きょう僕は、山口県萩市に移住します
2020.08.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。東京での38年間を振り返っています。「いま退去しようとしているこのマンション、ここが人生で一番長く暮らした場所なのか」なんてことも、いま気づきました。この気持も明日には思い出になります。きょう僕は、東京を離れ山口県萩市に移住します。
布団ひと組と、スポーツバッグに詰めた練習着と
布団は前もって、バレーボール部の合宿所に送りました。持ってるなかで一番大きいスポーツバッグに、ありったけの練習着と身の回りのものを詰めて小郡駅(現:新山口駅)へ向かうバスに乗りました。
1982年(昭和57年)3月。正確な日にちは覚えていません。
これが、僕の上京でした。
正確には、大学も学生寮も千葉県習志野市だったので「上京」ではないし、転入も入学式(入寮)後に手続きをしたので4月になってからだったんですけどね。
大学時代は、1年間は全員が学生寮で生活することを義務付けられていました。
自分に与えられたスペースは寝室のベッドとクローゼット。自習室の机とわずかな収納のみでしたから、授業で使う書籍類と練習着以外はほぼ私物を持っていませんでした。
大学2年からは、バレー部の合宿所で生活します。
そこでも、大抵のものは卒業していった先輩から譲り受けるし、後輩に残していくので、そこでも大した家財は持ちません。
なんだかんだと買い揃え始めたのは、社会人になってからでした。
アパート探しと引越しが面倒くさかったのと、就職した会社での配属が入社後しばらくしてから決定する段取りだったこともあり、最初のアパートも習志野市内で借りました。
合宿所から自転車に乗って内覧に行き、ほどんどの荷物を大学の備品である「リアカー」を借りて、徒歩で運びました。
バレー部の後輩にも手伝ってもらったりしながら。
結局、その「とりあえず」借りた習志野の7畳のアパートに10年間住むことになるんですけどね。
このマンション、人生で一番長く住んだ場所なのか
習志野市のアパートを退去するきっかけは、それまで僕を雇っていてくれた会社の退職です。
その間に、元号は昭和から平成に変わっていました。
「フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう」という記事でも書きましたが、僕は10年間勤めた会社をやめてフリーランスになったのです。
自宅兼作業場。もちろん来客もあるのだろうから応接室も。FAXもいるぞ、コピー機もだ。インターネット回線も引かなきゃな…。などなど、あらゆる「カッコつけ」をこじらせて、分不相応な江戸川区の瑞江駅から徒歩5分の新築マンション(50数平米だったかな…)を借りました。
そのタイミングで一気に家財が増えましたね。
私物というよりも、むしろ作業場用のあれやこれやですね。
「開業おめでとう」ということで、いろんな方々から、キャビネットやら椅子やら、大量のファイルやらいただきましたからね。
もちろん自分で買ったものもいっぱい。
その後、大量に廃棄することになるんですけどね。
その瑞江のマンションにも約10年間住みました。
振り返ってみると、僕はいったん落ち着いちゃうと、よっぽどのことがない限り引越ししようとしないんですね。
でも、田舎だと生まれた家にずっと住んでる人もいますしね…。
どうなんだろ? 2・3年ごとに引っ越すような人が周りにいる環境の方が異常なのかな?
その後、住むことになったのが、今日退去しようとしている江東区・清澄白河のマンションです。
これは、僕が生まれてはじめて買った家です。
契約したのが2003年(平成15年)、入居したのが2005年(平成17年)でした。
それから2020年(令和2年)まで、15年間ここで暮らしたんですね。
生まれた家は中学校1年のときに引越してますから、人生で一番長く住んだ家だということになりますね。
……、いま気づきました。
今日、山口県萩市に移住します
ベッドをバラし、クローゼットからすべてのものを出し、ダンボールに詰められるものはパッキングし終え、エアコンを切って扇風機を回しながら引越し業者の到着を待っています。
エアコンは直前まで使用していると、内部に水が溜まってる可能性があるので「なるべく使わないように」と言われているのです。
もちろん、昨晩のうちに冷蔵庫の中は空っぽにして、コンセントも抜いています。
先日投稿した「引越し業者を選定しました。最安を避けた理由」でも書いたように、3トン車(会社によっては「2トンロング」という言い方をするようです)で搬出します。
どうしても38年前(1982年)を思い出すんですよね。
「布団ひと組とスポーツバッグひとつで、入学式前に合宿に参加したんだよな」と。
先輩から扇風機を譲ってもらうことを巡って、同級生と殴り合いの喧嘩にまで発展したこともあったのに「エアコン3台撤去して、リサイクル願います」だって…。
以来、萩に行くことを「帰省」と言い続けてたんですよね。
2年前、東京と萩の二拠点生活を始めてからは、自分の中では「移動」と表現してましたけどね。
この、どちらが本拠地かわからない生活も、なかなか楽しかったですよ。
今でも「萩に移住してしばらくしたら、また別の場所に拠点欲しいな」なんてことも思ってますしね。
「萩に移住するぞ」と決めてからずっと、萩へ向かうことが楽しみで仕方なかったのですが、こうして「そっか。今日で東京暮らし、最後なのか」と思うと、名残惜しさでいっぱいですよね。
なんか上手に言語化できないんですけど「やり残したこと、いっぱいあるな」とも思いますし「まあ、そこそこ上手くやれたんじゃないかな」とも思います。
まあ、半々ってところでしょうかね。
引越し業者が搬出して、ガスと水道の停止に立ち会い、仲介業者のチェックを受けて鍵一式を渡したら、僕はバッグを引いてTCAT(東京シティエアターミナル)へ向かいます。
そうだ。航空券を片道分だけ買ったのも、生まれてはじめての経験だ…。
きょう僕は、山口県萩市に移住します。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。