雨音ひとつとっても、田舎の古い戸建て
2020.09.11
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。萩市の古民家に住み始めてから、自然の物音や季節の変化がきっかけとなって、物事を考えることが増えたような気がします。田舎の戸建てに住むと、自然との距離が縮まったような気がしますね。そういうのを求めるのも、加齢のせいなんでしょうかね?
雨音で目が覚める
雨です。先週のように台風が襲来したわけではなく、ごく普通の雨。
天気予報を見る限りでは、3・4日続く長雨になりそうですけどね。
今朝は、雨音で目が覚めました。
いちいち、東京でマンション暮らしをしていた頃の話を持ち出して「東京は良かった。田舎はダメだ」というわけではありません。
むしろ「雨が降れば、雨音がする。そんな単純なことからも遠ざかってたな…」などと、しみじみと感じいっているのです。
先月まで住んでいた東京のマンションは、10階だったこともあり、雨が降ってるのか降っていないのかなかなか判断できなかったのですよ。
ベランダや共用廊下から外を見て、歩いてる人が傘をさしてるかどうかで見極めていました。
弱い雨の場合、エレベーターで1階まで下りてから「あ、雨降ってるじゃん」と気づくことも多々ありました。
横殴りの強い雨でもない限り、雨音なんてしません。
なので、夜中に雨音で目が覚めるなんてこと、全くありませんでした。
今月のはじめから暮らし始めた山口県萩市の古民家。僕が寝室として使ってる部屋の外側には「差し掛け」と呼ばれる設備が付いています。
(参考:ようやく古民家に入居できたと思ったら、台風が来てて眠れない)
「差し掛け」、ご存知でしょうかね?
ググってみると「山口県でよく見かける」なんて書いてありますね。
家の外構部に土間コンを打って、その上と横にポリカーボネイトの波板で屋根と壁を作って、屋内と屋外の間くらいの空間を設けているのですよ。
そこが簡単な物置きスペースになったり、雨の日用の洗濯物干場になったりしています。
僕の家は、その差し掛けが広めに作られているので、自転車置場にしています。
水道も付いていて、前オーナーさんがスロップシンクっぽく設えてますね。
農具や園芸用具などの汚れ物は、そこで洗えるようになっています。
そういう、なかなか使い勝手のいい設備なのですが、雨のときには少し騒音が気になりますね。
屋根材であるポリカーボネイトの波板を、雨が叩いて「パンパン」と鳴るのですよ。
雨の振り始めに気づきやすいという利点はありますけどね。
雨樋が機能してない箇所が
そうして雨音で目が覚めてしまった僕は、作業場というか書斎として使っている部屋に移動してきました。
雨が差し掛けを叩く音が聞こえなくなるだけで「瓦に当たる音」「地面を叩く音」は普通に聞こえてきます。
築56年の木造平屋造の家ですから、そんなもんです。
セルフリノベーションを進めていって、二重窓に変えたり、天井に断熱材を敷き込んだりすれば住環境としてはクオリティは向上するのでしょうが、雨音を聞こえなくすることができるかというと疑問です。
加えて、作業部屋ではまた別の問題があるのですよ。
先日の雨の日に撮った写真ですが、ご覧ください。
雨樋が機能してない
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、雨が雨樋を通って排出されず、溢れて直接地面にボタボタと落ちていっているのです。
さほど強くない雨のときならば、こうはならないのですが、ちょっと本降りになるとこういう現象が起こるのです。
中が詰まっているのか? 設置する角度に問題があるのか? 要チェックですね。
もう1箇所、先日の強風で雨樋が横向きになってしまった箇所があったのですが、そこはよきタイミングで注文していた脚立が届いたので昨日修理済みです。
ヨボヨボになってリタイアしても、意味ないよ
家の中に居ながらに外の様子がわかる生活のほうが自然なはずなのですよ。
僕が生まれて小学生まで暮らしていた平屋の借家も、両親が買った2階建てのプレハブ住宅も、大学進学で上京して入居した寮も、大学2年から入ったバレー部の合宿所も、社会人になって借りたアパートも、家の中にいても「あれ、降りだした?」って分かってましたもんね。
「昔の住宅は、みんなそんなもんだった」といえば、それまでなんですけどね…。
いつしか、当たり前のようにマンション暮らしをするようになり、家の中にいる限り外の変化に気を配ることもなくなり、せいぜい空調と外出時に着るものを調整する程度で快適に暮らせるようになってたんですよね。
洗濯したものを干すことすらしなくなりましたからね。
いいことなのか? 悪いことなのか? と言えば、紛れもなく「いいこと」に決まってるのですよ。
雨や風の音で目が覚めたり、急速に気温が低下して風邪を引いたりとか、不快ですもんね。
おそらく加齢に因るものなのでしょうね。
土のある家に住んで、草むしりをしたり、木を切って板を貼ってペンキを塗って、暮らす場所を自分好みに改造したり、雨や風に気分を左右されるような生活をしてみたくなるものなのですよ。
(参考:土を踏んで暮らしながら。また、ものを考えよう)
先月、売り払った東京のマンションと、いま住んでる萩の古民家、住環境としては東京のマンションの方が快適です。
でも視界に映るものや、聞こえる物音、肌に感じるものが何かを考えるきっかけとなるのは、明らかに萩の古民家のほうです。
「庭の木の葉が、萎れかかってるな。草むしりも終わってないのに、そろそろ落ち葉拾いの季節か…。ブロワー買おっかな」なんてこと、50年以上生きてきて、始めて考えているのです。
僕の勝手な仮説にしか過ぎませんが、これがもしサラリーマンの定年を迎えたあと、65歳とか70歳で「土のある場所で暮らしたい。田舎へ」となった場合、そこまで「あれしよ、これしよ」っていう気力も体力も残ってたかな? などと考えるのです。
不動産を買ったり売ったりする労力も含めて、なかなかキビしかったんじゃないかな、と思うのです。
(参考)
こうして、どうにかこうにか田舎に移住して、セミリタイア生活を開始できた今「リタイアするなら、気力体力が残ってるうちにするに限る。ヨボヨボになってリタイアしても、意味ないよ」と思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。