このめぐり合わせは、いったい…
2020.05.07
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。都市の密集から距離を取ろうとして田舎への移住を決めた矢先に、東京にいながらにして「疎」であることを要求されています。そうなると今度は「人って、集まりたい生き物なんだなあ」と考えてみたりして、このおかしなめぐり合わせに戸惑っています。
自ら、ソーシャル・ディスタンスを望んでた矢先だったのです
もともと人は、人から離れては生きてはいけないようになっているのだろうと思います。
基本的には「他の人たちと集まりたい」「群れを作って自分の身を守ろう」という生き物なのです。
僕はこのブログで、「人間関係の断捨離」というタグを付けた記事を投稿しつつ「群れから離れたい」とか「孤独でいる時間を増やしたい」みたいなことを書き続けています。
ちょっとした矛盾のようにも感じますが、これらは「集まろう」の生き物だからこそ、独りで物事を考える特別な時間を作ったり、人生の転機を感じるために意図的に群れから離れて、自分と向き合いたいということなのですよ。
日々の生活の中でもそうですし、人生の転機として環境ごとガラっと変えてしまうこともときには必要だろうとも思ったのです。
だから僕は、山口県萩市に古民家を買いました。
とくに「人里離れて」いるわけではありません。
最寄りのコンビニもしくはスーパーまで、歩けなくはありませんが、自転車移動が最適だろうという距離感です。地元の人たちならば、躊躇なく車を使っちゃうでしょうね。
敷地の二辺が道路に接し、もう一辺は田んぼ、残り一辺は竹林に接している、なんとなくプライバシーが確保できていて、人に会わずに過ごそうと思えば、そういう暮らしができる場所に建っている家を買ったのです。
(参考:決め手は、田舎の一軒家)
ずっとそこに住み続けるかどうかは別にして「これから10年か20年は、自分がなにかをひっそりとやりたいときには、それを邪魔されない環境で暮らすことにしよう」と思っていたところで、概ねその希望を叶えてくれそうな感じではあります。
最近ちょっと流行語っぽく使われ始めている「ソーシャル・ディスタンス」を自らの快適性を確保するために、勝手に始めようとしていたところだったんですよね。
他にも「風通しの良い場所へ、見晴らしのいいところへ」で書いたように、景色が良くて、季節を感じられる場所で生活したいという気持ちもありましたしね。
だから「もう東京はいいや。ここから離れよう」と思ったのです。
また、みんなで集まろうとするのでしょう
「ほんとはこれ、萩でやるはずだったんだけどな」と心のなかで思いながら、ずっと東京のマンションで暮らしています。
食料や生活必需品の調達、月に1回の通院、そして最近はちょっと頻度が落ちている朝ランくらいしか外出しないでいるし、人とも会わない毎日を過ごしています。
after コロナとか、with コロナについて、いろんな方々の意見を見聞きしたり、自分でも考えてみたりしています。
「なんだかんだ言いながら、元に戻るのだろうなあ」という記事を書いてみたりしたこともあります。
「before コロナの世の中がそのまま戻ってくることなんてないんだろうな」と、どこかしらで思っているし、「またみんなで集まりたい」という気力は必ず戻ってくるような気もしているのです。
僕たちはずっと「人が集まる」は、いいことだと認識してきました。
ある意味「成功」と同義だと捉えていたんですよね。
イベントを仕掛ければ「どのくらい集める?」と、集客からいろんなことを計画していくし、こうして毎日ブログを書いている僕は、頻繁にGoogle Analyticsにアクセスしてページビューをチェックしています。
人が多く集まる街が「人気の街」だってことになってたし、僕が移住する予定の萩市も、年がら年中「もっと観光客に来て欲しい」というプロモーションを仕掛けています。
人が密集して、そこで関係が生まれ、知恵が集まり、関係を築けることは「良い」ことだったのです。
人を呼んで集めることで自分たちの仕事を上手くいかせようとしていたし、楽しみを増やそうとしていたのですよね。
人類は過去に何度も、街や国が壊れるくらいの感染症を経験してきています。
でも、また「みんなで集まろう。お酒を飲んだり、ご飯を食べたりしながら、いろんな話をしよう」という習慣がなくなることはありませんでした。
今回の新型コロナ・ショックも「あんときゃキツかったね」という思い出ばなしになるのでしょうね。
このめぐり合わせの中で、失いたくないもの
ちょうど「田舎に家を買って、東京のマンションなんて売っちまえ。人から距離を取ってひとりの時間を楽しみたいんだよ」と思っていて、それに向けた行動を着々と進めていて、あと少しでひとつの節というか、完成形を迎えようかというときに、こんなことになるなんて…。
これはこれで、仕方ないと思っているし、「こういうめぐり合わせもあるものなんだなあ」と、この生活に馴染もうとしているし、楽しめるように工夫もしたりしているのです。
でも、せっかく萩の家でひっそりとした生活を始めようとしていた矢先に、東京のマンションにいながらにして、ひっそりとした生活を余儀なくされているし、緊急事態宣言のために、せっかく買った萩の家を使ったりメンテナンスに行くことすらできなくなってるし。
「ひとりの時間をたっぷり楽しもう」と思っていた矢先に、社会がこんなことになってしまうと、こうして「みんな集まろうぜって気力、大切だよな」なんてことを考えるようになってしまっているし。
「なんだか上手く行かないもんだな」と思っています。
今、みんなが自分たちの生活を厳しくコントロールしていますよね。
個人の性質だったり、お仕事の都合によっては「もう限界だ」って方も多くおられることでしょう。
前項で述べたように「完全に before コロナが戻ってくるわけではない」のだろうとは思っています。
でも、そこには新しい世界に対する希望もありますし、反面「イメージ通りになんてならないだろうな」という覚悟もしておかなければならないように思っています。
でも、さほど新型コロナウイルスに対して社会が恐怖を感じていなかった頃。
ちょうど僕が、ようやく「ここにしよう。この家を買って萩での生活を始めよう」と決めた頃。
(参考:他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました)
今年(2020年)の2月初旬くらいに思っていた「楽しみ」とか「嬉しさ」とか、移住したら「あんな暮らしがしたい」「こんなことに挑んでみよう」といった感覚は、コロナを超えた後も、そうそう変わっていないはずなのです。
なんだかね。ちょっと気を抜くと、セミリタイアすることを思いついてから、ずっと考えてきたこととか、アップデートにアップデートを重ね続けてきた計画とかが、このコロナショックですべてリセットされてしまったような錯覚に陥るのですよ。
たぶん僕は、人生の中で一番楽しいことを考えていた時期だったはずなのです。
そういうのを捨ててしまわないようにしなきゃな、と。そんなふうに考えています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。