ゆるミニマリストを目指してみよう
2019.12.30
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。新しい環境づくりと向かい合っていることもあり、購入する家のサイズとか、暮らし方のコンセプトなんかを考え続けています。断捨離によって、シンプルな空間の心地よさを再認識できたこともあり「ゆるミニマリスト」を目指そうと思っているのです。
「ゆるミニマリスト」という言葉
今さらながらではありますが「ミニマリスト」って、ちょっとした流行語なんですね。
「Google Trends」で確認してみると、2014年あたりから上昇し始めたワードのようです。
Google 広告の「キーワード プランナー」を見てみると、月間平均検索ボリュームが10万〜100万の結構なビッグワードですね。
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当然、僕も聞いたことがあったし、先日投稿した「断捨離したら、求める家のサイズが変わり始めた」でも使っているように、なんとなく「ミニマリスト」の意味するところくらいは理解していましたが、これほど多く使われている言葉だとは思っていませんでした。
オッサンになると流行に疎くなりますからね。
その記事内で、
この記事のテーマである「断捨離」について考えているうちに「ミニマリストっぽい生活スタイルもアリだな」と思い始めているのですよ。
あまり求道的にはなりたくないので「ほどほどに」ですけどね。
と書いているように「ほどほどのミニマリストをやってみたい」が今日のテーマなのです。
タイトルで「ゆるミニマリスト」っていう言葉を使ってみましたが、この表現、もうすでにいろんな方が使っておられます。
「プチミニマリスト」「ミニマリストもどき」「セミミニマリスト」でも何でも良かったのですが、すでに多く使われている「ゆるミニマリスト」を、僕も使うことにします。
(※「プチミニマリスト」も、そこそこ使われていますね)
以前なら「オレが使い始めたワードだよ」って、あとから自慢できそうなものを選んでたはずなのですが、最近はどうしても検索されることを考えちゃいますからね。
どうしても、すでに使われているワードを選びがちになりますよね…。
誰にも検索されない「造語」の取り扱いが、難しくなってますね。
ちょうど今、新しい環境づくりと向かい合ってるところなのです
以前「断捨離を実行することにします」という記事を投稿してから、実際にいろんなモノを処分しはじめてからというもの。身の回りからムダなものが減っていく心地よさを実感しているのですよ。
僕は現在、東京と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活をしていますが、断捨離を進めているのは「東京の作業場」と呼んでいる清澄白河のマンションの方です。
これは僕が買ったマンションなので、自分の好きなようにできるのですよ。
一方「萩の作業場」と呼んでいるところは、僕が高校まで育った実家ではありますが、今は親と弟が生活を営んでいる場所ですし、甥や姪の実家でもあるのです。
その中の1室を使わせてもらっているだけなので、僕の思い通りにすることはできません。
その「萩の作業場」がモノだらけなのですよ。
両親が高齢だということもあり、とにかくモノを捨てたがらないのです。
僕が滞在中に使わせてもらってる部屋も、半分が収納スペース、もう半分が居室みたいな感じになっているのです。
断捨離によって「東京の作業場」の快適さが増すにつれ、「萩の作業場」の居住性の悪さをどんどん不快に感じるようになってきているのです。
このブログのいろんなところで書いているように、僕は山口県萩市に完全移住するべく、物件探しを始めているところです。
(参考:萩市の古民家を内覧してきた)
実家は、弟に継がせることに決めているし、僕は僕で古い家を好き勝手にリノベーションしながら生活したいと考えているのです。
ものが少ない生活が快適なことも分かったし、せっかく新しい環境を構築するのだから、すべてにおいてダウンサイジングしてみようと思っています。
「寝室のある作業場(=1LDKくらい?)」程度の家を選び、ゆるミニマリストとして暮らすくらいの感じでしょうかね。
二つの習慣を作って、ゆるミニマリストを目指す
上述の通り、僕はあまり求道的なミニマリストにはなりたくないのです。
思いつくままにガジェット類を衝動買いするクセもありますしね。
「古民家再生をDIYでやりたい」なんて言ってるくらいですし、もうすでに「買うべき電動工具リスト」なども作っているので、ある分野ではモノが増えることに決まっているのです。
そのへんの折り合いをつけるためにも「ゆるミニマリスト」くらいを目指そうと思うのです。
使ってないものは捨てる習慣
そのためにはまず「使っていないものを捨てることに躊躇しない」と決めるだけでも相当効果はあると思うのですよ。
この数ヶ月の間に僕はほとんどの書籍、仕事の資料や経理関係の書類、過去の作品などを捨てました。
中には「思い出」や「足跡」が詰まっているものも含まれていました。
当然、躊躇もしましたし長時間悩んだものもありました、結果「捨ててよかった」と思っています。
だって普段使っていないのですよ。
「捨てようかどうしようか」と悩むことによって、はじめて「これには、こんな思い出が…」などと考え始めるのです。
最初から存在してなければ、そんな気持ちにすらならないのです。
まだ手を付けるに至っていませんが、食器とか衣類とか「そのうち使うかも」「まだ使える」と思って残しているものがたくさんあります。
こういうものを「捨てる」か「貯める」かって、習慣の違いなんですよね。
前述の「萩の作業場」を見れば、よくわかります。
使っていなくても、使えるものは捨てないという習慣だと、どんどんモノが貯まっていくのです。
なので、意図的に「使えるものであっても、使っていないのだったら捨てる」という習慣を身につけることにします。
中には後悔するものも含まれてくるでしょうが、概ねこの方針で間違いないはずなのです。
見た目スッキリしたらそれでヨシ
それと「視覚的なスッキリさを重視する」ということでしょうかね。
これから購入する住宅のセルフリノベーションプランとも関わってくるのですが、ある程度の収納スペースを決めておいて「その中に、きれいに収まっていればヨシ」という考え方をしようかと思っています。
決してクローゼットやキャビネットを追加購入しないというルールを設けておく程度が「ゆるミニマリスト」としては、いい頃合いなんじゃないかと思います。
なんだかんだ言いながら、見た目がスッキリしていたら、それで充分に快適なのですよ。
おそらくホンモノのミニマリストからすれば「そんなの、まったくミニマリストじゃない」ということになるかもしれませんが、当面僕は、
- 使ってないものは捨てる習慣
- 見た目スッキリしたらそれでヨシ
の二本立てて「ゆるミニマリスト」を目指そうと思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。