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毎日の景色がもたらす影響

2020.01.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

日々の生活において、目に入る景色がもたらす影響って大きいと思うのですよ。考え方だとか、性格だとか、大げさな言い方をすれば、生き方に関わってくるように思うのです。少しずつ東京での生活を「なんか違うんだよな」と感じるようになってきています。

二拠点生活も1年以上過ぎ…

いつの間にか、東京で暮らしているときにも「毎日眺める景色って、モノの考え方に影響を与えるよなあ」と感じるようになっているようです。

うまくいえないけれど「なんか違うんだよな」なのです。

僕は1年以上、東京と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活をしているのですが、住民票も法人の本店所在地も東京都江東区にあり、いわば東京がホーム、萩が気晴らしに環境を変えに行く場所だったのです。

東京が日常で、萩が非日常だったんですね。
ずっと「萩に行く」「東京に帰る」という感覚で行き来していました。

景色とは、文字通りの「景色」です。なんの比喩表現でもありません。
作業場の窓から見える景色、ランニング中に目に入る景色、用事があるときに出かけながら目に入る街の景色のことです。

何度か往来を繰り返すうちに、少しずつ萩にいるときにも日常感が生まれてきているようなのです。

山口宇部空港から「萩の作業場」と呼んでいる実家までは、乗り合いタクシーと呼ばれる交通機関を使います。
以前は直行バスがあったのですが、それが廃止されたことを期に、市がタクシー会社に委託して代替の交通手段を用意しているのですよ。

要予約ではありますが、空港から萩市内の指定の場所まで運行してくれます。

その乗り合いタクシーから見える、360度ぐるりと山に囲まれた風景も、延々と続く田園風景と大きく広がる青い空も、二拠点生活を始めた当初に感じていた「異世界へやってきた」感は薄れてきています。

パッと気が晴れるような気分になるのは、そのままなんですけどね。

二拠点生活をはじめて数ヶ月経ったころ「都会と田舎。気分の違い」という記事を投稿していますので、ご参考に。

僕はずっと都会(東京)で、働いてきたので、生活環境を田舎(萩市)に移すと、プロフェッショナルとしてのやる気が削がれるのですよ。
そして、それが心地よい「余白」を生み出してくれるのです。

なんてことを書いています。
無職になって長期休養中の今となっては「ふ〜ん」という感じですね。

景色が違うと、日常が違う

萩の中心部は、海と山に囲まれた三角州を中心とした街です。
(平成の大合併で、周囲の旧郡部を加えて広大な自治体になってしまったので、僕のイメージの萩市(旧市部)を語るときには「中心部」と注釈を添えないと、少し実態とズレが生じるのです)

だから、ちょっと高台に上がると街の全貌を見渡すことができて、その先には海が広がり、複数の島が浮かんでいます。

逆に、海岸沿いに行くと、街をぐるっと山が囲んでいる景色が目に入ります。

生活の中に海も山も、三角なので当然、河川も感じられる街なのです。

このブログ内で何度も触れているように、僕は今、萩市へ完全移住するための準備を進めています。
もともと生まれ育った街なので「帰省」が正しいのでしょうが、街を出てもう40年近く経っていますので「帰ってきました」よりも「越してきました」の方がふさわしいと思うのです。

同級生や知人たちは「帰ってきた」って言ってくれるでしょうけどね…。

萩市に移住することに決めた理由は様々です。
ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあって、ひと言で語ることはできないのですが、ポジティブな理由の中のひとつは「もう一度、この景色の中で暮らしたい」ということなのです。

朝ラン中に、すれ違う子どもたちが「おはようございまーす」と元気に挨拶をしてくれる街が気持ちいいのです。

反面、僕が暮らしていた昭和時代と比べて明らかに街が活気を失っていて、それには少々寂しさを感じますが、もう一度その中に自分の居場所を作ってみたいと考えているのです。

二拠点生活を1年以上続けてみて気づいたのは、「日常」という言葉が持つ意味の違いです。

作業部屋に籠もって、仕事をしていたときには「東京でも地方でも、同じ仕事ができるよ」ということに価値や喜びを感じていたのですが、無職になって外を出歩くようになってみると、文化の違いや建物の違い、言葉も違えば、人の性質も違う。ひとことで言えば、景色が違うことに気付くのですよ。

萩にいるときには実家の居候なので、まだ深く生活に携わっていませんが、ライフスタイルや常識感も大きく違うのだろうなという想像はできます。

どこでどう暮らすかについて

正直、これまでさほど「その土地なりの生活」というものに興味がありませんでした。

東京に所有しているマンションだって「丸の内・大手町への通勤時間」とか「デベロッパーの信頼性」「資産性」「賃貸運用するときの利回り」みたいなことばかりを考えて購入しましたしね…。

僕自身は、便利なところに作業場兼住居を確保できれば、それでよかったのです。

それが「セミリタイア」とか「長期休養」「この先の人生(=老後)」などを意識し始めると、とたんに「どこでどう生活するか」について考え始めるようになったのです。

これまでないがしろにしてきた分、よけいに深く細かく考え込んでいるような気もします。

「どんな景色の中で、どんな生活をしたいのだろう?」と自問自答を繰り返しているのですが、当然、正解なんかすぐに見つかりません。

萩にいるときには「この景色、このまったり感。いいな」と思うし、東京にいるときには「何をするにも便利で、よき」と思うのです。

ただ最近は「毎日の景色がもたらす影響って、大きいよな」という考えが強まっています。
すでに、萩市に完全移住することを決めているので「景色>利便性」という認識を自分の中で作り出しているのかもしれません。

「正解かどうかはやってみないとわからないけど、萩で暮らしてみないと、何も始まらないな」ということなんでしょうね。東京にいること自体が「なんか違うんだよな」という気になっているのです。

いまいる東京・清澄白河のマンションの西側の窓から、大手町の再開発が進んでいる風景が見えます。
北側にはスカイツリーがそびえ立っていますが、もう見慣れた風景になっていて、特別なライティングがされてるときも「これって何のための色?」とググって調べることもなくなりました。

それよりも、山海川田畑がある萩の景色のほうを望んでいる自分がいるのです。

完全に都会=バツ、田舎=マルというわけではありませんが、なんとなく目盛りを田舎側に回したほうが心地よさそうなフェーズなのです。

来月の初めにまた萩市に移動します。
先月の「萩市の古民家を内覧してきた」につづいて、また別の物件を下見してきます。

本当はふたつの候補があったのですが、そのうちのひとつは買い手が決まってしまったそうです。

この萩市への完全移住が、2020年前期の命題です。
しっかりと考えることはするけれど、完璧を求めてあら捜しをせずに、ちゃんと向き合って…。
そして、チャッチャと決めてしまいたいと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。