「いいデザイン」について考えてみる
2018.11.29
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。誰かが正解を出せるものではないことくらい承知しているのです。それでも50代半ばになるまで、デザイナーとしてメシを食ってきた僕としては、「いいデザイン」について考えてきたことを、思い出したときに少しずつでも言語化しておきたいのです。
デザイナーは情報整理業
とりあえず「センス」とか「芸術性」みたいなものは、脇に置いておきましょうか。
「そんなもの要らない」とまでは言いませんが、デザイナーは、自分の作ったものを「見てくれる人」「使ってくれる人」の視点に立つべきであって、デザイナー自身の自己主張の場ではないのですね。
僕は、デザイナーの仕事の第一は、情報整理だと思っています。
たとえば、Webサイトであれば「このボタンをクリックすれば、自分の求めている情報にたどり着けるはずだ」と直感的に操作できること。
ユーザーが自分の行動によって得られる情報を、前もって想起させてあげることが大切だと思うのですね。
そのためには、前もってきちんと情報が整理されていないとダメなのです。
たとえば、
- 「大項目」「中項目」「小項目」のような情報レベルに振り分ける
- 欲しい情報への経路の簡略化(ステップ数)
- 用語の統一と次の展開が連想できる言葉づくり
などでしょうかね。
Webデザインで言えば「ワイヤーフレーム」というサイトの設計図を作るときに、こういうことを考えながら作業を進めていきますね。
そして、そのあとに「ビジュアル」ですね。
これも「カッコいい」が目的ではありません。
ユーザーが行動する上での判断基準は、ボタンのビジュアルと、表記された言葉なのですから、使い勝手が最優先なのですね。
クライアントとの関係性を「デザイン」する
クライアントとの関係性をきちんと気づくことができていれば、作業がスムーズに進められるのですよ。
デザインの目的って「問題解決」なのです。
まずは「クライアントが何を求めているか」の咀嚼から始まりますよね。
もちろん仕事ですから、スケジュールが多少タイトだったり、担当者が途中で変わってしまって、前任者と違うことを言い始めたり、間に入る広告代理店との板挟みになって動きに制約ができたり、などなどのトラブルは想定の範囲ではあるのです。
しかし、このクライアントとの関係づくりに失敗すると、互いに信頼性を失ってしまい。風通しの悪い、最悪の場合は炎上プロジェクトになってしまうこともありえます。
これは、双方に言えることす。
デザイナーを含む制作者側は、クライアントが求めているものが見えにくくなりますし、クライアント側は、制作者が提出する、成果物や提案内容を否定的に捉えられる事が多くなってしまうのですね。
そうなると、ひとつひとつの工程に余計なパワーを使うようになって、消耗戦になってしまうのですよ。
これは、制作者間でも同様のことは起こりうるんですけどね。
逆に、この関係性がうまく「デザイン」できていると、非常に作業がしやすくなります。
当たり前のことではありますが、デザイナーがデザインに没頭できるようになりますし、それによって余裕も生まれます。
そうなると、クライアントが求める、細かいところに気が回るようになりますし、クライアントが言語化できていない部分にまで気がつくようになるのですよ。
デザイナーはクライアントの要望を叶える
クライアントは自分なりの「いいデザイン」像を持っていて、それを基準にデザイナーに指示を出してきます。
ときには、思わず「え、ウソでしょ?」と口に出してしまいそうな要望もありますが、「僕はデザインのプロなんだから、そこには口出ししないでもらえます?」と突っぱねるのは誤りだと思うのです。
クライアントの目的は、商品やサービスを「売る」ことなのです。
そのために、いろいろと考えて検討した結果の要望なのですね。
もちろん、スケジュールや予算との兼ね合いはありますが、その「え、ウソでしょ?」という要望も、受け入れてみて、咀嚼してみて「それって、こういうことでしょうかね?」と再度アウトプットして見せてあげることも、必要だと思っているのです。
その結果「カッコいい」ものではなくなる可能性もあります。
でも、僕たちデザイナーの仕事は「カッコいい」ものを納品することではないのですね。
それが、ユーザーに「使いづらさ」や「不快感」をもたらし、本来の「売る」という目的から逸脱することであれば、最大限の抵抗を試みるべきです。
しかし、クライアントに「要望したとおりのものを仕上げてもらったので、チームのヤル気が増した。後は自分たちが売るだけだ」という環境を提供するのも、デザイナーの仕事だと思うのです。
「人それぞれ」ってことでいいんでしょうけどね
ありきたりな表現にありますが「デザイナーの数だけ『いいデザイン』はある」ってことなんでしょうね。もっといえば、デザインなんてデザイナーだけのものじゃありませんから「人の数だけ…」なのだろうと思います。
僕は「デザインなんて、誰でもできる」って思っているのです。
たとえば、昔、同じクラスになった子たちに、手書きの年賀状送りませんでした? ちょっとカッコつけた文字書いたり、色のついたイラスト書いたり、レイアウト工夫したり。
中でも好きな子に出す年賀状には、もうひと手間かけたり。
それって「デザイン」してますよね。
ただ「誰にでもできる」が故に、それでメシを食うためには、それなりのハードルを超える必要があるのです。
「自分にもできるんだけど、あなたのデザイン使いたいんだよ」って思ってもらわなきゃいけませんからね。
幸いにして僕は、デザイナーとしてフリーランスになり、50代半ばになる今まで、仕事をいただき続けることができました。
そこそこの稼ぎもあって、東京23区内にマンションを購入しましたし、金融資産も形成することができました。
「そろそろ、人生のスタイルを変えてみるか」と、セミリタイア生活を始めたので、これまでうっすらと思い続けていた「いいデザイン」について書いてみました。
「いいデザイン」なんて、人それぞれで構わないと思っています。
異論はたくさんあると思いますが、僕のデザイナー人生を支えてくれた程度には、間違っていないと思うのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。