田舎暮らしも、なかなか情報量が多い
2020.09.23
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。東京暮らしをしているときには意識すらしていなかった、小さな生き物との出会いとか、自然から発生する音、そして我ながらビックリしたのが「暗闇」の存在。そういった当たり前のことがすごく気になるし、今のところ心地よく感じていられるのです。
裏の竹やぶに動物が来てる
勝手口を開けたら、そこにコオロギをくわえたヘビがいるとか、青く光るトカゲ(ニホントカゲの幼体なんだって)がこっち見てるとか、日常茶飯事なのですよ。
家の中にはヤモリやらクモやらがいっぱいいます。
家の中にいる大きめのクモは出会うとビックリするし、庭ならまだしも、家の中でクモの巣に引っかかるのは不快なので、見つけしだい殺虫剤を吹き付けて退治することにしました。
ヤモリはとくに害はないので、放置しています。
東京のマンションで暮らしているときは、蚊すらめったにおらず、いても「ほう珍しい、エレベーターで一緒に上がってきたのかな?」と思うくらい。
あとは、ときどきベランダでセミが死んでるくらいでしょうかね。
鉢でいろいろ育ててた近所の人は「花に虫が湧いた。そちらにご迷惑おかけしてません?」といっとき大騒ぎしてましたけどね…。
田舎に引っ越すと、とにかく毎日なんらかの小さな生き物に出会うのですよ。
そうそう、郵便受けの中に毎日入ってるカエルもいたのですが、最近見かけなくなりましたね。
なんとなく庭で見かけるカエルの種類が変わったような…。
以前はアオガエルが多かったんですが、最近は茶色いヤツばっかです。
気候のせいなのか? 稲刈りが終わったらみんなの住処が変わったのか?
僕がこうしてブログを書いている作業場は、裏庭に面した3畳強の板の間にあります。
カッコ良さげにいうと「庭を臨む書斎」ってところですね。
庭の向こうには、広大な他家の竹やぶ(竹が多めの雑木林)が広がっていて、視界は緑&茶。若干、木々のボリュームが多すぎて、空の青が足りないのがちょっとした不満ってくらいでしょうかね。
なので、ほぼ1日裏庭と竹やぶを視界に入れながら、そこから聞こえる物音や生き物の鳴き声を耳にしながら過ごしています。
ここは街中でもなく、農村部でもない、山の登り口付近なのですよ。
誰が管理してるんだかわからないような、林や竹やぶ、雑草地もあれば、山の斜面に段々に作られた水田もあります。
かと思えば、新しく造成された土地に新しい家が数件、まとまって建っていたりもするのです。
ちょうど「街と山の境目辺り」といったところでしょうかね。
僕はもともと山口県萩市で生まれ育ちました。
けれども、ずっと「街中」と言って差し支えないところに居住していました。
ヘビやカエルを見かけるのは日常茶飯事だったのですが、今の家に越してきて、生まれてはじめてイタチを見ました。
何かのときに檻に入れられてるイタチならば見たことはあったのですが、天然のものを見たのは初めてだったので、少々興奮しましたね。
うちの裏庭をフツーに小走りで横切っていきました。
ググってみると農家では、こいつがなかなかの嫌われ者のようですね。
獣害と向き合うようになると、あの小さくて愛くるしいやつを捕まえて殺処分しなきゃいけないんですよね…。
そして、ここ数日、イタチでもない別の動物が竹やぶの中をゴソゴソしているのですよ。
なかなか姿を見ることができないのです。
チラっと見えた印象だと、色が濃くてズングリしている感じ。
前オーナーさんに「タケノコの季節になるとイノシシが来るよ」と聞いていたので「もしかして…」と思いつつ、裏庭に出るときにはスマホを常備しているのですが、なかなか姿をとらえることはできません。
イタチもあの一度っきり見かけることはなくなりました。
視界にある芽や葉がすごく気になる
涼しくなったせいか、竹やぶにやってくる鳥の種類も変わった気がします。
動物たちと同じで、上手く姿を捉えられないので「あれ、聞いたことのない鳴き声のやつが来てるな」って感じるくらいのものなんですけどね。
