕事を趣味にして没頭していたからということもありますが、とにかく「田舎で暮らす」なんて一切考えることなどない時期がありました。
10年近く実家に帰らなかったし、両親や兄弟とも没交渉になっていました。
それが今「田舎で暮らしたい」「田舎といえば、生まれた街・萩に決まってる」と考えているのです。
自分の考え方が変わった理由を検証しつつ、地域創生の文脈で語られる「若者の流出」について考えてみようと思います。
地方じゃダメなの?
僕が「地元に戻ろう」と考えたのは、人生で二度目です。一度目は大学を卒業するとき。
当時僕は、大学の体育学部に通いながら、バレーボールをやっていたのです。
とはいえ、企業チームからオファーがあるようなスタープレーヤーでもなかったので、教員になろうと思っていました。志望したのは山口県の公立高校です。
どこかしらで「高校まで自分が育った地元で恩返しがしたい」と思ってたんですね。
地縁もあるし、知ってる人も多かったということも理由でした。
大学に進学するときに、後ろから風を送ってもらったという感触もありましたから、次は自分が送り出す側になりたかったんですよね。
同時に思っていたのは「山口県に帰るのならば、教員以外考えられない」ということでした。
「自分の会社が持ちたい」という道を選ぶのであれば、絶対に東京だ、と。
山口県の会社に就職し、数年後に独立して自分の法人を登記するなんて、考えてもみなかったのです。
結局、教員採用試験は落ちました。
山口県に帰って中学・高校で講師をしながら、再試験に備えるという道を選ばずに、もうひとつ思い描いていた「自分の会社が持ちたい」という夢を叶えるために、東京で会社に就職することを選びました。
当時、1980年代の終り頃。世間はバブル景気に湧いてた時代でしたから、その影響を受けてたのかもしれません。
そして今、再び僕は「生まれた街・山口県萩市に帰ろう」と思っています。大きな理由は「年を取って、人生のそういうフェーズにさしかかったから」でしょうね。
両親も高齢になりますので、その面倒を見なければならない、ほったらかしにするわけにはいかないという、責任感が当然あります。実家に弟はいるのですが、すべて彼に被せると簡単に家庭は崩壊するはずなのです。
郷愁もありますし、都市生活疲れも感じるようになりました。
不便だとは解っていても、人生の一時期を田舎で暮らしたいのですよ。うまくいくかどうかは別にして、とりあえず試してみたいのです。
(参考:[フリーランスの老後]ふたつのフェーズに分けて準備する)
また、僕が社会に出たときと比べて、大きく変わった社会環境を享受したいという欲求もあります。
僕は現在、定例会や打ち合わせなどの「対面ミーティング」に一切顔を出していません。東京と萩市を行ったり来たりする二拠点生活をはじめて数ヶ月経ちますが、仕事仲間が僕の居場所を気にすることはなくなっているのです。
もう、東京の仕事をするために、東京にいる必要はありません。
同じように、都市部にいる人と地方にいる人が同条件で、新しい仕事に取り組むこともできるはずなのです。
この人生の転換期の今、僕は「田舎に移って、自分で仕事作ってみる。ダメかもしれないけど試してみる」ということをやってみたいのですよ。
僕はオッサンなので、これまでに働いてきた蓄えが少々あります。もし失敗しても、人生が破壊されるところまではいかないはずなのです。
問題は「仕事がないこと」なんですよね
若者が流出するのって、仕事がないからなんですよね。
「そんなことない。地方は人手不足で困ってる」という意見も耳にしますが、それってミスマッチなんですよね。「誰もやりたくない仕事が余ってるから、その職に就け」って、そりゃダメでしょ…。
それはそれで問題なんでしょうけど、今回の話とは分けて考える必要がありますから、これ以上は触れません。
「地方には仕事がない」ということで、話を進めます。
そんな中で、僕が「ネットで仕事やってるよ」って事例を作れば「あんなオッサンでもできるんだから、自分はもっと上手くできる」って人が増えてくると思うのですよ。
「あそこんちのオジサン、どこにも勤めに出てないけど、家でパソコンで稼いでるらしい」
こういう話が速く広まるのが田舎なのですよ。
僕は20年以上、フリーランスのデザイナーを生業としています。
サラリーマンのように、通勤場所や業務時間の制約がありませんし、完全リモートワークで作業をしていますので、居住地の制約を受けないのですよ。
現に今、東京と山口県萩市を行ったり来たりの二拠点生活をしています。
「仕事がない」とされている田舎に居住することが可能なのです。
安易にフリーランスを勧めるつもりもありませんが「あのオッサンみたいな生活、試してみる価値、あるんじゃない」くらいことを考えてもらうのきっかけになれれば嬉しいのです。
僕は地域創生に興味があります。
でも「セミナー先生」や「補助金ハンター」になることはしたくないのですよ。
まずは、自分で好きなようにやってみて、なんとなく成果を上げて。
その後で「こんなふうにやってみたら、できたよ」みたいな話を聞きたい人がいれば喜んでしたいと思っていますし、ブログや他媒体にも記録し続けようと思っています。
「仕事」って「職場」のことではないのですよ、「収入」なのです。
「自分を雇ってくれる人がいない=仕事がない」と考え方を硬直させる必要もなかろうと思うのです。
出ていくことが問題じゃない。選ばれないことが問題だ
最近のニュースに接していると、もう終身雇用なんてありえませんよね。
実は、僕が社会人になる30年以上前にすでに言われてたことなんですけどね。十分持った方だと思います。
おそらく、定年という概念もなくなるのでしょうし、すでに退職金制度のない会社も存在しますよね。
そして、公的年金も老後の豊かな生活のためには、決して十分ではない。
20代前半で就職して、60代半ばまで勤め上げるという一本道は成り立たないのですよ。
人生の要所々々で、選択を迫られることになるのだと思います。
当然、居住地もなのですよ。
都市部でなくても、仕事はある(=収入は得られる)のであれば、30代・40代の現役バリバリが地方に住むことを選択することも十分考えられるのです。
そうなると、地方であることがメリットになるケースも増えてくるはずなのです。
住居が広かったり、自然に恵まれていたり、行政や商工会の人たちと絡みやすかったり。
決して都市部にはないものがたくさんあったりするのです。
前述の通り、地方で生まれた若者には「どこで何をしたいかは自分で決めろ、ここに残ろうとするな」と告げるべきなのです。
一方で、他地域に暮らす方々に「この街で暮らしませんか」というアピールはし続けるべきです。
「他所から来た人が暮らしやすい街」こそが、「出ていった人が帰って来たがる街」だと思うのです。
地方で育った若者を、その地方に留めようとするべきではありません。
人生の節目で、生活の場を選択しようとしている人に「選ばれる」街になるべきなのです。
「外から移って来た人・帰ってきた人が、ほんのちょっと街の空気を変えた」「街の人もその空気に触れて、ほんのちょっと言うことが変わった」みたいな「点(ドット)」が、いっぱいできればいいな、と思っているし、僕も萩市に移住しつつ、そういう点(ドット)の中のひとつとして生活したいのです。
だから、このブログのタイトルは「萩ドットライフ」なのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。