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田舎に住むメリットなんて、なくていいんじゃないかな

2020.07.04

こんにちは、萩ドットライフ()です。

目にする景色が変わったり、流れる風の薫りが変われば、考えることが変わるのですよ。でもそれが、田舎に住むメリットなのかというと、そういうことでもないように思うのです。メリットとか、有意義とか、得とかを望んで、貧乏臭くしたくないのです。

「メリットなんてないよ」で、いいんじゃないかな

山口県萩市に古民家を買ったし、東京のマンションに買い手が見つかったものだから、地方移住(=田舎暮らし)へ向かうギアがカチカチと音を立てて噛み合い始めているのを感じています。

もう天変地異でも起らない限り、後戻りできない状況なんですよね。

いま萩市にいますが、先日も設備屋さんと、電気工事屋さんと、現地でいろいろと打ち合わせをしてきました。

「えっ、天井低くてユニットバス入らないの?」
「なるほど〜、こういう理由でここに照明付けられない可能性あるのかぁ」

などなど、予定変更せざるを得ない部分もいくつか出てきました。
まあ、得てしてそういうもんですよね。

過去に「古民家再生をDIYでやりたい」という記事を書いたように、この萩の古民家をセルフリノベーションしながら生活することを楽しみにしているのですが、それに先駆けて自分ではどうにもならない大掛かりな設備とか、電気、水道のような資格の必要な箇所を前もって更新しておきたいのです。

電気なんて、配電盤付いてないし20Aしかありませんでしたからね。
いろいろと、下ごしらえが必要なのです。

少しずつ「東京を離れて、萩に移住するよ」と人に言う機会も増えています。

自分から言うこともあれば、「人づてに聞いたよ」と連絡をもらうこともあります。
そんな中でときどき「なんのメリットがあるの?」と訊ねられることがあります。

僕自身は、たとえばこのブログで書いている「風通しの良い場所へ、見晴らしのいいところへ」みたいな心地よさを求めて移住するのですが、それを「メリット」という言葉で表現するのは、なんだか違う気がするのです。

加えて「なんのメリットが…」と訊ねてくる人に、光や風の話を始めても、うまく会話が噛み合うとも思えませんしね…。

返答に窮するのですよ。

僕が求めているのは「おいしいものがたべたい」なのであって、その食べ物に含まれる栄養価とか、生産者の収入とか、そういうものを気にしていないのです。

もちろん、過去2年弱ではありますが、東京と萩の二拠点生活を続けてきましたから、何気ない生活の中で目にする景色が変わったり、家の中を流れる風の薫りが変われば、考える内容も、やってみたいことも変わるよね、くらいのことは感じています。

でもそれらに「メリット」という言葉を当てはめてしまうと、なんだか急に薄っぺらくなってしまうような気がするのです。

ならば「メリットなんて、何もないよ」で構わないのです。

どこに住んでも、変わらないものはあるし

考えていることをこうしてブログ記事に記録し続けていると、どうしても「こういう意義があるので、僕はこのように行動しているのです」みたいなことを書きがちだし、そんなことを考える時間が多めになってしまうんですよね。

いや、ブログを書き始める前から、たぶんフリーランスになって会社を設立して、曲がりなりにも経営者をやり始めた頃からかもしれません。

「責任感を持たなきゃいけない感」みたいなものってどうしても芽生えてきちゃうんですよね。
言い換えれば「長男」だったり「世帯主」だったり「チーム内最年長」だったり、そんなカテゴリに組み入れられそうな感覚です。

そんなボンヤリとした責任感めいたものがあると「役に立つ」だったり「意義ある」「得する」みたいなことを考えがちなのですよ。

前項では「メリット」という言葉を使いました。

よくいえば「しっかりしている」のですが、上手く調子に乗れてないときには、我ながら「貧乏臭えな」と感じてしまうんですよね。

そんなことよりも、この場所の雰囲気が心地いいとか、この人たちと一緒にいて楽しいみたいなことの方が大切なのですよ。

これは、都市にいようが田舎にいようが、どこにいようが一緒です。
都市には都市の景色があるし、都市の風が吹いているのです。

田舎に移住して田舎の風景、田舎の空気の中で暮らしたいと考えるのは、別にメリットではなくて、好みの変化への対応だったり「もしかして、自分の幅が広がるかもな」という期待だったりするんですよね。

おそらく、どこからどこへ移ろうが、さほど変わらないものだと思うのです。

こういうのって、他人から「なんのメリットがあるの?」と訊ねられて初めて「あれ、オレもメリット探ししてないか?」などと考え始めてしまうのですよね。

そして「そんなに、なんでもかんでも損得で考えてないよ。好きでやってるんだよ」と、再認識することになるのです。

自分なりの、田舎の生活を作ることになる

前述の「生活の中で目にする景色が変わったり、家の中を流れる風の薫りが変われば、考える内容も、やってみたいことも変わるよね」に関しては、東京と萩の二拠点生活をしてみなければ気付かないことでした。

それ以前は、二拠点生活が「やってみたいこと」だったんですけどね…。

それが「本移住」だったり「古民家購入」や「セルフリノベーションしながらの暮らし」だったり、に変わっていって、ちょうど今それらと向かい合っている最中なのです。

そのために、30年以上生業としてきたデザイナー業を廃業してしまいましたが、それもいいんじゃないかなと思っています。
たぶん、デザイナーとしてメシを食いながら培ってきた思考様式は、おそらく一生もんだと思うし、生活費を稼ぐためのデザインから、生活を豊かにするためのデザインに変わっていくだけだと思うのですよね。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

冒頭で述べたように、設備周りの業者との話を進めています。
今月半ばにはもう一度東京に戻り、引っ越しや引き渡しの段取りをして、盆明けあたりには本移住して萩市民になることを前提にスケジュールを組み始めています。

8月22日には、フレッツ光の工事の予約もしました。

「やりたいこと」が、ひとつづつ「やってること」に変わりつつあります。
こうしているうちに、おそらくまた別の「やりたいこと」が見つかるのだろうと思います。

そういうことを延々と繰り返すのだろうし、それが心地いいんですよね。
そのフィールドを「田舎」(というか「地方」というか「故郷」というか)に決めただけなのです。

わざわざ「メリット」なるものを探し回って、貧乏臭い感じにしたくないのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。