思ってたより、世間は無職に肯定的みたいです
2020.10.24
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。無職になって1年が経過したのですが、思ったよりも世間の風は冷たくありません。わりと肯定的に対応してもらっています。自分としては無駄な「気取り」が消えていい感じです。ただ、いろんなことに無頓着になることには警戒しなきゃと思うのです。
「無職です」「ああ、いいですねえ」
おそらく「東京から山口県萩市に移住してきました」っていう属性がくっついちゃったからでしょうね。
東京で暮らしていた頃よりも「ご職業は?」とか「お仕事、どうされてるんです?」みたいなことを訊ねられることが増えたのですよ。
増えたっていっても、それほど多くの人と会ってるワケじゃありませんから限定的ですけどね。
中学や高校の同級生だったり、飲食店の経営者・店員だったり、いま通ってる自動車学校の教官とか…。あとは、SNS経由でメッセージで聞いてきた人も何名かいましたね。
そういうとき、相手がどれくらい僕に興味を持って聞いてきているのか? 温度感が不明なので、ひと言「無職です」と言うことにしています。
人によっては「じゃあ、これから萩で求職されるんですか?」とか「萩でなにか始められるんです?」なんて聞いてくる場合もありますが、大抵の場合は「ああ、いいですねえ」という反応が返って来ます。
その背景には、僕がオッサンだからということもあるのでしょうね。
たとえば30代くらいの方が「無職です」って言うと反応は全然違ってくると思うのです。
「その若さで、一発当てたのか」「身体が悪くて働けないのか」「実家が太くてブラブラしていられるのか」いろんな詮索をされることになるんでしょうかね? よくわからないけど…。
そして、僕が「無職です」と告げる相手も、今のところオッサン・オバサンが多いということも影響しているかもしれません。
現在50代半ばの僕ら世代が社会に出るころ、サラリーマンの定年は55歳だったのです。
なんとなく「そうね。みんなもう、そのへんは自分で選ぶ時期だよね」みたいな感覚が共有されてるんでしょうね。
とはいえ、僕はまだ無職になってから1年ちょっとです。
まだまだビギナーなので、わかったようなことを言うつもりはありませんが、今のところ不利益を被った経験はありません。
(参考:「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです)
気取りが取れて、なんかいい感じです
無職じゃなかったころ、つまり職業人だったころって、そこそこの「気取り」みたいなものがあったと思うんですよね。
そこは単にカッコつけたり、わざと偉そぶったりするっていうんじゃなくて、僕をキャスティングしてくれる人が求める自分を演じるとか、意図的に本音の出し入れをしている感を漂わせるとか、そんな感じです。
これ。無職になっってから気付いた反省点なんですけれども、職業人だったころから「気取り」を捨て去る場面を意図的に作ったほうが良かったな、と思っています。
「ぼく無職です」って言っちゃったら、もう気取りようがないのですよ。非常に楽ちんです。
会議とか、打ち合わせとかで「ん〜微妙に意味わかんないな」ってことがあっても、ちょっとした知ったかぶりしたりするじゃないですか、自分には「流れを止めるのも悪いしね」なんて言い訳を与えながら。
そういうときでも「スンマセン、それってどういうことっすかね?」みたいな感じで腰を低くして、ちゃんと質問したほうがいいに決まってるのですよ、気取らずに。
とくに僕みたいなオッサンがそういう感じでいるとそこにいるメンバーたちにも伝播して、会話が活性化するんですよね。
なにかを説明するときにも、上手い言い回しを探したり、立板に水感を出そうとせずに、訥々(とつとつ)とでいいから、何かしらを伝えようとする意思を示したりすることって、座が上手く回るきっかけになるんですよね。
「無職」という立場を得たあとに、こういうことを言うのは少しズルい感じもしますが、そんなふうに思うのです。
無職になってようやく「知らないうちに、オレってそこそこ気取ってたんだな」と感じたし、それが取れてみると「こんなに楽なのか」「これはいいぞ」などと思っています。
いろんなことに無頓着になることには警戒しなきゃ
もともと職業人時代の僕は、さほど嫌味を含んだ人間ではなかったように思うのですよ。
自分でもそうあろうと思っていたし、だからこそ50代半ばまで指名発注をいただき続けることができたし、自分の意思で市場を去ることが叶ったのだろうと思っています。
自分をよく見せようとしたり、取り繕うための嘘もつきませんでした。
そんなもの、バレるに決まってますから。
フリーランスでしたから、儲け損なうことよりも、嫌われて排除されることを極端に恐れていたのです。
ただ前述のように、どうしてもちょっとした「気取り」は含んでいたのですよね。
そこに気付いて、その部分だけを取り除く(=引き算)ことができていれば、もうちょっと上手く行ったのかな? なんて思うのです。
くり返しますが、無職は楽ちんです。
思っていたほど世間の風は冷たくありません。
東京で暮らしてるころは「昼間っからオッサンがプラプラしていられるのって、ここが東京だからだよな」「田舎だと、冷たい目で見られるんだろうな」なんてことを思っていたのですが、そんなことはありません。
考えてみれば、田舎にだって自営業者はたくさんいますし、なんだかよくわからない人の居場所なんて、どこにでもあるのです。
もっと田舎の農林漁村エリアだと、また状況は違うのかもしれませんけどね…。
ただ「気取り」を捨てることと、あらゆることに無頓着になることって違うと思うんですよね。
たとえば服装であれば、もうハイブランドに食指を伸ばすことなんかないでしょうし、実際すでに1年中、黒Tか白シャツそれにパーカーだったりしますしね。
でも、最低限の清潔感は保ってなきゃいけないと思うのです。
また、意識的に丁寧な言葉づかいや態度に努めるみたいなことも絶対に必要ですよね。
「言ってること、違うじゃん。気取りを捨ててないじゃん」と言われれば「うん最低限のとこはね」って感じでしょうかね。
おそらくそのへんのタガが外れると、果てしなく無頓着になっていくことができるのですよ。
無職だと、他人に相手にされなくなることを恐れる必要がありませんからね。
今のところ「思ってたより世間は無職に肯定的だぞ」と感じています。
ただ、この先いろんなことに無頓着になり過ぎると、そういうわけにはいかなくなる可能性もありそうな予感もしているのです。
こうして毎朝「書くこと」を探す習慣を保ってるうちは大丈夫なんじゃない? とは思うんですけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。