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新しいものに出会ったときの作法

2018.10.21

こんにちは、萩ドットライフ()です。

年々「新しいもの」に出会う機会は増えてると思います。なんやかんやと技術革新は加速しているし、ネットを通じて僕の眼の前に現れることも多かろうと「思う」のですよ。しかし、それに対してワクワクするチカラは、加齢ととも衰えるものなんですよね。

ワクワクする体力って失われますよね

たとえば、Macにニューモデルが発表されたり。Adobeのソフトが新バージョンが発売されたりすると、以前はすごくワクワクしていたのですよ。
ネット上をググりまわって「何が新しくなったのか?」「自分はどんな対応をしなければならないのか?」「まさか、えらく高いものになってるんじゃないだろうな?」と興味津津で、それを買おうが買うまいが、とにかく情報に触れ、その「新しいもの」について考えている時間が楽しかったのですよ。

それがいつしか「もう3年使ってるから買い換えるか」とか「今使ってる機能がそのまま使えればいいや」みたいな態度になってるんですよね。
一応、メーカーやネット記事には目を通してるので、なんとなくの情報は仕入れてるんですけどね。とくにあれやこれや考えることなく、スルっと受け入れるようになっちゃってますね。

おそらく「新しいもの」について、もっと深く知りたくなって連想ゲームを始めたり、触りたくなったり、自分自身を変えたくなるもとになる感情が「ワクワク」だと思うのですが、その「ワクワク」には気力と体力が必要なので、年齢を重ねるごとにだんだんと失われていくものだと思うのです。

「そんなこと知ってるよ」

人が「新しいもの」に出会ったとき、おおむね2つの対応に別れると思うのですね。
ひとつは、ただ単純にそれを知識として記憶する場合ですね。
日々くり返されるインプット作業のひとつとして、それを吸収して自分の引き出しの中に収めておく。そして機会が来たときに「そんなこと前から知ってるよ」と自分の知識の多さをアピールするために使う用の知識ですね。

もうひとつは、「新しいもの」にワクワクを感じて、自分の中で噛み砕いてみる、自分の考え方を変えてみる。そして、何か自分が新しい行動を始めるきっかけにしてみることですね。

眼の前を通り過ぎていく「新しいもの」は、とても数多いので、大部分は前者として処理されることになります。
ただ僕は、定期的に後者の対応できるものに出会いたいと思っているのです。
前述のとおり、加齢とともに失われるチカラですから、意図的にそうしていきたいのですね。

ときには、ワクワクしていなくても触ってみる。たとえば、オープンソースソフトウェアとかですね。
いろんな記事を眺めてて「そういや、昔はこういうの片っ端から試してたな」などと思い出すことがあるのですよ。
そういうとき、昔と同じ行動をしてみるのです。ソフトウェアならばインストールしてみるのです。
それがきっかけになって、ちょっと興味が湧いてくることもあります。アンインストールすることの方が多いですけどね。

今このブログを書いてるWordPressは、何年も前にMAMPという開発環境とともにインストールしてたんですよ(参考:MAMPという開発環境で準備していました )。
ときどき、思い出したように触ってたんですが、結局こうして「ブログ、書いてみるか」と思うに至り、新しい行動に繋がってくれましたね。

それまでは「WordPress? 知ってますよ」に留まってたんですけどね。

「そんなの、オモチャだ、ママゴトだ」

「コンピューターでデザインできるんですよ、出力センターってところで、データをそのまま印画紙にしてもらえるんです」
これ、デザイナーじゃないと意味わかりませんよね。デザイナーであったとしても、オッサン・オバサンじゃないとなんのことやらさっぱりわからないと思うのです。

昔々、DTP(Desk Top Publishing)というものが登場してたときに言ってた言葉です。1990年代のはじめ頃ですかね。
黎明期には、データ入稿じゃなくて、一旦、印画紙にして、それに指定を書いてから入稿してたんですね。写真は別途ポジで(「ポジ」もわからないかもね)。
以前の版下入稿と現在のデータ入稿を折衷したような手法を取っていたのです。この当時、多くの人たちが「DTPなんて、ママゴトだ」と言っていました。

Webが登場したときも似たような反応でした。これについては、以前「Webはチャチくてダサかった」という記事を書いていますので、ご参考に。

僕はDTPとWebには食いつきましたけど、ブログは当初ナメてましたね。
2007年くらいにはMovable Typeを触ってたんですけどね。当時はCMS(Content Management System)としての利用にちょっとワクワクしてて、出資している会社のサイトを構築したりしてみたのですが、ブログに関しては「日記さらして何になるんだ?」くらいにしか思ってませんでした。

そして少し前にはYoutube、最近はVoicyだったりでコンテンツを発表する人に「そんなの、オモチャだ、ママゴトだ」という評価がされてるようですね。
「今まで『プロ』としてやってきた自分たちと、やり方が違う」と。

YoutuberやVoicyやってる人(「Voicer」みたいな言い方、しないもんなの?)をナメてる人たちって、僕(50代中盤)か、もしかしてもう少し下の世代だったりすると思うのですよ。
自分の職業人生の中で「上の世代から批判されつつもワクワクしながら、取り組み始めたものが、時代とともに主流になって、上の世代を駆逐する」みたいなストーリーのひとつやふたつくらい、見てるはずなので、わかってるはずなんですよね。

でも、上手に関わっていくことができなかったり、自分のポジションが失われることに対する戸惑いを感じてたり、わけわかんないプライドが突然生まれてきたりするんでしょうね。
もう、ワクワクしながら取り組む気力と体力を失ってますからね。

なんとなく「とりあえずケチつけてみる」という方法で近づいてみてるんだと思いますよ。
ほら、「オレたちのやり方はこうだけどね」って言いながら近づけば、そこに会話の糸口が生まれそうな感じがするじゃないですか。
結局「そんなこと、知らんす」で終了するか、「へえ、そうなんすか、ためになります」って社交辞令くらわされるかってことになるんでしょうけどね。

今、ブログやYoutubeやりながら、自分たちにケチつけてくるオッサンたち・オバサンたちを煙たがって「老害」呼ばわりしてる人たちも、おそらく20年後、30年後に登場した「新しいもの」に同じ反応しますよ。
きっと、順繰りなんですよ。

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