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長期休暇へ。また1歩近づきました

2019.08.20

こんにちは、萩ドットライフ()です。

またひとつ運用中の案件がクローズし、無職に近づきました。完全に無職になったら1年以上の長期休暇を取るつもりなのです。その間に山口県萩市への完全移住を果たす予定でいます。ずっと考え続けていることの解像度が、どんどん上がっていくのです。

運用案件がひとつクローズしました

僕はすでにセミリタイア生活を始めている、50代半ばのWebデザイナーです。
30代から、もうかれこれ20年以上フリーランスとして働いています。

「好きなときに働き、好きなときに休む」ためにフリーランスになったのですが、実体はそんなわけもなく、クライアントのスケジュールに合わせつつの職業人生でした。
開業当初は「定期的にひと月以上の休暇を取るぞ」などとも思っていたのですが、一度もかなっていません。
(参考:フリーランスの長期休暇

フリーランスですから、サラリーマンの方のように退職した日からセミリタイアが始まるわけではないのですよ。
「セミリタイアするから、もう新規案件請けませんよ。いったん無職になって長期休暇を取りますね」と宣言してから、受け持ちの案件がクローズするごとに、少しずつセミリタイア感が増してきた感じなのです。

週に2・3日くらい程度しか働かなくなったころから、なんとなく「セミリタイア始まったかな?」と思うようになったのですよ。

「もう辞めることにしたのだから」と、案件を他の同業者に引き継ぐことも可能だったのかも知れませんし、考えなくもなかったのですが「辞めるからこそ、最後までキッチリとやろう」と思っているのです。

僕のメインクライアントは、マンションデベロッパーです。
新築マンションを販売するときの「物件ホームページ」を作って運用するのが僕の仕事です。
完売すれば、サイトクローズします。終わりの見えている仕事なのです。

そして先週末。またひとつ完売しました。
残るは1物件だけになりました。

また1歩、無職(=長期休暇)に近づいたのです。

長期休暇の間に完全移住を

現在、東京と山口県萩市の二拠点生活をしています。
セミリタイア生活に入ることを宣言すると、ほぼ同時に働き方を完全リモート化する試みを始めてみたのです。

僕の場合、僕とクライアントの間にディレクターを立てるカタチで実現しました。

当然、ディレクターの人件費分だけ、僕の取り分は減るのですが、それでも「もっと早くやっておけば、受注できる案件数も増えたかもしれないし、もっと選択肢の多い働き方が可能だったな」と少し後悔をしています。

若干の考え方や連絡方法の調整はありましたが、全く問題が発生しなかったのですよ。
むしろ「楽になったな」と感じる部分が多かったですね。ディレクターを務める人の能力に依る部分が大なので、要注意ではありますが…。

そして長期休暇が始まったら、その間に萩市に完全移住をすることに決めているのです。

「その気なのであれば、すぐに動いたほうが」とも思うのですが、まだ仕事が残ってる間にバタバタしたくないし、なんとなく東京の会社(フリーだけど法人化しているのです)として、今の仕事を終えたいという「ケジメ感」みたいなものもあるのですよ。

だから、

  1. すべての案件をクローズして
  2. 長期休暇をスタートさせ
  3. その後に移住を開始

という段取りを考えています。

おそらく「長期休暇」といえども、やることがたくさんありそうなのです。
萩市に移住しても、まずは「萩の作業場」と呼んでいる実家にいったん居候しつつ、自分が住む家を探したり、自動車の免許を取ったり、法人の移転手続きもしなきゃいけませんからね。

とうとう「地元に帰る」のか、と

移住先に決定している、山口県萩市が僕の生まれ育った街なのですよ。
大学進学を期に東京に出たのですが、途中何度か「地元に帰る」という選択肢とは直面してきました。

結果として、40年近く東京で暮らしました。

途中何度か「帰省」というカタチで萩を訪れたことはあったのですが、だんだんと「知ってるはず」の街の印象が変わってくるのですよ。
「自分の街(=ホームタウン)」だと思っていた場所が「想い出」になり、いったんの「忘却」と経てから、「もう一回、ここで暮らしてみようかなあ」と…。

親が、介助を要する年齢になってきたことも無関係ではありませんし、僕自身も人生の転機を迎えているのです。
いろんな事柄が混ざりあった結果が、50代半ばでの「地元に帰る」という決断なのです。

僕が社会人の駆け出しだった30年前、フリーランスになった20年前と違って「東京にいないとどうしようもないよね」という環境でもなくなりました。

田舎にいても「発信する人」「情報を作る人」でいられるんですよね。
「田舎を強みにする」という立場の人になれるのですよ。

よく言われることだし、自分でも「そうだよな」と頷くところが多い考え方です。
「ちょっと自分でやってみようかな、自分ができてから『できるよ』って言ってみよう」という気もあるのですよ。

僕は「東京はチャンスが多い街だ」と思ってきました。
実際そうだったと思います。

僕がこれまでフリーランスのデザイナーとして、メシを食ってこれたのは「東京にいたから」という理由が大きいと思っています。上手いこと僕に運が回ってきたのですよ。

ただ、同時に「マンネリ化しやすい街だな」とも思うようにもなりました。
いったん「食える」ようになると、それを手放すのが怖くて、同じことを繰り返してしまうのです。
人が多い分だけ、「できること」の繰り返しが、そこそこ通用してしまうのですよね。

「ここいらで、自分を変えないと先が見えてるぞ」と感じ始めたのですよ。

サラリーマンの方々と同じように60歳で職業人生を終わるのであれば、このままでいいのかもしれませんが、僕は「人生100年時代」を真に受けているので、あと20年くらい職業を持っていたいのです。
だから「自分を変える、環境を変える」で書いたように「環境を変えてみるか」と思い至ったのです。

この方法が上手くいくかどうかは、いまのところ謎です。
自分でいろいろと考えてはいるのですが「やってみなきゃ、わかんないよ」な部分が多いのです。

ただ、一歩一歩そのときに近づくにつれ、ずっとぼんやりと考えていたことが、だんだんとクッキリ解像度が上がりつつあることを感じているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。