どんな生活になるか、わからない。すごくいい
2020.06.09
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。山口県萩市に本移住したあとの生活をイメージしはじめています。ずっと東京との二拠点生活をしてきたので、なんとなくの感じは掴んでいるのですが、本当のところは、移住してみるまでどんな生活になるかわからないのです。ちょっと楽しみなのです。
どんな生活がはじまるか、移住してみるまでわからない
東京から山口県萩市に移住しても、基本的な生活スタイルが変わるなんてことはないよな、と思っています。
別にどこかに新しい勤め先を探すわけでもないし、毎日のように街に繰り出して、名店を巡って飲み食いするわけでもありませんからね。
でも、移住したらすぐに設備屋さんと連絡を取って浴室のリノベーションを依頼するだろうし、大工さんと外壁の補修のタイミングについて話をすることになるんだろうな、くらいのことは考えています。
そうだ、引っ越しは夏だ…。エアコン付け替えなきゃ死んじゃうなとか、必要に応じて、庭屋さんとも話をしなきゃいけないかな? メンドくさいな。
みたいなことも漠然と考えています。
僕自身は、すぐに自動車学校に通い始めることになると思うんですよね。
以前投稿した「時間があればできるのに、はウソ」で書いたように、もともとは2020年が明けたら早々に東京で自動車免許を取りに行くつもりだったのですが「3月まではいっぱいいっぱいですよ」と言われ、「ならば4月になったら…」と思ってたら、緊急事態宣言でしたからね…。
結局、そのままになっていましたし、その間「免許取らなきゃ」なんて、アタマからスッポリ抜け落ちていました。
先日「東京のマンションに買い手がつきました」という記事を投稿したように、東京での生活を後にして、拠点を萩市に移す計画がひとつ前に進みました。
それで、移住後の生活をイメージし始めるているのです。
車の免許取って車買って、スーパーやホームセンターに買い出しに行けるようになるまでは、買い物のほとんどをネットで済ませるんだろうな? とか、ちょっとした用事は自転車に乗って出かけるし、飲み会に誘われたら、行きは巡回バス、帰りは徒歩orタクシーだろうなとか、いろいろ考えているのです。
でも結局は「移住してみるまで、わからない」なのですよね。
もしかしたら1日中、自転車でスーパーやら海産物店を巡り続けるような生活を始めるかもしれませんしね。
暮らしはじめて、気に入った方法を選ぶと思うのですよ。だから「わからない」のです。
わからないままに行動してみよう
いま「萩で暮らし始めたら、これやろう」と思っている、
- 自動車免許を取得する
- 家を自分でリノベーションする
などについては、それなりに進めることになろうかと思います。
そうじゃないと、いろいろと不便だし、住居に関しては、東京のマンションのように、ほぼメンテナンスフリーというわけにはいかないのです。生まれてはじめて「自分の庭」を持ちますしね…。
(参考:古民家再生をDIYでやりたい[思いついてることを記録する])
それ以外は、わからないままに行動していこうと思っています。
わからないのだから、実際に体験してみるまで、善し悪しとか、楽しい楽しくないの判断を保留したまま、物事に向かい合おうとしているのですよ。
わからないがゆえに、躊躇なくやれることもあるでしょうし、わからないからこそ、無理に拒絶する必要もなくて、そのほうが疲れないような気がするのですね。
昨日投稿した「口先だけで行動が伴わないのはイヤだ、ってことにしてるけど…」と、なんとなく重複するような、それでいて少し矛盾するような感じではありますが、なんとなく「わからない。けれどやってみよう」みたいな心構えをしているのです。
実は「わからない」って楽しいことなのかも
せっかく、15年ぶりくらいに生活環境を変えるのです。
「都市部から田舎へ」という意味では、大学進学のために上京して以来、38年ぶりになりますね。
わからないことだらけで当然だと思うのですよ。
ここのところ、2年間近く東京と萩市の二拠点生活を続けていましたが、萩での居住先は実家でしたし、完全なる自分の生活はそこにはなかったんですよね。
だから、これから出会うことになる「わからない」を、まだ体験していないはずなのです。
本来は、逆なのだろうと思うのです。
できるだけ、移住地のことを調べ、地元の人々と事前に交流したりしながら「わからない」を減らした上で、実行に移したほうが良いということになっているのです。
だけれども僕の場合、もともと生まれ育った街に「還る」という認識をしていますし、すぐに会話をはじめられる人々も数多いますので、そういった事情に甘えている部分もあります。
ただ一方で、こういう場面での「わからない」をさほどネガティブに感じない程度には、楽しみを感じているのです。
もしかしたら、こういうのがオッサン的図々しさなのかもしれませんけどね。
わからないものを、わからないまま向き合える世界って、ものすごく心地いいような気がしているのですよ。
ここ数ヶ月、新型コロナウイルスやら、デモ、暴動やらで、いろんなところで、いろんなギスギスした出来事が起こってるものだから、そう感じるのかもしれませんけどね。
実際に、東京を離れ、萩に本移住するまでにはまだ少し時間がありますが、そのうち訪れる「わからないものを、わからないなりに眺めながら過ごす日々」を楽しみにしています。
なんとなく、そういうのって、すごくいいと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。