follow hagi.life

原因不明の好調

2020.10.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

山口県萩市に移住して以来、心身ともに調子いいのです。直接の原因は上手く睡眠が取れているからだと思います。その上手い睡眠につながる要素は様々でよくわからないのですが、「あてずっぽう」を含め、なんとなく見えてきたような気もするのです。

なんだか最近、調子いいな

以前はよく「原因不明の不調」みたいな現象に見舞われていたことはよくあったのですよ。

「知らなかったでは済まされない危険信号」みたいな大げさな感じじゃなくて「なんだか最近、調子出ないんだよね」程度の日々が続く感じですね。

日光も浴びず、土も踏まず、コンクリートの建物の中に引きこもってPCに向かい続けるような仕事のスタイルでもあり、生活スタイルだったからなのかもしれませんね。

実際に40代まではものすごく生活が乱れていて、パニック障害を発症したのを機に、心肥大が発見されたり高血圧症が見つかったりして、3ヶ月程度の休養を余儀なくされましたからね。
(参考:「セルフブラック」の功罪

その反省から、タバコもピタっと辞めたし、早寝早起きをするようになったし、仕事量もセーブしつつ達成感よりも充足感に価値を求める体質には変わっていったのですが、それでも年に数回は「なんだか調子悪ぃな」と感じる日々はあったのですよ。

ところが最近、その逆のことを感じているのですよ。
「なんだか最近、調子いいな」です。

調子なんて、いい日もあれば悪い日もあるに決まっているわけで、以前から「調子いいな」と感じてる日はあったはずなのですが、認識できてなかったんですよね。

往々にして人は、良くないときには「何が原因なんだろう?」「どうやったら逃れられるのか」などとあれこれ考えはじめますが、良いときには何も感じないようにできてるものですからね。

今の僕は、山口県萩市に移住してきたばかりなので「この移住、正しかったのか? 間違っていたのか?」「自分の体調にどう影響しているのか?」なんてことばかりを考えているので、調子いいこともちゃんと認識できるんでしょうね。
(参考:きょう僕は、山口県萩市に移住します

なんとなくそんな感じがするのです。

朝ランが快適です

「なんだか最近、調子いいな」も、本当はちゃんと原因があるのだろうと思うのです。

エビデンスの有無は謎ですが「気圧が心身の好不調に影響する」みたいな話を見聞きしたこともありますし、カーテンを開けて青空が広がってると気分が晴れやかになることは実感できますしね。

たぶん、そういうものの組み合わせで「調子いい」のだろうと思います。

先日投稿した『在宅勤務のメリット。もう「勤務」してないけど…』でもチラっと触れましたが、かなりの部分で運動と睡眠が影響しているように思います。

朝ランが快適なのですよ。

東京と萩市を行ったり来たりしながら暮らしていた、二拠点生活時代から何度も走っているコースなのですが、完全移住するまでは若干のフラストレーションがあったのです。

東京で生活しているときに走っていた木場公園内のジョギングコースと違って、一般道を走るので途中何度も信号で停止を余儀なくされるのが不満だったり、緊急時(ケガとか体調不良とか)の対応に不安を感じたりしていました。
当然、100m、500m、1kmごとに色違がいのタイルが設置されてるはずもありませんしね。

それが慣れてくると、だんだん快適度が増してくるのですよ。

一番の「いいね!」は、コースの中に「山(登り口だから「丘」ですかね)」「海岸沿い」「川沿い」「市街地」が含まれていることでしょうかね。
市街地は、田舎ですからビルの中を抜けていく感じではなくて、住宅街、公園のそば、土塀の連なる旧城下町を抜けていく感じです。

気分次第だったり、信号のタイミングでコースを変えてみたりもします。
距離も時間もテキトーだし、自分がどのくらいのペースで走ってるのかもわからなくなっていますが「走る散歩」みたいな感じで、そこそこ満足度は高まってきています。

オッサンなので、以前みたいに「キロ5分ペースで10km。5日間続けてみよう」なんて考えませんもんね。
タラタラ走るし、気が乗らなくなったらウォーキングに変えたり、テキトーなベンチに腰掛けたりするくらいが快適なのです。

結局、睡眠ですね

今日のブログ記事のタイトルを「原因不明の好調」ってことにして書き始めましたけど、直接の原因は「睡眠」だと思うのです。

先日、少し睡眠が上手く行かない日が続いたことがあって、そのときに答え合わせっぽい感覚を得たのです。
(参考:足りてると、そのことに気が付かない

そしてその上手い睡眠に導いてくれる原因が、いまいち「不明」なんですよね。

前項で挙げたランニング(=運動)が大きな原因のひとつであることには間違いないのですが、結局それを含む「複合」なのだろうと感じています。

たとえば僕は雨が降っていない日は必ず、2時間程度庭仕事をしています。
芽が出てきた雑草を抜いたり、不要な植栽を切って根を抜いたり、デコボコの土地をレーキで均したり、落ち葉を集めて焚いたり、雨樋を掃除したり。
青空の下で、ときには泥だらけになりながら汗をかいているのが、なかなか気分いいのです。

そうして暮らしぶりが変わったことで、目につくもの、感じるものも変わってきています。

家の内外にいるクモとかヤモリ、トカゲ、ヘビ、イタチなど、小さな生き物の存在に気づくことが多くなったように思います。
裏庭の向こうに生い茂っている木の葉の色が変わったり、落ちたり、日々形を変えていくことにも敏感に気づくようになるんですよね。

隣の田んぼを通ってくる風の匂いも、稲刈り後に少し変わった気もします。

そうそう、昨日から隣の田んぼで草刈りをしてるんですよね。
ずっとエンジン音と、草を刈る音がしています。

騒音っちゃあ騒音なのでしょうが、なんとなくこの音が心地いいのですよ。

受注する案件の量とか、作業単価とか、年間の所得額とか、そういう達成感を求めることに興味がなくなったような気がするんですよね。
たぶん、草むしりも石ころ拾いも、住環境のメンテナンスも終わりなき作業なのですよ。

営々と自然や自分と向き合い続けることになろうかと思うのです。
なんだか、そういうものに充足感を感じるし、ほっこりとした気分でいられるのです。

おそらく、まだ自分でも気づいていない、そういう要素いっぱいあって、それらが絡み合って「上手い睡眠」に繋がっていってるのだと思うのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。