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快適に継続できるものを見つけて、新しい能力を獲得する

2018.08.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「人生」って言っちゃうと大ゲサかもですが、僕たちの生活は、日常の小さな「習慣」や「できること」が集まってできてるんだと思うんですよね。今までできてたことができなくなるのって、そんな小さなことが「続けられなくなる」ことなんだと思うんです。

「できること」ってどんどん変わっちゃうんだな

スポーツ経験のある方なら、共感していただきやすいと思うのですが、加齢や競技とのかかわりをやめることによって、自分が「できること」って簡単に失いますよね。
たとえば、簡単にジャンプしてバスケットリングを掴めたり、いつでも外野からノーバンでバックホームできたり、蹴伸びだけでスーっと10m進んでたのが、いつのまにやらできなくなってる。

もう一度、練習を再開したり筋力を強化して、失った能力を取り戻そうとしたり、そこで諦めたり。
以前の僕は「最後の最後まで諦めるべきじゃない」「自分の培った能力は可能な限り維持し続けるべきだ」なんて考えていました。
運動能力だけじゃなくて、職業的なことであったり、日常的なことであったり、全てにおいてそう考えていました。

それが、歳とともに考え方が変わっちゃうんですよ。
「最後の最後まで諦めるべきじゃない」「自分の培った能力は可能な限り維持し続けるべきだ」と考え続ける能力を失っちゃうんですよ、たぶん。

失う能力があって、新しく得る能力もありますから、自分の「できること」って入れ替わっていってるんだと思うんですよね。
10歳代とか、20歳代の若い頃って、失う能力なんてほとんどなくて、得る能力の方が圧倒的に多いんですよね。ただ、40歳を超えたあたりから、得る能力よりも失う能力の方が多くなってくるんだと思うんですよね。
50代中盤の僕は、ヒシヒシとそれを感じています。
だから、新しく得る能力の価値が自分の中で、どんどん高まっていくんですよね。希少なんですよ。

急に何かをできなくなったり、できるようになったりは、しないんですよね

事故や病気の場合を除いて、能力を得るのも失うのも、決して「急に今日から」ではないですよね。
生き物としての成長や衰えだったり、毎日繰り返してる些細な習慣の継続によって、人は変わっていくんだと思うのです。だからこそ「継続(続けること)」ってとても重要だと考えています。

逆に言うと、失いつつある能力を維持するための「継続」って、すごく苦痛だなあ、と思うのです。
新しく獲得しようとしている能力を育てるための「継続」のほうが、やってて楽しいですよね。
この2つの組み合わせによって、自分は変わり続けるんだと思うのです。

多くの継続は、たぶんそれを自覚していないのですね。かつては意図的にやってたことが、いつの間にか習慣化して意識せずにできるようになってる、そしてまた新しい継続を足していく、ということを繰り返してるんですね。
逆のことも起こってきます。今まで何の苦もなくできてたこと、習慣化してたことが、だんだん苦痛になるみたいな感じ。たぶん、これが自分の能力を失いつつある過程だと思うのです。

僕はデザイナーという職業に就いているのですが、「修正」という名のやり直し、再考依頼って日常茶飯事なんですよ。「もうちょっと、いろいろやってみま〜す」で対応してたもんなんですよ。
それがだんだん「え、何いってんの?」「ヒトの仕事にケチつけんなよ」って感情が芽生えてきたり、就業後の電話連絡も「ま、仕方ないか」って応対していたのに「なんだこいつ、常識ないな」って思うようになったり。
気づき始めのころは「そんなふうに感じるときだってあるよ」とか「みんな、そんな感じだよね」「こういうの、相手によるんだよね」なんて思ってました。
それが年々強まっていくし「明らかにオレが変わってるな」と感じ始めるのですよね。これが「老害」ってヤツなんだろうな、と。

デザインという業務は大好きなのですが、デザイナーという職業には苦痛を感じ始めているのです。
「成果物に対する最大の報酬は、デザイナーでい続けられること」が快適ではなくなり始めているのです。

できないことは続けない

環境の変化とか、人間関係とか、周囲に原因を求めしまうんですよ。「今まで自分が持っていた能力を使い続けたい」って思っちゃいますからね。
でも、本当の原因は「自分が能力を失ったから」だと思うんですよ。
その能力を支えてきた習慣を維持できなくなってるし、継続することが苦痛になってるんですよね。
「もう、この能力要らない」って自分で決断する以外、快適な方向に進む手はないんじゃないかと考えています。

その代り、そこに新しい空間ができるのです。「要らない」って捨てたあとの空き地ですね。
その場所を使って、新しい能力を獲得することを楽しみたいと考えているのです。快適に継続し、習慣化できそうなものに置き換えたいのです。
幸い、ひと月ちょっと書き続けているこのブログ、毎日2,000字の記事を1本以上投稿し続けているのですが、不思議と苦痛ではありません。
少し前に「もっと早くブログ始めとけばよかった」という記事を投稿しましたが、今だからこそ「ブログ書くの楽しい」と思えているのかもしれません。
以前は「ブログ書こう」なんて思う余地もないほど、いろんなことを考えていて、楽しいことに取り組み続けてたのかもな? と。

こんな感じで、人はどんどん変わり続けるんでしょうね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。