「働くこと」の効能。なぜ働きたいと思うんだろう?
2018.08.15
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。僕は「セミリタイア」といい続けてるのです。「セミ」の部分で、ちょっと働くことを残そうとしているのです、働くことを完全に拒否しようとは思ってないのです。「リタイア」と「セミリタイア」の違いを全然考えていませんでした。まったくの無意識にです。
なんで「ちょっと働き続けよう」と思ってるんだろう?
ずっと「セミリタイア」をテーマに、いろいろ考え続けて、このブログに記録しているのです。最初から「セミリタイアしたいな〜」と考え始めました。
労働を「減らす」「質を変える」ことは考えても、完全に「やめる」ことは一度も考えたことがありませんでした。むしろ、サラリーマンの人たちが向かえる60歳だか65歳だかの「定年」を超えて、生涯にわたって、量と質を変えながら、労働を継続するイメージを持っていたのです。
「リタイア=仕事やめる」ならば、逆に「セミリタイア」という言葉を使いながら、仕事をやめなくて済む方法を考え続けてるのですね。
なんとなく「オレ、こういうこと考えてるな〜」ってわかってはいたのですが、ブログを書きはじめて、やっと言語化することができました。
「なんでなんだろう?」と思いながらも、チョットずつ整理していこうと思います。
やはり「お金が欲しい」というのが第一になりますよね。死ぬ直前まで、少しでも豊かになりたいし、生活にゆとりを欲しがるものなのだろうと思うのですね。
「もう働かなくても、最低限の生活であれば、お金に困ることはないだろう」という状況になっても、その願いが途絶えることはないのだろうと思います。
ただ、僕は労働に「楽しさ」を見出しているのですよ。
「お金が欲しい」以外のことがいっぱいあって、それらが楽しさを形作っているのですね。
走り幅跳びに例えるならば「お金が欲しい」は「記録を伸ばしたい」みたいなものだと思うのです。
それ以外に「全身の筋力を向上させたい」だったり、「助走のスピードを上げたい」「踏切のタイミングを決めたい」「空中動作を美しくしたい」などなど。様々な「楽しさ」を感じる要素で構成されていて、それらも個別に「楽しさ」をもたらしてくれるのですね。
走り幅跳びの楽しさが、記録だけではないように、労働の楽しさもお金だけではないのですよね。
独立を保ちたい
「豊かでありたいし、ゆとりを持ちたい。だからお金が欲しい」って、自分が独立性を保ちたいと考えてるからだと思うんですよね。あらゆることを自分で決めたいんです。だから働き続けるんです。
同時に「自信」も、自己の独立を保つために重要な要素だと思うんですよね。
労働は「自身の能力を発揮して、成果物を得る」という行為の連続ですから、自信につながりやすいんだと思うのです。
「お金」にネガティブな感情を抱く人がいるように、「自信」という言葉にもネガティブな側面があります。「自信過剰」とか「プライドが高い」みたいに、他人を揶揄する言葉として使われることも多いですね。
事実、虚勢を張る人や、高慢な態度を取る人は皆無ではありませんが、それらは「自信がない人」が取りがちな態度であるような気がするんですよね。
自信がないからこそ、他人から認めてもらいたがって、そういう態度を取るんじゃないでしょうかね?
また逆に「自信過剰」「プライドが高い」と言う側の人の嫉妬であることも少なからずあるのかと思います。
「お金が欲しい」と同様に「自信を持ちたい」でいいんだと思います。
この2つが両輪となってこそ、自分の独立を確保し続けられるように思うのです。
成長し続けたい
人生の目標みたいなものは持ってないのですよ。これまでの人生の要所々々で、それらしきものを意識したことは何度かありますが、環境や自分自身の変化とともに、変わっていくもんだと思うのですよ。
ただ「山口県萩市でセミリタイヤ生活したい」「ブログ書いて収益上げたい」「クライアントワークは完全リモートで進行したい」みたいな、数年・数ヶ月規模の目標は次々とやってきますよね。
そして、これらの目標は仕事をベースとしていることが多いと思うのです。「お金」「働き方」が、生活の大きな部分を占めてるからでしょうね。だから、解決策も「働くこと」の中にあると思うんですよね。
目標が明確である以上、それを達成するために努力することが必要になりますね。
結果、働くことは「学び」をもたらし、僕は成長することができます。それは、とても楽しくて快適なことなのですね。
環境や技術はどんどん変わり続けますから、相対的に自分の知識はどんどんと陳腐化していくのです。それに抗うために、ずっと学び続ける必要があります。
問題を設定して、解決策をリサーチして、試行錯誤するプロセスを延々と繰り返すのです。
このプロセス自体を「働くこと」と呼ぶのだと思うのです。
人間関係を良好にしたい
「セミリタイアしたい」とか「完全リモートワークで働きたい」とか言っているように、あまり人と会うことを仕事にしたくないのですよ。
しかし、それは「無駄で不快な対面ミーティング」や「つまんない会合への出席」を避けたいだけなのです。有意義で刺激的な新しい出会いは歓迎です。
そしてそれは、働くことから生まれることが多いように思うのです。
働くことは、責任を引き受けることなんですよね。責任のない仕事はありません。ですから「きちんと働く人」というのは「きちんと責任を果たしている人」とされ、社会的な信用を得ることができるのです。
働きながら成長し、それによって出会う人も変わるのは、とても楽しいことだと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。