どっちみち、新しい習慣を身につけるとき
2020.05.31
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。ふたつの生活様式の変更と向き合っています。ひとつは新型コロナ禍が収束したあとにも残り続ける「新しい生活様式」。もうひとつは田舎に移住するこによる、都市生活とは異なる生活スタイル。いっぺんにふたつと向合うことは、いいことなのだろうか?
新しい生活に向かって、動き始めたっぽいです
まだ、もう少し余談を許さない状況ではありますが、東京のマンションに買い手が付きそうな感じです。
3月終盤に仲介会社を決め、ネット上の不動産販売サイトや、レインズという不動産物件情報を交換するためのシステムに公開してもらって「ゴールデンウィークあたりには、申込み入るかな」などと思っていたのですが、新型コロナウイルス禍により、緊急事態宣言が出れ、ほぼひと月以上にわたって販売活動を停止することを余儀なくされていました。
その後、緊急事態宣言解除の見込みが発表されるやいなや、複数の買主さんがバタバタっと内覧にやってこられ、そのうちのひと組の方が「前向きに検討されている」というお話を伺っています。
そのあたりの話が進みましたら、個人が特定できない、可能な範囲でレポートいたします。
ただ「また状況が動き始めたな」という気はしているのです。
僕の場合、以前投稿した「他人の趣味と向き合う ― 萩市の古民家を買うことにしました」で書いたように、山口県萩市への移住を決め、萩に家を買い「さあ、東京のマンションを売却して移住するぞ」というところまで、話を進めていたのです。
コロナ禍の収束は、元の生活に戻ることではなく、やりかけていたことを再スタートさせることを意味するのです。
この非常事態宣言の間に「売買契約の締結」「移転登記」「引き渡し」はすべてリモートで終わっています。
状況はどうあれ、萩の家はもうすでに僕のものになっているし、移動さえできればもう使用することができるのです。
いつでも、萩での新しい生活を始めることができるのですね。
当然そこでは、これまでの東京生活とは異なる生活習慣を身につけることになるだろうことは、萩への移住を計画し始めた頃からすでにイメージできているのです。
環境を変えれば「新しい生活様式」は簡単にクリアできるかも
これから「with コロナ」「after コロナ」を向かえるに当たって、厚生労働省も「新しい生活様式」なんて提言を出しています。
新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を公表しました(新型コロナウイルス感染症)|厚生労働省
これを機に「ハンコをなくそう」「くだらない会議をやめよう」「通勤しなくていい人は、家でやろう」みたいな、これまで無駄だと思っていたことを、この際に一気に見直そうという機運もありますね。
僕はもともとフリーランスになった理由のひとつが「通勤したくない」だし、「無駄な会議とか出ませんよ」と言いながら、すでに完全リモートワーク化していたのです。
当然、毎月の請求書はPDFをメール添付することで済ませています。
なので、コロナ禍以前から「こんなの無駄じゃん、やめようよ」から逃れることには成功していたのです。
その上僕に関して言えば、上記の厚生労働省の「新しい生活様式」に関するサイトを見ると、いろんなことが田舎に、山口県萩市に移住するだけでクリアできそうなのですよ。
- 一人ひとりの基本的感染対策
- 日常生活を営む上での基本的生活様式
- 日常生活の各場面別の生活様式
- 働き方の新しいスタイル
どれも基本「人とあまり近づかないようにしましょう」とか「握手とかハグみたいな、親しみの表現から、距離を置きましょう」みたいなことなんですよね。
ざっくりとした言い方をすれば「あまり他人とベタベタすんな」なのです。
僕はもともと、大人数の飲み会に出席するのが嫌いだったり、さほど仲良くもない人同士の会合で「お食事の席をご用意していますので」みたいな感じで、長々とスケジュールを引っ張られるのが嫌いな性格なので、割と「これから少しは快適になるのかな」などと思っています。
(参考:飲み会を「つまらない」と思うようになった理由)
僕がこれから移住しようとしている場所は、過疎化が進みつつある街の、そのまた若干街外れ。
市街地と山林の中間辺りなので、さほど他人との接触を気にするような場所ではないのです。
前項で触れた通り、僕はいま生活環境を大きく変えようとしているのですから、厚労省が提唱する「新しい生活様式」でも、田舎に移住することで向き合う「別の習慣」でも、どちらにしろ自分の生活を見直すフェーズなのです。
「似たような転機が同時にやってきてよかったかな」と思っています。
「新しい生活様式」は「新しい習慣」に
おそらくみんな、都市生活者だろうが、田舎の住民だろうが、緊急事態宣言が解除されたとしても、しばらくは安全のために、もしくは気の乗らない人付き合いを敬遠するための方便として「新しい生活様式」を守り続けることになるのだろうと思うのです。
それは時を経て「新しい習慣」になるのだろうと思うのです。
そして、みんなだんだんと忘れていくのでしょうね。
今は特別な時期だから、仕方なくやっていることも、みんなが「新しい…」と認識しなくなることには、それが当たり前になるのでしょう。
「どうもはじめまして○○と申します」と名刺を交換するときに、マスクを外そうとしない。
もしくは、2m以内に近づいてこようとしない。握手を差し出しても「いや、それは」と拒んでくる。
半年前にそんな人と会っていたら「え、何この人。失礼じゃない?」と思っていたことでしょう。
それが普通のことになるんですよね。
それが、自分を含めて「人間は感染症を媒介するもの」と考えることが当たり前のことになるのですよ。
人と人が、だんだんと距離を縮めていくことって、親しさとか信頼の表現でもあり、嬉しさでもあったはずなのですよ。
これからまったく「人同士が近づくこと」「触れ合うこと」が無くなるとまでは思いませんし、これまでもそういう状態に至るまでに、いくつかの壁があったのですが、その壁が1枚追加されたような気はしますよね。
どうなんでしょうね?
しばらくは、他人と親密に慣れないことにストレスに感じるのでしょうかね? それとも「自分ワリと感染症、気になるタイプなんですよ」と、気の乗らない会合への出席を断る口実ための札が増えたことで、逆にストレスから逃れやすくなるのでしょうか?
どちらにせよ、自分にとって快適なポイントって、人によって異なるのでしょうし、上手いこと自分で調整できればそれでいいような気もするのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。