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「平日昼間、遊ぶ友だち」を求める代わりに僕は、田舎を目指す

2019.08.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「平日昼間、遊ぶ友だちがいると人生楽しいかもね」なんてことを考える時期ってあるのですよ。定年退職をあと数年に控えた僕の同級生なんかそうなんじゃないのかな? でもそれ、良し悪しですよ。僕はダメでした、自分の時間のほうが大切な側にいるのです。

「平日昼間、遊ぶ友だち」は必要か?

30代半ばでフリーランスになったとき「オレは曜日に縛られない。月〜金なんて概念はもうないんだ」と思っていました。
「平日の昼間、一緒に遊んでくれる友だちがいれば、人生が充実するんだろうな」と。

現実は、クライアントのスケジュールに合わせて作業するので、概ね月〜金で働くことになることになりますし、急に暇な時間ができても、同じように暇な他人を探し出して「あれしよう。ここに行こう」なんてことを始めるのは億劫なのですよ。

「そういえば、今あの人、スケジュール開いてるはずだよな」と思いつくのは、仕事で絡んでる人に限られてしまうのです。

いっとき、平日昼間から飲めるところを探して、そこに集まってお酒を飲んでることが楽しかった時期もありましたが、すぐに飽きちゃいましたね。

ゴルフとか釣りとかキャンプなんてやってる人たちは、それなりに平日の遊び方を知ってるようでしたが、僕はそういうのやらないのですよ。

その頃と同じようなことが再び起こっています。
僕からの発信で「平日の昼間、一緒に遊んでくれる友だちがいれば…」と思っているのではないのです。
どうも、サラリーマンをしている同級生たちが、そういうことを考え始めているような気がするのです。

以前「50代になったら同窓会が増えた」という記事を投稿しました。
おそらく「定年後」の人生を考え始めてるのでしょうね。

みんなが「会社に行かなくなった自分」を想像し始めてるのではないでしょうか。
定期的に飲み会が開かれているし、LINEグループもできてたりします。
ゴルフをやる連中は、定期的に行っているようです。

僕は、LINEグループには入っていますが、ゴルフはやらないので参加しません。
飲み会は、数回顔を出しましたが「もう、しばらくは参加しなくていいかな」と思っています。

結局、昔話とあの人がど〜したこ〜したという話に終始するのですよ。
全員が同級生であるがゆえの「面白くなさ」が気になって仕方ないのです。

まあ、率先して幹事を務めたり、他地域に住む同級生が上京してくるたびに、みんなに声をかけてるヤツには頭が下りますけどね…。

おそらくみんな、まだ体験してもいない、定年後の「暇」を想像して「暇つぶし」することを考えているのだろうと思います。
僕がフリーランスになったときも、そんな感じでした。

代わりに僕は、田舎を目指す

ちゃんと統計を取ったわけでもなく、僕の思い込みに過ぎないのですが、世の中には「暇、つぶしたい派」と「暇、作りたい派」がいると思うのですよ。

「つぶしたい派」の人にとっては、同窓会きっかけで、数十年前の人間関係を復活させ、懐かしさをコンテンツにお茶したり、お酒飲んだり、旅行したりすることが楽しいのだろうとは思います。

なので、僕の同級生の一部も、これからずっと親しい関係を続けられるのだろうと思います。
それはそれで素敵なことだろうと感じます。

ただ、僕は「暇、作りたい派」なのですよ。

自分だけで自由に使える時間・期間を作って、いろんなことを考えたり、試したりすることが好きなのです。

人嫌いなのではありません。

場の空気を読み合ったり、あまり興味を持てない会話で、つまらない時間を消費するよりは、ひとりの時間を過ごすほうが快適なのです。

刺激的で楽しい会話ができるのであれば、何時間でもしゃべりつづけていたいと思っているのです。

それに加えて、僕は今「暇、作りたいフェーズ」にいるのですよ。
数年間にわたって、ガッチリと自分だけの時間を設けたいと思っているのです。

これまで20年以上にわたってフリーランス生活を続けてきました。
フリーランスと言えども、自分の価値観だけで行動できるわけではありません。むしろ、自分の価値観を他人にぶつけたり、他人の価値観との折り合いをつけたりと、摩擦を繰り返すことが仕事みたいな部分があります。

それが人の好き嫌いと直結するようでは、フリーランスをつづけることはできないのですが、それでも、ストレスにはなりますね。
当然、オッサンになると耐性も失われてくるので、キツくなってくるのですよ。

なので、いったん自分だけの時間を作り、ストレスから遠ざかるために「セミリタイア」とか「長期休暇」そして「田舎暮らし」などと言い続けているのです。

誰かの「平日昼間、遊ぶ友だち」リストに入れられる前に「田舎に引っ込んじゃったヤツ」になりたいのです。

「同級生なのだから、友だちも同然」なワケないのです

「あ、こいつ同級生だ。知ってる」と思えば、懐かしさは感じます。
「○○中学から来たヤツだったよな」とか「△△部だったよな」「同じクラスになったこともあったんじゃなかったっけ?」など、蘇る記憶は多いのですよ。

そういう記憶が次々と蘇り続けるイベントが同窓会なので、出席するとそれなりの高揚感はあります。そんなに嫌いじゃありません。

そして「こいつの話をじっくり聞いてみたい」とか「昔、気になっていたことを直接確認してみたい」と思うような「特別なヤツ」が多めに含まれていることも確かなのです。

でも、そのほとんどの人が同窓会参加者のひとりとしてならば、ニコニコと昔話で盛り上がれるけれども、少人数の飲み会で、しかも頻繁に会うのはキツい人々なのですよ。

大学はちょっと違う傾向にあるにしても、中学・高校に関しては、卒業後の人生がみんな違いすぎるのですよ。
今のことと、未来のことを話題にしても噛み合わないのですよ。
自然と共有できている「昔話」か、今起こってる世間一般のできごとを延々と語り合い続けることになるのです。

「暇、つぶしたい派」と「暇、作りたい派」が交わることって無理ですよね。

昔、友だちだったとしても、何10年も時を経ていれば、すでに友だちではないのですよ。
ましてや「同級生なのだから、友だちも同然」であるワケがないのです。

もちろん、友達関係が再構築されやすい間柄ではあるでしょうが、それでも「再構築」という工程は必要になるのです。

最近、僕は東京と、生まれ故郷である山口県萩市の二拠点生活をしています。
近い将来、萩に完全移住する予定です。

昔の友だちと会うことも少しずつ増え始めているのですよ。
なんとなく「こいつとは関係性が再構築されるかもな」という感触のある人もいますが「昔の思い出」よりも「今やってること」に強く左右されています。

いったん東京の人間関係を整理して「田舎に引っ込む」ことを選択している僕にとって、ずっと田舎に残りながら、自分の手で自分の人生を作ってきている同級生にとても興味があるのです。僕も、そうなりたいですからね。

でも、その人々は決して「平日昼間、遊ぶ友だち」にはならないと思うのです。
なぜなら、その人たちも「自分だけの時間を大切にする人(=暇、作りたい派)」のはずだからなのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。