他人の仕事を「これどう思う?」って聞かれるの苦手
2018.08.28
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。他の同業者の仕事を見せられて「これ、どう思います?」って聞かれること、ときどきあるんですよね。僕、あれが苦手なんですよ。だいたいの場合、聞いてくる側が満足してなくて、自分の不満に同調して欲しがってることが多いような気がするのですよ。
自分が持つ不満に同意されたがってるんですよね?
「批評してくれ」。つまり「良いところも悪いところも、指摘して欲しい」というケースはあまりなさそうなんですよね。そういうのは、社内でやったり、外部の多角的に評価できる組織に頼んだりするものだろうと思うのです。
なんとなく想像でしか考えられないのは、雑談だったり、何かのついでだったりで「こないだ、〇〇社が担当した案件なんですけど、これどう思います?」みたいな感じで、問われることが多いのですよ。
こちらも、ガッチリ内容を精査して、レポートまとめて…、なんてやるような労力割けるわけじゃないし、そういう職業でもないので「なんとなく、この人、不満に思ってるんだろうな」「自分の不満に同意してくれる人が欲しいんだろうな」くらいの受け止め方をすることになりますよね。
人によっては「あ〜コリャダメだわ。センスのカケラもないわ」なんて、喜々として他人の仕事を腐す人もいるんでしょうし、そこから会話が盛り上がってる場面に遭遇したこともあるんですが、どうもそういうの苦手なんですよね。
決して、批判の対象になろうとしている会社や担当者を慮ってるわけではないのです。
御社の誰かが決済してるんですよね?
当たり前ですが、デザイナーの仕事って、自分がすべてを支配して好き勝手にできるわけではないのです。
クライアント、広告代理店、制作会社などなどから、1社何人もの担当者がおられ、その中にはいろんな人が含まれてるんですね。「いい人、悪い人」「ラクな人、メンドくさい人」「理論的な人、感情的な人」様々な方々が参加されてるんですよ。
その上で、世に出た案件というのは、間違いなくクライアント社に責任者がおられ、その方が「これでいこ」と決済されているのです。
ベストではないし、不満も残る。「結局こうなっちゃったか〜」な案件でも、それはそれで決済されているのです。
そこに至るストーリーとか、紆余曲折にはとても興味がありますが、できあがったものを見て「あ、コリャダメだ」とは、なかなか言い難いのです。
むしろこちらから「なんで、こうなりました?」という話を聞きたかったりするのです。
その背景には、様々な事情や理屈、要求が複雑に絡んでたりしますからね。その上で「僕ならこうしたかもですね」とか「こいういう誘導をする人がいれば、ちょっとは変わったかもですね」みたいな意見なら、積極的に交換したいと思います。
自分でも、こうなっちゃうことあるよな
他人事じゃなかったりするのですよ。成果物というのは、いろんな人々の組み合わせで決まりますからね。自分ではどうにもできないところで「あ〜することに決まった」「これをどこかに入れられない?」みたいなことの連続なのです。
炎上してる案件も少なからずありますよね…。
僕は、メインクライアントから長らくお付き合いいただいているので、少なからず指名発注もありますから、まあ、そのへんは上手く捌いてるほうなんじゃないでしょうか。
話を聞くと「逆上しちゃった人」や「放り出しちゃった人」も、いたようではあります。
案件が炎上しちゃうと、あの手この手で、鎮火作業をしますし、粘り強く解決策を試し続けなければなりませんが、「エラい人」が炎上主で、他では手が出せなくなっちゃってる場合。「その人の意見に沿って進める」のが、最善の解決策だったりするんですよね。
こちらも、どこかで手を話さなければ、納品に至りませんし。「エラい人」の相談相手で居続けるわけにもいかないのです。
では、自分自身でその成果物を「どう思う?」って訊ねられたら…。これはキツいですよね。
納品直後に記憶から消し去りたいような案件、いくつもあります。
でも「どうして、そうなっちゃったの?」という反省会はとても必要なことだと思っています。もちろん「エラい人」の悪口も込みですけどね。
「あそこでああしてればな」「こういう方法もあったかもな」という知見が得られる場合もありますし、「あそこの案件受注するのやめようぜ」って結論に至ることもあります。「やめようぜ」は、とても重要。
自分でちゃんとやるの、難しいんですよ
「この仕事にケチつけてくれ」って言われたら、いっぱいダメ出しできると思うんですよ。この仕事長いし、古いのから新しいのまで、言葉もたくさん聞きかじってますしね。
全部ちゃんとした意味を把握してるかどうかは謎。
ただですね、ここまで述べてきたように、僕が興味あるのは「なんで、そうなったのか」というストーリーなんですよね。そこを想像しちゃうんですよ。
それを抜きに、眼の前にあるものにケチつけるのって、意味がないと思うのです。自分のスキルが向上するわけでもないし、自分の仕事に役立つものが何ひとつないのですよね。
自分の手を動かして、なにか価値あるものをこさえるというのは、とても難しいことだと思っているのです。「どう思う?」と問われた案件の担当者も、その工程を経ているはずなのです。
その方と「あの案件、拝見しました。あれって意図ですか?」みたいな話ならば、直接してみたいと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。