同年代だけでつるもうとする感じに馴染めない
2019.01.15
最終更新日:2019年03月07日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。昔を懐かしむのはそんなにイヤじゃないし、別の道に進んだ古い友人の話を聞くのも楽しいと感じるのですよ。だから同窓会はそんなに嫌いというわけでもないのです。ただ、やはりその中に、少量の気持ち悪さが含まれてる感がどうしても否めないのです。
それほど「協調性」に優れているワケでもありませんが…
「大人のイヤイヤ期」みたいなものがあるのかもしれません。
子育て中の方からすれば「イヤイヤ期を舐めるんじゃねえ、こっちはヘトヘト期なんだ」ってことになるのかもしれませんが、その辺はご容赦を。
50歳を過ぎたくらいから、感情の強さがコントロール能力を超えてくるのですよ。
このブログ全体のテーマでもある「山口県萩市でセミリタイア生活」にしても、「地方移住したい = 東京にずっと住み続けるのイヤ」「セミリタイアしたい = 今の仕事続けるのイヤ」という気持ちが根底になるのです。
この年末年始。多くの飲み会が催されましたが、そのうちのいくつかを欠席しました。
共通点は「高校の同級生が誘ってくる飲み会」です。
現在、東京と生まれ故郷でもある山口県萩市を行ったり来たりの二拠点生活をしているので、両方で飲み会が催されるのですよ。
今回の記事は、以前投稿した、
の、関連もしくは補足記事です。
僕は、それほど協調性に優れているわけではありません。違和感を感じたり、気に入らないことがあると「オレには声掛けなくていいや、外して」って事前に告げたりすることもあります。
なので「メンドくさいヤツ」扱いをされてることも多々あろうかと思います。
良く言えば、地雷探知機能が優れてるのですよ。
(余談ですがこれ、フリーランスにとってすごく重要な機能だと思っています)
それでも僕は、ずっと運動部に所属していたこともあり、まったく集団行動のできないヤツではないのですよ。
テキトーに周りと合わせるくらいのことは、いくらでもできます。
「同窓会」を嫌ってるワケではないのです
どちらかといえば同窓会、好きなのですよ。
昔から、都合が合えば積極的に参加しています。
※ここでいう「同窓会」は、同学年の集まりを意図していますから「同級会」の方が正確ですかね? 以下、同級会に改めます。
普段の仕事の中では、絶対に出会うことのない職業のヤツと話したりできるじゃないですか。そういうのをすごく楽しみにしながら参加したりするのですよ。
もちろん昔話も、それほど嫌いじゃありません。
「懐かしさ」は、加齢とともにどんどん心への影響力を増していきますからね。
ただね。その後で同級会のスピンオフ企画みたいなの仕掛けてくるヤツが、あまり好きではないのですよ。
まあ「本会で話したりなかった人もいるだろうから」とか「もっと頻繁に集まったほうが楽しいよね」みたいなことだろうと思います。
企画する本人は、善意なのだろうと思いますし、喜んでる人たちも多数おられることでしょう。
でも、僕はちょっとお腹いっぱいなのです。
「そこまで仲良くないだろ」と思っちゃうんですよね。
僕は、子供時代に、同じ年に同じ地域で生まれたことを根拠に形成されたコミュニティなんてクソだと思ってるのですよ。たいくつなのです。
必要以上に「同級生」を持ち出されるのがイヤなのです。
大学に進学したり、職業を選んだりという社会活動を通して、思考や発想で仲間を再構築してきたはずじゃないですか。だから、たまに会うのが楽しかったりするんですよね。
別々の道を歩いていることを前提とした楽しみなのですよ。
なのに、なんでまた「同級生」に立ち戻らなきゃならない? と。
先にも言いましたが、僕は運動部の出身です。
スポーツのカルチャーとして「発達期には年代別のカテゴリを作る」ってのがあるんですよね。「U-18」とか「U-23」とか聞いたことありますよね。
「U-18」は「18歳以下のカテゴリ」です。その下に「U-15」がありますから、概ね16歳から18歳までが含まれます。
なので、年齢別のカテゴリ分けには慣れてるはずなんですが、この「同級生で集まろうぜ」みたいな感じ、ダメなのですよ。
もしかすると、年齢別のカテゴリ分けに慣れてるからこそ、オッサン・オバサンになってまで「同級生」とか「同期」とか持ち出してくる姿に気持ち悪さを感じるのかもしれません。
Facebookの功罪
とはいえ、子供時代ずっと一緒に過ごしてきたのは事実なので「集まろう」って言えば、同級生同士になるのは仕方ないのですよ。
「昔仲良かったもの同士で集まろう」「そりゃ同級生だらけになるわな」は、当然有りだし、事実そういう飲み会多いです。そして快適です。
ただ「同級生だから集まらない?」は、同級会(学年全体とかクラス会みたいな一斉感あるやつ)に留めて欲しいと思っています。
おそらく、Facebookが影響しているのですよ。
中学・高校時代にそんなに仲良くなかった人でも、Facebookでは「友達」になったりはするのですよ。
名前と存在くらいは知ってるのですから、快く承認します。
でも、Facebookの「友達」は、リアルの「友達」ではないのですよ。
「同級会があるから、そこで会うかもね。そのときはよろしく」は歓迎だけど「田舎に帰ってきてるんだ、会わない?」に関しては、その目的によるので、まずはそれを明らかにして欲しいのですよ。
目的次第によっては、知らない仲じゃないし「喜んで行くよ」となります。
でも、ただ「会おう」だと「え? オレとオマエ友達じゃないよね」ってなっちゃいますね。
以前にも別の記事で書いたのですが、50代になって急に「オレたち同級生だよね、会おう」みたいな呼びかけが増えたのです。
そして、みんな結構、楽しそうにしているのですよ。
(参考:50代になったら同窓会が増えた)
これは僕の憶測に過ぎませんが、サラリーマンの「定年」が関係してるんじゃありませんかね?
僕らは50代半ばですから、同級生たちはそろそろ定年が視野に入っているはずなのですよ。
「オレたち同級生、みんなで定年」が、数十年前の「みんなで一緒に入学、そして卒業」を思い起こしたりしてるんじゃないでしょうかね?
「みんなで定年、みんなで老後」。ちょっと馴染みにくそうなコミュニティですよね。
そう考えると、定年という概念のないフリーランスの僕がひとり、馴染めずに取り残されている状況も理解しやすいのです。
とりあえず、今の僕は「同年代の人としかつるまないような集団の中にはいたくないな」と思っています。
孤独でも構わないから、自分が熱狂できるものと向き合っていたいし、そこから派生する人間関係に年代など関係ないし、そちらのほうが楽しそうに思えるのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。