僕が書いてることって、生存者バイアスですよ
2018.10.10
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「仕事量減らしたいんだよ」「不動産も金融資産もあるし、セミリタイア考えてる」なんてブログ記事を書いてる、おっさんデザイナーのことを「羨ましいな」って思ってる駆け出しの同業者もいるかもしれませんね。でも、こういうのって「運」なんですよ。
オッサンが言ってることに再現性なんかありませんよ
幸か不幸か、この歳までなんとかフリーランスのWebデザイナーとして食いつないでくることができました。
身近で「50代のWebデザイナー」にあまり出くわすことがないので、たぶん最年長グループなんじゃないかと思います。
進学するとき、工学部にWeb関係のコースがあったり、Webデザインの専門学校があったのって、ひと世代下なんじゃないかと思うんですよね。
僕と同世代のWeb制作者がいたら、おそらく僕と同じ「独習組」なんじゃないかと思います。
もともと印刷物のデザイナー(僕はこれ)だったり、プログラマーだったり、情報設計まわり出身の方が多いんだろうと思います。
「Web面白そう」って言いながら、自分なりに「リサーチして、手を動かして、成果物を作ってみる」を繰り返しつつ、手応えを感じて軸足を移して「Web制作者」を名乗り始めるような、そんな時代でしたね。
僕がWeb制作の案件を請け始めたのが、2000年になるちょい前くらいからですから、ほぼWeb黎明期ですよね。
正直、ブルーオーシャンだったと思いますし、その中でも紙のデザインを経験してたことで重宝されてたように思います。
担当者と話が通じやすいんですよね。
おそらく、写植を依頼して、版下作ったことのあるWebデザイナーって、相当な希少種だと思いますよ。
ただ、僕にとってはそういう経験が役に立ったし、Web黎明期には仕事をもらいやすかったし、今でもちょっとした「オレサマの体験した昔話」みたいなふうには使えますが、最初からWebデザインを学び始めた人にとってはどうだっていいことなんですよね。
だって、僕がやったことを他の誰かがやっても、絶対に僕と同じ結果を得られるわけないんですから。
世のオッサン・オバサンたちが言ってることも、すべてこれです。
当たり前のことではありますが、みんながそれぞれ自分ににとって最良だと思う選択をしてきているので、最適解は人によって違うんですよね。
それを説教めいた言い方で「オレに倣え」的な組み立てにするもんだからウザくなるんですよね。
運が良かったんだろうと思います
需要が高まってくると、すぐにブルーオーシャンではなくなりますよね。
Webデザインの世界にでも、いつしか人がいっぱい集まるようになってましたね。あとから聞くと、石が多めの玉石混交だったようではありますが。
僕は選ばれる側ですから、自分がいるフィールドで競ってる他のプレーヤーがどういうレベルの人たちなのか、情報がなかったんですよね。
オーディションみたいに、ひとつの場所に集められてプレゼンするわけじゃありませんからね。担当者から「この案件、お願いしたいのですが、いかがですか?」って連絡がくるだけで。
僕も「取引先は集中せずに分散したほうがいい」と思ってた時期がありましたから、ネットでWeb制作者募集の記事を見つけて「おもしろそう」と思ったら、アプローチしたりしていました。
その中で、10年ほど付き合いの続いた広告代理店の担当者は「半年間で200人くらい面接して、50人くらいに案件を依頼した、1年以上依頼し続けてる人は4名です」って言ってました。
当時、景気が悪かったので、印刷物のデザインから軸足を変えようとしてた人。「在宅ワーク」みたいな言葉ももてはやされてましたから、主婦バイトみたいな人。もちろん、ちょっとした流行でしたから、異業種からの転身組もいたと思われます。
たぶん、市場に参入してくる人は多かったけど、死屍累々だったんじゃないでしょうか。
僕は運が良かったんですよ。
「生涯現役」って思ってた
40代中盤くらいまで「生涯現役」って思ってました。
その頃のイメージって「体力的な衰えはあるにせよ、いくつになっても、請けられるだけ案件の依頼を請けて稼ぐ続けよう」でしたね。
それが、40代の終わりにパニック障害発症して、半年間シーズンオフ。その後、復帰したら(当時も今も)メインクライアントから戦力外通知(業務提携先として継続されませんでした)などなどのトラブルが相次ぎ、このころから徐々に考え方が変わってきました。
半年間のシーズンオフ期は、いい休養になりましたし、メインクライアントから外れたときには、知らない人に情報が共有されてて、すぐに他の案件の依頼を頂いたりと「あ、こんなこともあるんだ」と、いいアクセントにはなりましたが、なんとなくこの頃から「セミリタイア」って考え始めたんですよね。
その後、メインクライアントの提携業者に復帰したのですが、そのとたん案件の受注量が激増しました。先方の担当者も僕たちの復帰を知って発注してくれるので、スケジュール詰まり気味でも断れなかったのですよ。
結果、収入は激増しましたが、かなり疲弊しました。
この頃には「セミリタイア」を視野に入れた「仕事量の調整」「完全リモートワーク」の準備を始めていました。
もう一度言います、「運が良かったんです」
- 半年休んでも生活資金が続いた
- あるクライアントとの取引が切れたら、別のクライアントがやってくる
- 元のクライアントの指定業者に復帰したら、急に多忙になる
- 疲弊したら「セミリタイア」を考えられる資産状況になっている
これら全部「運が良かった」んです。これがもし、
- 生活資金なく、「休息しよう」と決断できてなかったら?
- クライアントとの取引が切れて、収入が途絶えていたら?
- 元のクライアントの指定業者への復帰を望んでくれる人がいなかったら?
- 疲弊しても、稼ぎ続けなければならない資産状況だったら?
どこかで、身体を壊してるんじゃないかと思いますね。
僕はこのブログで「仕事を減らしたい」「資産運用で得た所得で生活したい」「セミリタイアを開始した」などなど書いていますし、同時に「都市部で資産形成したオッサン・オバサンは地方に移住して、よき消費者になると地域のためになるんじゃない? そして自分の人生も豊かになるんじゃない?」とも思っていますので、今後もそういう記事を書いていくつもりです。
僕は運が良かったから、そういう考えでいられると思っています。「生存者バイアス」なのだということは、よく理解しています。
ただ僕も人生、道半ばです。これから何が起こるかわかりません。これまで「運が良かった」と思っていても、これからどうなるかわかりません。
反対に、今「セミリタイアなんて、絶対ムリ」「仕事減らすなんて、ウソでも言ってみたい」と感じている人も、いろんな物ごとが上手く回り始めるときが来るかもしれません。
運の善し悪しなんて、一過性のものですから、常に自分の周りのものを最適化する作業は継続していきたいと思っているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。