いつまで仕事を続けるんだろう?
2019.01.07
最終更新日:2019年03月06日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「もう50代だから」と、働き方や生活環境を見直している最中なのですが、逆に「オレって、いつまで仕事を続けるんだろう?」と考え始めた途端に「まだ50代だから、そんなのわかんないよ」という気分になるのですよ。そのへんをちょっと整理してみます。
いつも「働きたくない」って思ってる
僕はフリーランスのWebデザイナーなので、通勤しないし、誰かに「働け」とは言われないのですよ。
その上、僕は怠け者なので、いつも「働きたくない」と思っているのです。
なのに、ずっと働き続けてきたし、仕事が切れると「マズい、なんときゃしなきゃ」と、仕事を探し始めるようなことをし続けてきたのです。
「好きなように働きたしいし、休みたい」と思ってフリーランスになったのが20年ちょっと前。
それ以降、労働時間はどんどん増え、生活が労働に侵食されちゃうまでに、そんなに時間はかかりませんでした。
ずっと「働きたくないけど、仕事が好き」という変な状態が続いてるのです。
僕は今、新規の受注を断り、運用案件だけを残している「セミリタイア」状態に入っています。
手持ちの案件の運用が終われば、無職になるのですよ。
「フリーランスの休み方。セミリタイアと地方移住」で書いたとおり、そこからしばらく長期休暇を取ろうと思っているのです。
「完全リタイア」をしようとは考えていないのですよ。
30代・40代の頃のような強度で働き続けようとは思っていませんが、何らかの仕事は続けていきたいのです。
なんとなく自分の中では「生産的な趣味」とか「何かの初心者になりたい」「ムダなコトがしたい」みたいな言葉で、自分の中での折り合いをつけようとしています。
おそらく「仕事」という言葉の意味が、自分の中でどんどん変わっていってる最中なのですよ。
自分にとっての「仕事」の意味
30代・40代の頃は「お金を稼ぐこと」でしたよね。
もちろん、それ以外の目的や楽しさも数限りなくあるのですが、まずはお金がないと生活できませんから、生活するための手段なのですよ。
それを前提とした上で「好きなこと」「楽しいこと」って言ってたんですよね。
50代半ばになった今も「お金欲しい」には変わりありません。
だって、好きなもの買いたいし、使わなくても余裕が合ったほうがいいじゃないですか。
「お金なんて要らない」なワケないんですよ。
でも「オレ、いつまで仕事を続けるんだろうな」みたいなことも考え始めるのですよ。
そうすると「20年後・75歳のオレ」みたいなことをイメージしちゃうんですよね。
そうすると、今の自分が喜んでやってることを20年後の自分に課すことに抵抗があるのですよ。
「75歳のオレが、楽しんでできる働き方」に、今から変えていきたいのです。
「60歳、65歳、70歳と、5年刻みくらいで変えていけばいいじゃん」とも思うのですが、ちょうど今、いろんなことを組み立て直してる最中なので「まとめてイメージしておこう」といったところですかね。
75歳の僕が「情熱をもっていること」「新しいことに関心があること」「生産ができていること」「社会との接点があること」が大切なんじゃないかな? と想像しています。
実は、今とそれほど変わっていないのですが「たぶん、そのときはお金優先じゃないだろうな」という気がしているのです。
なんとなく、趣味と稼業の間くらいの作業を「仕事」と呼べるようになるといいように考えているのです。
社会的な意義みたいなものを考えるべきなのか?
最近、よく耳にする「人生100年時代」という言葉も気になってるんですよね。
このブログの過去記事を検索してたら「人生100年時代。50代くらいでユルむための準備」って記事を書いてましたね…。
余談ですが、今書いてるこの記事と同じようなことを書いてたり、ぜんぜん違う考え方してる箇所もありますね。
過去記事を読んで感じる「なんだ、この文章。ヒドいな」という自己嫌悪については、いつものことだし、慣れちゃってるのですが「この頃、今とぜんぜん違うこと考えてる、数ヶ月しか経ってないのに」ってことも多いのですよ。
いろんな情報に影響されちゃってるんでしょうね。「こまめにアップデートしてる」ってことにしています。
話を戻すと「これからは働く老人が増えるんだろうな」ということなのですよ。
総務省の統計によると65歳以上の高齢者の就業者数は807万人(2017年)と過去最多。かつ年々増え続けていますね。
(参考:統計局ホームページ/平成30年/統計トピックスNo.113 統計からみた我が国の高齢者-「敬老の日」にちなんで-/3.高齢者の就業)
もともと「定年」って概念は、サラリーマンだけのものなんですよね。
僕の母親は美容師なのですが、もうそろそろ80歳になるのですが、まだ店を開いています。
お客さんも、同じような年齢の人ばかりなので、亡くなったり、歩けなくなったりして年々数は減っているようですが、近所の人のコミュニティみたいな感じになってるようです。
なんとなく僕も「仕事をし続けることが、自分の周りにコミュニティを作り続けることに繋がるのかな」などと思っているのですよ。
また、僕の労働力を必要としてくれる場所があるのであれば、若干のワガママは許してもらうとして、無理に背を向けることもないのかな? と。
たぶん、これから先も「セミリタイア」という言葉を自分に都合よく使いながら、やりたいことだけを続けるのだろうと思っています。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。