なんとなくペースがつかめてきたかな
2020.10.11
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。最近、ゆったりと物ごとを考えることに慣れてきたような気がします。たぶん生活環境を変えたからだし、無職になったからだろうと思います。今だけかもしれませんが、なんとなく自分が望んでいたペースを掴み始めているような感覚になっているのです。
だんだんと焦りがなくなってきました
ボーッとしてることが増えてきたかな? と思います。
そんなときって、本当にアタマが空っぽになってるときもあったり、ゆったりと何かを考えてるときもあったり、そのへんはいろいろなのですが、大雑把に言えば「何もしない」を許容できてる時間なんですよね。
すでに無職になって1年が経過していますし、もう少しで田舎暮らしを初めて2ヶ月が経ちます。
無職に関しては、なんとなく「板についてきたかな」という感じですが、田舎暮らしに関しては「まだまだ準備段階だな」と感じています。
ボーッとしてることが増えてきたことを「うん。いいことだよね」と感じています。
自分自身で環境を変えると、ワクワクと同時に戸惑いもやってくるんですよね。
「ヨシ行動し始めたぞ、ずっと考えてたアレやらなきゃ、コレもやらなきゃ」って気分になるのです。
1年前に、受け持っていたすべての案件をクローズさせて無職になったときもそんな感じでした。
「無職はつらいね。まだ1ヶ月目だけど」なんて記事を投稿したこともあるように、ワリと暇にし続けてるって苦痛なのですよ。
自分の考えをさかのぼってみると、暇な時間を増やして、自分のペースで、自分のやりたいことをやるために、無職になったり地方に移住したりしているのですが、どうもしっくりこないのですよ。
もう何十年も、スケジュールいっぱいで仕事に追いかけ回されてるのが「善」。他人から必要とされていることを実感できるし、お金もいっぱいもらえて生活も豊かになる。って生活をしてきましたからね。
自分で望んだ「仕事はないし、お金も入ってこない状態」に戸惑っちゃうんですよね。
無職になったばかりの去年の今ごろは「さあ早く次のステップに進まなきゃ」「移住先の山口・萩で住む家、決めなきゃ」って感じになっていました。
当時はひと月のうちの約2週間を萩で過ごし、残りの約3週間を東京で過ごす二拠点生活をしてましたからね。
そういや、ほんのちょっと「デュアラー」なんて言葉を見聞きすることが多かった時期もありましたね。
(参考:二拠点生活をする人のことを「デュアラー」と呼ぶらしい)
早くも死語になっちゃいましたかね…。
萩にいる2週間のうちに、不動産会社や空き家バンクのサイトに掲載されている物件を自転車に乗って見て回ったり、内覧したい物件を決めて市役所の移住支援担当者に「ここ見てみたいです」って連絡して中を見せてもらったり…。
今となっては、もうちょっと図々しく「アレも見る、念のためココも見てみる」と、早い段階から担当者を連れ回しても良かったのかな? とも思いますが、当時はちょっと遠慮がちに動いてましたからね。
萩にいる2週間の間に決めきれず、東京に戻っては「次こそは必ず」と、焦燥感を感じていたものです。
ホントは心のどこかで「せっかく無職になったんだし、やりたいことをゆったりと進めよう」という気持ちのほうが強いのですよ。
それなのに、それとは裏腹に「次へ、前へ」ってなっちゃうんですよね。
何かをゆったりと進めることに慣れてなかったのですよ。
常にちょっとした工夫をしていたいんですよね
無意識のうちに自分を飽きさせないことに一生懸命になっちゃうんですよね。
フリーランスのデザイナー時代には、それがうまく機能していたと思います。
ちょっと行き過ぎて、セルフブラック化していたことも事実ですけどね。
(参考:「セルフブラック」の功罪)
「なんか飽きてきちゃったな」って感覚に耐えられなかったんですよね。
だから「飽き」から逃れるために、時間さえあれば、学習やら練習やら何かしらの「役に立ちそうなこと」を探し出して、その中から面白味みたいなものを探し出そうとし続けてたんですよね。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと)
今もその感覚は残っています。
たぶん、ずっと残り続けるんだろうと思います。
でも、だんだんとその時間軸を長〜く捉えることができ始めているような気がするのです。
僕の性格なのでしょうが「飽き」の恐怖に耐えられないんですよね。
すぐに「次の何か」に向かおうとしてしまうのですよ。
先日投稿した「僕は低機能者らしい」で触れた「運転適性検査」でも、それっぽい評価をされてましたしね…。
でも、自分の仕事や役割を自分自身で面白くしていく工夫って、ものすごく大切なことだと思うんですけどね。
特に誰に管理されるわけでもないフリーランスは、自分自身でその環境を作る能力の有無って、生死に関わることなのです。
でも、それが拙速すぎたからバテにつながったんでしょうね、僕の場合。
ちょうどリズムの取り方を変えなきゃいけない時期だったのですよ。
ゆったりと構えることに慣れてきました
おそらく、飽きを嫌って自分がやってることが面白くなるように工夫し続けることは間違っていないのです。
それと何よりも、自分が何かに飽きたときにはそれに気づくことができることの大切さですよね。
たぶん僕にはまだそのへんの感覚は残ってるし、死ぬまで保ち続けることが可能なんじゃないかなあ? と思っています。
でも、そのペースのコントロールがなかなか下手くそなんですよね。
だからここいらでちょっと、見直しが必要だったので、そのための「無職」であり「地方移住」なのだと思うのですよ。
冒頭で書いた「ボーッとしてることが増えてきた」のは、だんだんとゆったりペースで自分の「飽き」を解消していくことに馴染み始めたんじゃないかな、と感じています。
このブログでもちょくちょく書いているように、田舎暮らしを始めたからこそ得た環境とか、庭いじりとか落ち葉焚きのような作業などなど、面白さのタネは無尽蔵に転がってるような気がします、今んとこ。
「自動車の免許を取ったら、行動範囲も変わるし運べるものも変わるんだよな」という、新しい期待もあります。
加えて、それらに向かい合うペースをゆったりと捉えることができる余裕みたいなものが生まれているような気がします。
おそらく田舎の環境のおかげだし、誰かとスケジュールを共有せずに自分だけで進めているからだと思います。
萩市民になって、今の家に越してきたときにはまだあった「アレしよ、コレしよ」がだんだんと薄らいできている感じがしています。
実際には、自動車学校に通ったり、庭の木を切って根を抜いたり、石ころを一箇所に集めたり、毎日々々いろんな作業に取り組んでるんですけどね。
気の焦りだけが取れてきているような気がするのです。
ときどきメール「いかがですか。山口での生活は落ち着きましたか?」みたいな注釈が書かれていることがあります。
そのたびに「いったい『落ち着く』ってどういうことなんだろうな?」なんてことを感じながら「そうですね、ぼちぼちやってます」みたいな返しをしていたのですよ。
でも最近はなんとなく「そっか。これが『落ち着く』ってことなのかもしれないな」なんてことを考えています。
一過性の現象かもしれませんけどね…。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。