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アイデアとオリジナリティ。そして実行

2018.08.12

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「他人にはないオリジナリティを持ちたい」とか「際立ったアイデアを連発したい」みたいな欲求が常にあります。その道は遠く、いつまで経ってもたどり着かないのです「いつになったら自分の中に芽生えるのか?」という葛藤を繰り返すばかりなのですね。

まず、自分の中で定義付けが明確ではないので…

「オリジナリティとは、独創性・創意」「アイデアとは、思いつき・着想」。ググれば、言葉としての意味は定義づけられてるようではあるのですよ。
ただ、業務上だったり、友人同士の会話だったり、場面々々で、ちょっとずつ意味合いやニュアンスの変わる言葉のような気がしているのですね。

僕はデザイナーという職業に就いてるので、「オリジナリティ」とか「アイデア」って、ちょっとした商材っぽい認識をしていて、職業人生に関わるほど大切な要素だと思っているのです。

思い出話になりますが、以前ある案件の打ち上げで「オレのアイデアが形になって、すごく嬉しかったです」って言われたことあったのです。
僕の認識だと、その方、確かにチームのメンバーではあったのですが「そんなのムリだよぉ」「うぁっ! それカッコイイじゃないすか」くらいのことしか言ってなかったんですよね。
ただ、そういう部分じゃないところで重要な役割を担う方だったので、内部におられたのです。

「え? あなたアイデアなんて、1ミリも出してなかったじゃん」などとは言わず、「いや、ホントによかった」「懸案だった〇〇を突破できなのは、あなたのご尽力のおかげでしたね」みたいな感じで、その方本来の持ち場の話に誘導していったのですが、そのとき「あれ? アイデアって用語の捉え方が違うんだな」という印象を持ったのです。

そしてそれ以来、自分自身で「自分にはオリジナリティがある」「アイデアに溢れてる」みたいな評価をしたがってる人が多いんだな、という感想を持つに至っています。
僕が、そういう人と出会いやすい場所にいるだけなのかもしれませんが。

いつしか、僕は「オリジナリティ」「アイデア」という言葉をほとんど口にしなくなりましたね。誤解の多い言葉だと思うし、人によっては「評価」だと受け取る人もいるように感じるのですね。

前述の方は「アイデアを出し、それを検討するポジションではない、チームの功労者」だと僕は思っているのです。

「これはオレのオリジナルだ」とかあまり思わないのです

僕は自分のアウトプットに対して「オリジナルか? そうでないか?」だなんて評価をしません。
すべてがオリジナルって物凄く困難なことだと思っているからなのです。
僕が思いつくことなんて、数多くの先人たちが思いつき済み、かつ、実施済みだろうと思っています。僕はただそれを繰り返しているだけなんじゃないかと思うのです。どこかで見たもの、聞いたものの組み合わせなんですよね。

それをパクリと言うか、オマージュと言うか、インスパイアと言うかは置いといて、結局僕は、生まれてからこの方、見てきた景色・色・動作、聞いてきた言葉・音、触ったもの、感じた空気、芽生えた感情、なんやかんやからパクっているのですね。
そうやってパクったものをちょっとヒネって「自分のもの」として記憶して、その記憶からアイデアを派生させたりとか、ややこしいことになってるわけです。

ただ、

  • このとき
  • この場面で
  • この人々を対象に
  • このアイデアを選んだ

というストーリーは、僕もしくは僕たちチームのオリジナルだと考えても差し支えないのだろうと思います。

努力なんかで天才に勝ることなんかできない

突拍子もないアイデアを出しつつけるし、成果物がことごとく独創的な人っていますよね。「ものが違う」って人ですね。
僕は体育学部卒のアスリート出身者なので、子供の頃から痛いほど「これは、どうにもならない」って思った経験があります。もちろん、努力や方法論でどうにかこうにか対応できるんですが、それでもどこかで「どうにもならない」というところにたどり着くことになるんだろうと思います。
いわゆる「天才」がいるんですね。
これは例えば、どんなに筋トレして、上手いタックルの方法を開発しても、象は倒せないみたいなことですね。タックルで象に挑んではダメなのです。

ただ、天才に生まれてこれなかった人が、天才になることはできなくても、成果をあげることは可能だと信じています。
「正しい努力を、日常的に延々と反復すること」で、概ね達成できるんじゃないでしょうかね?
「正しい努力」じゃないとダメです。
アスリートがうさぎ跳びで通学するとか、クソみたいなもんだと思います。

「正しさ」を自分で考え続けること、リサーチし続けること、学び続けることも「努力」の一環だと思いますね。
ちなみに「努力」って必ずしも「苦痛」を伴うものではないと思います。
ほとんどの場合、「正しい努力」の成果を、僕たちは「才能」と認識してるんじゃないでしょうかね? また、そう信じようとしてるんじゃないでしょうか。

あと、実行力って重要ですよね。
創造性、発想、アイディアなどなどを持つに至るのは、そんなに困難なことではないと思うのですよ。あとは、いかに早く自分のイメージをアウトプットとして再現性するのか。そういうチカラって大切だと思います。
僕自身がこうして「セミリタイアするぞ」「ああいうのしたいぞ」「こういうの考えてるぞ」ってブログを書きながら、未だに東京に張り付いていることに対する戒めでもあるのですが…。
おそらく僕は「準備の完成度を気にする人」になってるのですよ。

仕事上では「与えられた制限の中でのベストをアウトプットすればいい」「あれが足りない、これの揉み方が弱い、なんてあとでいい」なんてことを言いながら、優先順位をつけて、今必要ない事項はしっかり捨てる事ができる人を気取ってるんですけどねえ…。
個人のことになると、割とダメなようです。20年前、フリーになるときはサクっと動けたので、加齢のせいかな?

「アイデア」ってそんなに説明が必要なことじゃないですよね

長々と説明しないと、やりたいことがわからないことって「アイデア」じゃないですよね。もっと気楽に語っていいものなんだろうと思います。
なんだか才能と結びつきやすいもんだから、構えがちですけどね。

たとえば僕がこのブログでやってる「山口県萩市でセミリタイア生活する」これ、アイデアですよね。
僕がやろうとしてることが一発でわかるでしょ?

  • あの島まで橋をかける
  • 眠ってても目的地に着く自動車作る
  • 仕事しなくても行きていけるようにする

こんな感じでしょうかね。

「お、面白そうじゃん」と思ってもらえれば嬉しい。
「は? 何いってんの?」が混ざってもいいわけです。とてもいいのです。

これらのアイデアをいっぱい出して、必要なものだけを選び出して、ストーリーを作って、実行する。
こうやって、僕のオリジナリティができあがっていくのだろうと思います。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。