follow hagi.life

生まれた街に帰ってきたワケじゃなかった

2020.11.25

こんにちは、萩ドットライフ()です。

この街は自分が育ったころとあまり変わってないなあと、なつかし成分多めで暮らしてきたのですが、だんだんと「そんなことない。変わってる、ぜんぜん違ってる」と感じられることが多くなってきました。当然ですが、むかしのままなワケがないのです。

想像を超える光景

この山口県萩市で暮らし始めて、3ヶ月ちょい経過しましたが、はじめて昼前の時間帯にスーパーに行ってみました。

とくに「この時間帯の店内の様子を観察しよう」と狙って行ってみたのではなく、その前に寄った病院の待ち時間の関係で、たまたまこの時間になったのです。

ワリと混む時間帯なんですよ。
東京で暮らしていたときに利用していたスーパーも、昼前は混雑していたので、意図的に外してたんですよね。

ここ萩のスーパーでも同じように混んでいました。

ただ東京時代に目にした光景とは違って、お年寄りばかりなんですよね。

みなさんカゴではなくてカートを使っておられます。
一人ひとりが大量に食品や生活用品を詰め込んでるんですね。

移動手段が自動車だからでしょうね。

なので、レジでものすごく時間がかかるのですよ。
僕がこれまで訪れた時間と異なり、多くのレジが開いていたので列はさほど長くなっていませんでしたけどね。

そして、通路にカートを置いたまま周囲の棚を物色していたり、2台のカートを並べたまま、たまたま出くわしたと思しき知り合いとの世間話をされていたり、至るところでそういう状態が発生しているので、とても歩きにくいのです。

時間帯のせいか、お店のスタッフも棚に商品を補充するために、カートを押して歩き回っていますしね。

当然、サッカー(荷詰め)台付近でも似たような光景が広がっています。

荷詰めを終えた二人のお年寄りが、通路に空のカートを置きっぱなしのまま、ずっと台の前で話し込んでいたり、買い物袋に商品を詰めるのにものすごく時間がかかっていたり…。

正直「萩でもこんなに人が集まる場所・時間があったのか」と感じる同時に「こんなにも、年寄りばかりの街になってたんだ…」と、ちょっとした驚きがありました。

統計数字とか、「高齢化のすすむ」みたいな文字面ではわかってたことなんですけどね。
実際に目の当たりにしてみると、想像を超えていてなかなかショッキングなものがありました。

もちろん、この光景がそのまま「萩の縮図」だとは思っていません。
僕が観た光景は、混雑する土日を避けて年金生活のお年寄りたちが集まっていた「たまたまのタイミング」だったのかもしれません。

三連休明けの平日でしたしね。

変わった? 変わらない?

新しい道や公園ができたこと、人口が減りつつ高齢化が進み、閑散として子供の少ない自治体になっていること、新型コロナ禍のために街で観光客を目にする機会も減っていることなど、それなりの変化については理解していたし感じてもいました。

それでも漫然と、

「この街は、むかし自分が出ていった頃となにも変わってないなあ」
「なんせ、江戸時代の地図がそのまま使える、なんてことを売りにしたりしているからなあ」

などと思いながら、この3ヶ月を過ごしていました。

「変わったところ」「変わってないところ」が混在していますからね。

38年ぶりに再度萩市民になってみた僕にとって「変わってないところ」のほうが目に付きやすいのですよ。
心の中の、なつかし成分を多めにしていたほうが「生まれた街に、また帰って来たんだなあ」という高ぶりを感じられて、うれしいからなんでしょうね。

それが、だんだんと「変わったところ」のほうが目につくようになってきた気がします。

まだ、たったの三ヶ月なのですから、この感じ方はどんどん変わり続けるのでしょうね。

ちょっと話はズレますけどね。
東京も僕がフリーランスになった1990年代半ばくらいから、ついこないだ、萩市に移住するために後にした2020年までの四半世紀くらい、ほとんど変わらなかったような気がするのですよ。

実際に街の開発やアップデートが滞っていたのか? 僕自身がぐんぐん変わっていくフェーズだったので、相対的にそう感じていただけなのか? は謎なのですが、なんとなくそんな気がするのです。

僕がいちばん長く住んでいた、江東区の清澄白河という街では何度か「この10年くらいで、この街もガラッと変わっちゃったんだよなあ」という言葉を聞いたことがあるので、きっと後者なんでしょうね。

僕が引越してきたときには、まだスカイツリーなんてありませんでしたからね。

街が「変わった/変わらない」なんて、自分の状態によっても見え方は違うんでしょうね。

よく考えると、ちゃんと変わっていました

また話を冒頭の「老人だらけのスーパー」に戻しましょうか。

よく見てると、少なからぬ割合でカードを所持しておられるんですね。
あまりジロジロと見るのもはばかられたので、なんとなくしか見ていませんでしたが、多くはプリペイドカードを使っておられるんでしょうかね? なんとなく、ポイントを貯めておられるふうでした。

この辺の知識に関しては、僕のほうが追いついていませんね。

一部の方は、クレジットカードを利用しておられるようでした。

先日「田舎暮らしでも、ほぼキャッシュレスですよ」なんて記事を投稿したものですから、ちょっと気になってたんですよね。

「田舎のジイちゃんバアちゃんなんて、みんな現金でしょ」と心のどこかで思っていた僕のほうが遅れていたようです。

そして「もしかして」と再度あたりを見渡すと、ちょっと空いたスペースに移動して誰かと電話しているおバアちゃん、スマホで棚の商品の写真を撮影しているおジイちゃん。
やはり「見たいものが見える」ものなのですよ。

考えてみると、ものすごく変わっていますね。

よくよく考えてみると、僕が高校を卒業して出ていったときの萩とはまったくの別物です。
僕が子供の頃には「クルマを運転するおバアちゃん」なんていませんでしたしね。

街並みや人口構成なんかは「変わった」とも「変わってない」とも言えるのでしょうが、暮らし方は大きく様変わりしていますね。
そのほとんどは、情報通信による変化ですよね。

もちろん、みんながみんなじゃないと思うのですが「この老人だらけの空間、何人かはスマホを駆使しているに違いない」と意識して周りを見渡してみると、ちゃんと目につくものなのです。

その普及の程度に関しては、なんとも解釈できませんけどね。
東京のスーパーで、どれだけのお年寄りがスマホやクレカを使っていたのか…。ハッキリとした記憶がないのです。

「見よう」としていませんでしたから。

考えてみると、インターネットがあったから僕も仕事にありつけたし、フリーランスになれたし、50代でセミリタイアすることができたのですよ。
僕もその変化の恩恵にあずかっていたのですから、萩で暮らす人々がそうでないワケがありませんよね。

都市部で暮らす人々よりも田舎で暮らす人々のほうが、インターネットのインパクトは大きかったはずなのです。

少々そのへんを見くびっていたのはマズかったと感じています。
人々の暮らしは、ほっといても変わりゆく方に変わっていくものなんですよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。