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退屈な毎日、それほど悪くない

2020.02.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

だんだんと暇で退屈な毎日が快適になってきました。ちょっとずつ無職慣れしてきたようです。ときどき、時間の流れをゆったりと感じるときもあります。おそらく、アタマとココロが田舎暮らしの準備を始めているのだと思うのですが、さてどうでしょう。

暇で退屈な毎日を過ごしています

「リア充」という言葉があるように、世の中的にはどうもオンもオフもスケジュールがびっしり詰まっていて、方々から引く手あまた、忙しい生活を送ることをヨシとする風潮があるようです。

僕も社会人駆け出しの頃にいわゆるバブル景気を体験していますので、なんとなくそんな風に考えながら生きてきました。

フリーランスになってからも、始めは仕事を得られなくて死ぬような思いをしましたから「風呂に入ったり、トイレに行く時間も取れないくらい忙しくなりたい」なんて思っていましたしね。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう

で、今どういう状況かというと、一転、暇で退屈な日々を過ごしています。
ほぼ2年の月日をかけながら徐々に仕事を減らし、そして無職になり完全休養中なのです。

とはいえ、かれこれ1年半程度、東京と山口県萩市を行ったり来たりする「二拠点生活」をしていますので、定期的に移動日がやってきますし、先日、萩市に古民家を購入することに決めましたので、それの手続きに少々時間を取られたりしています。
(参考:他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました

また、無職といえども、法人を所有していますので「そろそろ決算だなあ、弥生会計に入力するの面倒だなあ」などと思ったりもしています。

他にも、思い立ったように不要なものを捨てたり(断捨離)、興味のあるものの学習をやったりしながら、それなりにやるべきことがなくはないのですが、現役時代のガシガシ働いていたセルフブラック時代や、ちょっとスケジュールが空くと他人と会う予定を入れていた頃と比べると、格段に時間を持て余しながら過ごしています。

結論から言うと、これがなかなか快適なのです。
ちょっとずつ無職慣れし始めてきてるのかもしれませんね。

何かしらのはずみで「ハッ! ホントに仕事辞めて大丈夫だったんだろうか」とビクつくこともなくなりました。

田舎暮らしの準備

人は歳を取ると時間が過ぎるのが短く感じるようになります。
僕もずっとそうでした。

それが最近、ときどき「あれ? 昼飯食ってだいぶ経つのに、まだ3時じゃん」「今日は時間が経つのが遅いなあ」みたいなことを感じることが増えてきているのです。

「ぼんやりと何かを考えてる時間が増えてるからだろうな」と思っています。

僕はだいたい作業場にいます。
現役時代に作業をする部屋だったので「作業場」と呼んでいるのですが、もう無職なので「作業場」という呼び方はふさわしくないかもしれません。

目の前にMac2台と、Windows機1台があって、3台とも電源入りっぱなしです。
現役時代からの習慣なんですよね。1日中そこにいるのが快適なのです。

1台でYouTubeを観ながら、1台で気になることを次々と検索、さらに1台でSNSやらメッセージアプリやメーラーをチェックしてるという体勢です…。無職の分際で、ムダですね。

そのクセ、どれにも集中していないのですよ。

次から次へと気になったことを考え続けたり、調べ回ったり、その途中でまた別のことに関心が移ったり、その挙げ句に目の前のPCは3台ともスリープ状態になっていて、僕はぼんやりと何かを考えていたりするのです。

考え疲れたら、東京にいるときも萩にいるときも、散歩に出かけるようになりました。

さほど風光明媚でもない景色であっても、自分が歩くことで景色が変わっていくとなんとなく心が落ち着くんですよね。

一応なんかのためにスマホは持ってます。お財布代わりでもありますしね。
でも、ほとんど使うことはありません。たぶん手ぶらで1日中外出しててもなんの支障もないと思います。

たぶん、アタマとココロが田舎暮らしに順応し始めてるような気がするのですよ。

僕はあと数ヶ月以内に、山口県萩市に完全移住します。
当然そこは、東京のような「わかりやすい刺激」がない街なのです。

今よりももっと退屈な毎日が訪れるのだろうと思います。

生き方の好みがちょっと変わってきたんです

冒頭で退屈が快適だと書きました。

思うのですが、都市にいようが田舎にいようが「退屈だからつまんない、苦痛だ」と感じるのって、そこにある景色から関心あるものを発見する余裕がなかったり、自分の中で何かを思考し続けることを放棄してしまってるからなんじゃないでしょうかね?

前項で述べた、PC3台使って別々の情報を受け取りながら、実はその中のどれにも集中できていない僕のように、わかりやすい刺激に囲まれていると、だんだんと何も感じなくなって、退屈と上手に折り合えなくなってしまうのですよ。

それよりも手ぶらで散歩に出かけて、なんの変哲もない景色から何かを感じたり、ずっと頭の中で「あ〜でもないこ〜でもない」と考えを巡らせている方が快適なのです。

そのほうが心に余裕ができて、小さな刺激とか内在的な刺激で充分楽しめるのですよ。
田舎で暮らすようになると、毎日こういう感覚と向き合うことになるはずなのです。

たぶん僕は加齢とともに「そういうふうに生きたい」と思うようになっていたのだろうと感じます。

「田舎で暮らしたい。萩に移住したい」はその後から思いついたんじゃないかな? と、最近は考えたりもするのです。

どんどん利便性を高めつつある都市に背を向けるわけではないし、自分自身のアップデートに疲れたわけでもないけれども、ほんの少し軸をズラしたくなるフェーズなんですよね。

この辺りの話については、実際に萩に移住してからいろいろと気づくこともあろうかと思います。

たとえば「古民家再生をDIYでやりたい」とか、萩に移住したら始めたいことがいくつかあります。

だから「暇で退屈な時間を楽しみたい」なんてことを考える余裕なんてなくなるかもしれませんが、それはそれで、楽しそうな気もしているのです。

無職になってしばらくは「退屈って苦痛だな」と感じるときもありました。
でも時とともに「退屈な毎日も、それなりに楽しいな」と感じられるようになったのは収穫でした。

50代半ばになって、ちょっとだけ生き方の好みが変わってきたようです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。