「田舎に移住しても、仕事なんてないよ」という言葉
2019.06.03
最終更新日:2020年07月29日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「田舎には仕事なんてないよ」って。「いい街ですね、移住して来たいなあ」みたいなことを言われたときに咄嗟に口をつく、定型句として使われてる言葉なのかも知れませんね。事実でもあるんでしょうが、言葉から作られる空気ってのもありますよね。
この週末に東京から、萩の作業場に移動してきました。
現在、東京と山口県萩市の二拠点生活をしているのですよ。
そうしている理由は、いろいろと複合しているし、「なんでオレ、こんなことしてるんだ?」と考えるたびに違ってるし、次々と新しい理由を思いついたりもするので、スカッとひと口で述べることはできませんが、概ね、
- 両親が高齢で不安
- 萩市へ移住する予備行動
- 東京のコミュニティから気配を消そうとしている
- 定期的な環境の変化が心地いい
みたいな感じでしょうか。特に何かに切羽詰まってるというワケではないのです。
東京から萩市へ移動するためのルートは、主に3つ。
- 山口宇部空港ルート
- 萩石見空港ルート
- 新幹線「新山口」駅ルート
なのですが、僕はいつも「山口宇部空港ルート」を使っています。
空港から萩市内までの所要時間は一番長いのですが、飛行機の便数が多いのですよ。
山口宇部空港から萩市内までを直通で結ぶ、公共交通機関はありません。
以前は、直行バスがあったのですが、現在は廃止されています。
そのかわり萩近鉄タクシー㈱が「乗り合いタクシー」というサービスを提供しているのです。
自宅まで送り届けてくれるので便利なのですが、前日までの予約が必要です。
40年ぶりに出会った後輩は、漁師をやめていた
今週末の移動も、いつものごとく「乗り合いタクシー」を使用しました。
空港に着くと、専用のカウンターがありますので、そこが待合場所になっているのです。
ずっと気にはなってたのですよ。
手荷物を受け取るターンテーブルのところから、カウンターが見えるのですが、そこにいる運転手さんがずっと僕の方を見てるのですよ。
ほぼ毎月、乗合タクシーを使っているので「覚えられてるのかな」とも思ったのですが、どうもこれまで一緒になったことのある運転手さんでもなさそうなのです。
手荷物を受け取り、カウンターに近づき「予約した、萩ドットライフ(もちろん本名を名乗りますよ)です」と告げると「萩ドットライフさん、大変ご無沙汰しています」と…。
よくよく見ると、中学校時代のバレーボール部の後輩でした。約40年ぶりの再開。
文字通り「乗り合いタクシー」なので、同乗の方もおられます。僕と運転手で昔話に花を咲かせるのもあまりいい気がしないだろうと少し控えてはいたのですが、運転手(後輩)は、平気で「今、何してるんですか?」的な話を振ってくるし、同乗の方もご自分がしたい話をどんどんしてくる方だったので、結局は特に気にすることもなく、プレイベートな話をするモードに。
僕は、彼が中学校卒業後に水産高校に進学したところまでは把握していたのですよ。
ただ、彼の実家が漁師だったことも、船を彼が継いだことも知りませんでした。
昔は萩市の漁師って、羽振りが良かったのですよ。
同級生が「お年玉、20万もらった、30万もらった」みたいな自慢をしてるのが羨ましくて仕方ありませんでした。
担任の先生も、そういう漁師カルチャーを知っていたので、クラスのみんなの前で「○○。お年玉、なんぼ集まったか?」って尋ねてましたからね。
当時は「職業によって、いろんな文化があるものだな」と驚いたものです。
「仕事なんてありませんよ」
当然、僕も近況を告げます。
「フリーのデザイナーだから、萩に帰ってきてるからといって、休みってワケじゃないよ」とか「今、二拠点生活をしてて、東京と萩を行ったり来たりしてるよ」などなど。
そういう話の中で「父親も母親も、高齢で心配だし、オレも長い人生のうちの何年かは田舎暮らしをしたいので、そのうち萩に移住するよ」という話をしたのですが、そのとき即座に、
「田舎に移住しても、仕事なんてありませんよ」
という言葉が返ってきました。
おそらく彼は長らく運転手をしている間、多くのお客さんと萩市の景気や経済状況に関する話をしてきたのだと思います。
本人がもともと漁師だったにも関わらず、水揚げが減り、漁師を継続できなくなり丘に上がって、求職活動をするようになった。そして現在タクシーの運転手をしているという話を、僕にしてくれたように何度も繰り返してるのだと想像します。
その中で何度も「田舎に仕事なんてありませんよ」という言葉を言ってきたのでしょうね…。
移住者を拒むつもりなどまったくなく、かといって経済的に疲弊した街に住む自分たちを憐れむわけでもなく、実感として「仕事なんてありません」といい続けているのでしょう。
僕は「あれ? 萩にいても東京の仕事ができるよ、って話をさっきまでしてたはずなのに」とも思いましたが、彼がお客さん相手に何度も繰り返してきた、話のパッケージに入り込んじゃったんでしょうね。
ずっと萩で働いている弟も、前後の文脈関係なく「萩には仕事がない」言いますもん。
いろんなところで慣用句的に使われてるんでしょうね。
「仕事」とは「職場」じゃありません「収入」です
先日投稿した「地方から若者が流出するのは仕方ない」を書いてるときもずっとこのことを考えていたのですよ。
FacebookなどのSNSを観測しているとわかるのですが、田舎に暮らしながら自分で仕事を作ろうとしている人って、いっぱいいるのですよ。
「萩って、なんやかんややろうとしてる人、多いな」という印象も持っています。
僕自身が「萩に帰ろう」と思っているので、この街の人たちの活動が目についていることは間違いありませんし、萩市がシビックプライドの高い街だということも影響しているのでしょう。
萩に移動してきて、気の合う人たちと飲み食いしている分には「みんなこんなにも、この街のことを考えてるんだな」と気付かされるし、とても心地よい空間を共有できるのですが、一方で「そんなこと言ってる人たちって、ほんの一部の上澄みなのかもね」とも感じるのです。
多くの人たちにとって「仕事なんてない」「この街に未来はない」という空気が支配的だったりもするのですよね。
これって、地方全般に言える問題なのでしょうね。
東京にいてSNSをみながら「お、地方の人たちスゲえじゃん」とは思うのですが、実際に自分が移動してみると、違った空気も感じるのですよ。
残念ながら僕には「こうすれば、解決できるじゃない」という答えを出すチカラはありません。
以前「田舎で楽な仕事を作ろう」で書いたように、僕は「セミリタイア」という言葉を自分の都合のいいように解釈しながら、楽に長く働きたいのですよ。
そしてそれを、自分が生まれ育った街でやってみたいのです。
「仕事」とは「職場」じゃありません「収入」のことなのですよ。
田舎にないのは「職場」です。その上で、どうにかして田舎で暮らしながら「収入」を得ようとしている人たちが増えているような印象も持っています。
僕も、その中のひとりになりたいのですよ。
いろんなバリエーションがあると思います。
みんなが「自分はこんなことやってみたよ」とか「こんなことやってみた。上手く行った/ダメだった」みたいなことを思い思いに発信していくと、パクリ合ったり、他人のアイデアを自分なりに調整したり、組み合わせたりしながら、どんどんバリエーションが増えていくと思うのです。
そうすると、どこかしらに自分がハマる解決策も見つかるんじゃないかな? と感じています。
僕が、なんだかんだ好き勝手にやりつつ、こうしてブログに記録していることも、何年か後に誰かに見つかって「自分もこんなのやってみたい」と思ってもらえれば嬉しいのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。