飛んでくる虫も、今まで見なかった蝶がやってくるようになっていますし、気になるのは、ときどきスズメバチの姿を見かけることなんですよね…。
「ウチのどこかに巣を作ってなきゃいいけどな」などと思いつつ、家のグルリをチェックしてるんですけどね。
ググると「地中や木の根に巣を作ることもある」なんて書いてありますので、油断禁物ですね。
季節が変わって湿度も下がったし、木々も枯れ始めてるからなのでしょうが、風が吹いたときに木々が触れ合う音も変わりましたね。
ちょっと乾いたような、音がするようになっています。
実際に風が吹くたびに枯れ葉が舞ってますからね。
作業場から見える景色
毎日同じ景色を見ていると、ちょっとした違いにも気づいたりするものなんですね。
葉っぱの色が全体的に茶色を帯びてきて、少し下を向いて勢いがなくなってきたり。
かと思えば、これから寒くなろうかと言うのに地面から芽を出す植物もあったり。
僕があまりにも浅学なため、どの木、どの草がそれぞれ何という名前なのかわからないのですが「こうも毎日々々、表情を変えていくものなんだなあ」と感じ入っています。
これまでもずっと植栽が目に入る場所で暮らしてたんですけどね。
常時目に入る場所にあるものって、また違った意味合いを持つんですね。
向こうの竹やぶはどうにもできませんが、こちらの裏庭に植えられてる木は自分でどうにかしないと、育ち放題になってしまいますからね。
地面から生えてくる芽も同様です。
気づいたらすぐに摘むのか? ある程度まとめて処理するのか? それともしばらく放置するのか? を決めるのは僕なんですよね。
「自分の視界にある景色の一部は、自分で作らなきゃ」ってのも、いろんなことが気になる原因のひとつなのだろうと思います。
思いがけず出くわす暗闇
逆に「このままだと道が見えなくなって、帰れなくなっちゃうかも」という体験もしました。
昨日のことなんですけどね。
歩いて10分くらいのところに「陶芸の村公園」という施設があります。
萩市街が一望できて、とても気持ちのいい公園なのですよ。
夕暮れ時にそこに行ってボーッとしていました。
遠くに見える指月山と日本海に夕日が沈んでいき、萩市外にポツポツと灯りがともる景色がなんとも好きなのです。
陶芸の村公園
公園付近の大きな通りには当然、街灯がありますので、その道を通って帰宅する分には深夜になろうが構わないのです。
これまで、夕暮れの陶芸の村公園から帰宅する先は、実家だったのでどっぷり日が暮れてもなんの問題もなかったのですが、今の家は大通りから街灯のない、かつ両側を木々に覆われた路地を100m程度歩いて帰らなければなりません。
まだ暮れきっていないにも関わらず「あれ? もしかしてマズいかもな」と思い、ちょっと早めに公園をあとにしました。
路地に入るころは、まだほんのり空に紫が残ってるくらいの時間帯でしたね。
それでも路地に入ると真っ暗。
途中で、近所のお宅の灯りが漏れるところが1箇所だけあるのですが、それ以外はほぼ勘を頼りに自宅までたどり着きましたもん。
こんな暗闇を歩いたのも何十年ぶりだろう…。
ところがですね。今朝、試しに夜明け前、ランニングに出かけるときに、その路地を通ってみたのですよ。
そうすると、不思議と歩けるもんなんですね。
月灯りの加減とかもあるんだろうけど、目の慣れの影響の方が大きく感じました。
昨晩は、明るい街灯のある通りから木々に覆われた暗い路地に入りましたけれども、今朝は出掛けから暗かったですからね。
ただ「田舎で暮らしてると、思いも寄らないところで暗闇に出会う」というのは新しい発見でした。
おそらく「そんなのよくあること、当たり前じゃん」なのでしょうが、長らく都市部で暮らしていると、そんなことすら意識からなくなってしまうものなのですよね。
「夜」を想起するものは「闇」ではなくて「灯り」になってしまっているのです。
とりあえず、マグライトの一番小さい単四1本のヤツをAmazonで注文。キーホルダーかペンダントヘッドにしようと思います。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。