Webはチャチくてダサかった
2018.08.17
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。はじめてWebというものに興味を持ったとき、ブラウザは売り物でした。Netscape Navigator 3.0日本語版ってのを買いましたね。ググってみたら1996年11月の発売だそうです。はじめて個人用のMacを買ったのもこの頃です。
僕にとっての「事始め」が続いた時期
PowerBook 5300を買いましたね、モノクロのやつ。モノクロのくせに20万円以上しました。最上位モデルは60万円くらいしたんじゃないかな。カラーモニタよりも、PowerPC(当時の新しいCPUです)を優先したんですよ。
モニタは、外付けでSONYの15inchのCRTを使ってましたね。256色でしたから、印刷物はillustrator上でのCMYKの数値を見ながら作業してました。
- QuarkXpress 3.3J
- Adobe Illustraror 5.0J
- Adobe Photoshop 3.0J
って時代です。全アプリ、会社のものを違法インストールして使ってましたし、QuarkXpressのドングル(なつかし)は、バッグにいれて持ち運んでました。
自宅でやってたのは練習なので、フォントはモリサワのビットマップフォント使ってましたね。無料で配布してたんです。
インターネットにもすぐに興味を持ちましたね。当時は電話のジャックを抜いて、モデムケーブルを突っ込んでたんですよ。だからインターネットに繋いでる間は、電話できないんですね。
TCP/IPのアプリやらなんやかんやも、自分でインストールしなきゃいけなくて、ものすごく面倒くさい作業でした。
すぐにhtmlに興味を持つんですが、最初は本を買って、エディタでhtmlを手打ちしてました。
ちょっと打っては、ブラウザで表示確認。表示が思い通りにならなきゃ、全部消してやり直し、とか延々とやってましたね。
そして、ちょうどその頃。もう「さあ独立だ」って決めてたんですよ。
当時は「いろんな制作会社回って、外注で使ってもらえばなんとかなるだろ」くらいな雑なプランだったんですが「絶対にWebやらなきゃダメだな」って思ってました。「チャチくてダサかった」からなんです。
すぐにWebに集中しなかったことは今でも悔やんでます
実際に、1997年7月21日にフリーランスになり、同年12月22日に法人を設立するのですが、すぐにWebに全力を注ぐことはしなかったんですよ。
まず、舞台作品のプロデュースをはじめまして、Webに関することは、ちょっと疎かになってましたね。
それでも、自社のサイトや、舞台公演のプロモーションサイトは作りました。当時としては「珍しい」「先進的」ってことにはなってたようではありますが、巷では「ホームページ制作会社」というのができ始め、話題になりはじめてて「そっちの業務のほうがいいな〜」などと思っていた記憶があります。
「自前のホームページ作って喜んでちゃダメだ」「よそ様のホームページの制作を受注する会社にならないと」ってことですね。
舞台公演は、これはこれで満足度の高い事業ではあったんですけどね。
出始めって、チャチでチンケなんですよね
Webってチャチでチンケで、そしてダサかったですよ。
今のWebと比べてるんじゃないです。当時の僕は印刷物と比べて、そう思ってました。写真汚い、レイアウトできない、文字詰めできない、フォント選べない…。
みんなクソミソに言ってましたね。僕も言ってましたし。こういう新しいものが登場したときには必ず「オレが一番面白くdisってやる大喜利」が開催されますから、みんなメチャクチャなことを言うわけです。
ただ、チャチでチンケだからこそ、お手軽なんですよね。「え? これなに?」って人が集まりやすいんですよ。
印刷みたいに「製版屋のおっさんと、朝まで酒酌み交わしたこと、ある?」みたいなこと言いたがる、面倒くさいやつのいない世界だから、みんなでヨーイドンができるんですよね。
「印刷で培った技術をWebに持ち込む」と「印刷の技術なんて捨て去って、新しい価値を構築する」が等価なんです。
新しい潮流は、激しい野次やdisりの中から生まれてくるものだと思うのです。だからネットでもアンチがウヨウヨいるサービスや、モノや、人には(自分の興味範囲外でも)注目するよう心掛けています。
こういうときに出てくるのって、思いっきりのいい人なんだろうなと思います。
つまり、独学で、シロートで、下手くそでも、フィールドに上がる胆力と「存在感」があれば、それで十分なんだろうな、と思うのです。
親近感がわくとか、この人の話し方はスッと頭に入ってくるとか、熱量を感じるとか、そういうことがすごく大事なんじゃないでしょうか。
決して、最も博識な人がインフルエンサーになるのではない気がします。
Web制作者ってもうレッドオーシャンかもですね
Webと出会って、四半世紀近く経って、今は「Web制作ってレッドオーシャンだな」って思っています。
みんながなんとなく「ホームページデザインする人になりたいな」って思って「練習したり努力すればやがてなれそうな気がする」職業って、どうしてもレッドオーシャンになりますよね。
でも、クライアントや代理店はから「Web制作できる人がいない」って声も聞くんですけどね。それって「業界特有のルールとか、お決まりの段取りは、予め理解しといてくれ」みたいなのも含んだ上で言ってるんでしょうね。
「そんなのムリじゃない?」とも思うし「そういうのがあるから、自分の受注が切れないのかな」とも思うので、善し悪しは決められませんけどね。
僕がWebデザインの仕事を始めたときって「Webデザイナー」なんて職業名なかったんですよ。グラフィックデザインの守備範囲のひとつくらいの感じに思ってました。
「(グラフィック)デザイナーに、印刷もWebもないだろ?」「ファッション、プロダクト、グラフィックくらいはあるかもしれないけど」って。
だから「Webデザイナー」って呼称に気恥ずかしさを感じてたし、抗いもしましたね。
今は、あきらかにWebデザイナーだからこそ求められる技術や表現が増えてきたので、完全に「Webデザイナー」っていう職業が定着した感はありますね。
だからレッドオーシャンになってるんでしょうね。既にある職業名から自分の生き方決めるのって、簡単ですもんね。
ただ僕は、自分のやりたいことやりながら、できることを組み合わせて、やりたいことやってたら、いつの間にか職業名がついてた、くらいがちょうどいいような気がしているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。