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たまには、徒歩だったり自転車だったり

2021.02.06

こんにちは、萩ドットライフ()です。

車で生活をし始めると、寄り道がしにくくなりますよね。行動範囲が広がるので、駐車スペースがあることを前提に「あそこの商業施設へ」とか「あの公園へ」とかはありますけどね。偶然何かを見つけてその場で立ち止まる、なんてことがなくなるのです。

車で外出することが習慣化しました

我が家に軽トラがやってきて、そろそろ2ヶ月が経とうとしています。
不整形で幅寄せのしにくい、変な場所にある駐車スペースに停めることにも慣れましたし、対向車がやってきたら必ずどちらかが脇道に逸(そ)れないとすれ違えない路地にも、ちょっと慣れました。

まだ「来るな。来るな」って、念じながら走ってますけどね。

僕が住んでいる街では、1月の初めころ雪が積もりました。
「せっかく四駆を買ったのだから、その実力を試してみよう」なんてことも考えていたのですが、なんだか面倒くさかったし、積もりそうな前日くらいに数日分の食料を確保したので、結局積雪時の運転はやらずじまいでした。
(参考:四駆の軽トラがやってきた

もう、外出時には常に車です。

スーパーに行くときも、公共施設に行くときも、「ちょっと日本海側を流してみるかな」と適当に走ってみるときも、とりあえず免許証の入ったバッグと、勝手口にかけたキーを持って出るのが習慣になっています。

冬だし、とくに今年は寒いようなので、とても助かっています。

でも、これだとなかなか「そのへんの川沿いをテクテク散歩してみよう」とか「市内を自転車でグルグル回ってみるか」みたいな気は起こりませんよね。
車を買って便利になった反面、徒歩や自転車で出かけることがなくなってしまったのです。

本当は、ときには「今日は自転車で行こうかな」と思う日もあったりします。
でも、「寒いし、せっかく車を買ったのに…」ってなっちゃって、結局車で出かけてしまってるという事実も、否めません。

朝ランはしてますけどね

週に3・4回の朝ランは続けています。
まだ暗い6時半くらいに出走して1時間くらいで帰ってきます。

僕が住んでいる山口県萩市は、以前暮らしていた東京よりも日の出が遅く、雲の多い日は7時くらいでもまだ薄暗かったりします。

あまり暗い道を走りたくないので、ほぼコースは固定化されています。

薄暗いと、周囲の視覚的な情報は、朧気ながら得られているような感じはするのですが、足元のアスファルトの剥がれとか盛り上がりに気づかなくて、つまづいたりして危険なのです。

なので、今はいつも馴染みの道ばかりを走っています。
春になって、日の出が早くなると、またいろんなコースを模索したりし始めるんでしょうけどね。

なんとなく飽きちゃった感じはしますね…。

風の痛さや柔らかさ、路地を曲がったときの香り、視界が開けたときの清々しさなど、いろんな情報は受け取っているはずなんですけどね。
二拠点生活をしていた頃や、萩で暮らし始めた頃は、そういうのがものすごく刺激的だったのですが、やはりマンネリ化しちゃうものなんですね。

まあ朝ランなんて、本来は自分の体調を確認しながら、黙々と続けるものですから、それでいいんですけどね。

でも、基本が車生活になってしまったので、この朝ランだけが自分の足でする移動なんですよね。
コロナ禍のせいで、飲み会もないので「街まで歩いていくか」なんてこともありませんしね。

むかし僕は、寄り道が好きでした

記憶の中で印象的に残っているのは、小学校くらいの頃でしょうかね。

その当時、「通学路」ってのが定められていたのですよ。
学校と家の行き帰りは、毎日同じ道を通らなきゃいけないことになってたんですね。

でも、僕は入ったことのない路地を通ってみたり、遠回りしながら田んぼの中を抜けてみたり、工事中の家があったら毎日その前を通りながら進捗を確認していたり、花が咲く季節には何箇所かのチェックポイントを設けていたり、途中で犬を触る日があったり…。

寄り道が大好きな子だったのですよ。

小学校の頃は、通学路というルールを破りながら寄り道をしていたので、その記憶は強く残っているのでしょうね。
でも、寄り道好きな性格は大きくなっても大して変わりませんでした。

ただ、ずっと小学生のままなわけもなく、成長とともに「最短距離で思考する・行動する」みたいな考え方も持ち始めますよね。
「寄り道好き」と「最短距離狙い」の間を振り込みたいにユラユラ揺れながら大人になっていった感じでしょうかね。

50代後半になった今でも、ときどきこんな感じは、ありますね。

でも概ね、加齢とともに寄り道をしなくなるような気もするんですよね…。
どうだろ? いま冬で寒いから、こんな風に思うのかなあ。

偶然の出会いが必要なんです

寄り道の効能って、偶然の出会いがあることですよね。

車で走ってると、街の小さな変化を見逃しがちになります。
「おや。そこの店、壊してた?」って気付いて「次は何ができるんだろう」って思い始めるころには、もう遠ざかってますもんね。

朝ラン中でも「このスーパー、24時間営業なんだ…」って気付いても、足を止めるのが嫌だし、カードもスマホも持っていないので、決して「ちょっと寄ってみよう」って気にはなりません。

車と朝ランの生活では、暮らしの中に「寄り道」を持ち込む余地がないのですよ。
せいぜい「たまにはあっちに行ってみるかな」と、駐車場があることが分かってる商業施設を利用してみるくらいでしょうかね。

小さな偶然って、それこそ「小さな」ものなのではありますが、これまでの人生の中で得た「小さな偶然」をかき集めてみると、僕に考え方に多大な影響を与えてくれている気がするのですよ。

以前投稿した「ホントだ。見たいものが見えるんだ」でも触れたように、偶然聞いた話がきっかけで、これまで見えてなかったものが見えるようになったりしますからね。
(「萩ってコウモリ多いですよ。夕方とか夜明けごろとか、よく見てください、飛んでますから」という話を聞いたら、本当にコウモリの姿が見えるようになったって話です)

偶然の出会いって、自分が認識すらしていなかった思い込みを取っ払ってくれるんですよね。
小さなことだと馬鹿にしてはいけないのです。

最近、少しずつ夜明けの時刻が早まり、日暮れの時刻が遅くなり始めてるのを感じます。
春になったらまた偶然の出会いを求めて、徒歩と自転車とで移動しながら、意図的に寄り道をしてみようと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。