数年後がちょっとだけましになる準備をする
2020.03.06
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。人生の転機には、自分の考えや行動を裏付けるための言葉を探し求めがちですよね。自らが望んだ変化であっても、ちょっと不安なのですよ。僕はいま「数年後がちょっとだけましになるための準備をする」フェーズなのだろうと思うことにしています。
自分が望んだ変化だけども、ちょっと不安になるのです
「どうしてオレ、デザイナーを辞めたり、東京を引き払って萩に移住しようとしてるんだろうな?」みたいなことを考えてる時間が多いのですよ。
何年もかけて考え続けてきたし、このブログを開設して以来ずっとその思考の断片を書き残してきたし、考え方を修正や撤回した様子も残ってるんですけどね。
もう少し自分にとって納得しやすい言葉がありそうで、それを探す遊びをしながら暇つぶしをしているだけなのかもしれません。
以前投稿した「他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました」で述べたように、山口県萩市での古民家の取得、そして移住が現実になりつつあります。
売買契約やら移転登記も着々と手続きを進めています。
ずっと、自らが望んでいて、一つひとつ準備を進めた上で訪れる変化なのではありますが、いざそのときが来ると、やはり不安になったりもするものなんですよね。
東京を離れ、田舎で暮らすということは「腹減った。ちょっとコンビニ行って小腹対策しよ」とか「高島屋→三越→コレド巡りするか」とか「Mac壊れた。チャリでAppleストア行こ」とかできなくなるんですよね。
「やっぱりデザイナー稼業に未練ある、復帰しよう」と思っても気軽に「また何かあったら、声かけてください」なんて言えなくなるのです。
それでも「東京を離れる。萩に住む」って決めたのは、数年後の暮らしを、もうちょっとましなものにするためなのです。
今うまくいってることも、なんだかしっくりこないなぁと感じてることも、だいたいが過去数年間の準備の結果なんですよね。
毎日々々、目先のことにかまけていると、数年後のためにやらなければならない準備の仕方を、少しずつ間違えていくのです。
だからこうして「数年後をちょっとましにする」ための準備を多めに考え、行動するフェーズを作ることが必要だと思うのです。
ホントは「目先のこと×数年先のこと」をバランス良く同時進行するのがいいのでしょうが、なかなか上手くいかないから、こうして自分で「人生の転機」を作って調整作業するしかないんですよね。
(参考:人生のピークを先延ばしする)
アタマもカラダも、両方使う生活
この数年間の僕は、人生をもうちょっとましにするために「アタマもカラダも、両方使う生活が必要だ」と考えているのです。
東京にいてずっと仕事に張り付いていると、ものすごくアタマを使います。
「どうやったらもっとクオリティを上げられるのか?」「もっと効率のいいやり方ない?」「もっとコミュニケーションコストをセーブしたい」「もっと、もっと、もっと」ばかり考えていました。
生活のすべてを仕事に最適化しようとしますから、先日投稿した「フリーランスは自分自身を経営しなくてはならない」でも書いたように、セルフブラック化しがちなのですよ。
それはそれで楽しかったりするんですけどね。
カラダも使わないわけじゃありません。
定期的にランニングをする習慣はありますし、何より車を使いませんから、普通に東京で生活していると結構な距離を歩くことになります。
だから「田舎に住むよりも、都市に住むほうがカラダを使うよ」とも思うのですが、そういうことではないんですよね。
大袈裟な言い回しをすれば「生きるためにカラダを使う」ということなのです。
庭に植えた野菜の面倒を見たり、家の周りの雑草を抜いて見栄え良く保ったり、スーパーに行って帰ってくるだけでも1時間仕事だったり「ちょっとした不便さを生活の中に加えてみよっか」程度のことなんですけどね…。
マンション暮らしにちょっと飽きてきたのかもしれません。
もともとが田舎もん体質なんでしょうね。
ずっと、そこはかとない「コレジャナイ感」が蓄積してたのかな? とも思います。
間違っててもいいから「アタマもカラダも、両方使う生活」を体験してみて、「コレジャナイ感」の正体を探ってみることが、数年後をましにすることにつながるように思っているのです。
あと、山が視界にある生活ですね。
「頂上に登ってみよう」なんてことは思いませんけれど、視界に山があることですごく心が落ち着くのです。
単純に「東京と違う」というだけで満足しているのかもしれませんが、それでも構わないのです。
変化を求めるためのセミリタイア
デザイナーを辞めて無職になったり、田舎に移住したり、そういうのを全部含めて「セミリタイア」という言葉でくくっています。
前述の通り「目先のこと×数年先のこと」をバランス良く考え続けるのが理想なのですが、東京にいながらデザイナー稼業を続けていると、どうしても矛盾が生じてしまうんですよね。
僕の場合は、あきらかに「目先のこと」ばかり考えていました。
だって、今請けてる案件を無事納品にこぎ着けないと、お金にならないんですもん。
未来への投資を疎かにしてたんですね。
だから「セミリタイア」という言葉を使うことで、人生のフェーズが変わったことを自分自身に言い聞かせているのです。
目先の損得、収益の多寡よりも、数年後に自分の生活がちょっとだけましにするためのことを考え、行動するフェーズだということにしているのです。
実際に思い通りにいくかどうかは謎ですけどね。
先日投稿した「失敗を気にしない。むしろ求めてる」でも触れているように、
おそらく「失敗しちゃった」を経たあとに、「どうやったら上手くいくんだ?」とか「次はどこに気をつけてみようか」「その前に、まず学んでおくべきことはないか」みたいな回路が作動しはじめる感じが好きなのです。
みたいなことを考えています。「強がり半分」でもありますけどね…。
そういうのが楽しいと思うし、自分になにかしらの変化が起こったことを「ましになった」と思えるくらいの余裕は、まだ残っているのです。
そして、またしばらくしたら「目先のこと」に血眼になるフェーズが訪れるかもしれません。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。