人間関係でも仕事でも「しっくりくる」って大切
2019.01.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。根拠が明確じゃなくても「なんか合わない」「違和感がある」ていう直感は大切にしたほうがいいように思うのですよ。「しっくりくる」って言い方がありますが、まさにそれなんですよね。長い間かけてこさえた自分の感覚なので、たぶん合っているのです。
「しっくりくる」って感覚。なんか伝えにくいんですけどね
たとえばSNS。実際にはお会いしたことがない人だったり、何かのイベントで1度だけお会いした程度の人だったりでも「友達」申請したりされたり、フォローしたりされたりして、なんとなくのつながりができたりしますよね。
その上で「なんとなく気が合うな」とか「この人が発信する情報、楽しそうだな」という感じになると、リアルでも合ったり、場合によっては、追いかけてでも何かを一緒にやろうとしたりして「縁」に発展することもあるでしょうし、反対に「なんか違和感あるな」って、と思ったら「友達から削除」したり、フォローを外したりしますよね。
もちろん、その逆もあるわけです。
たかがSNSなので、「友達」から削除したりされたりなんて「合わないな」と感じたら手軽にやっちゃえばいいのだと思っています。
それを「あの発言が気に入らなかったのかも」「あの人と仲良く会話してたから」みたいな、おかしなストーリーを作り上げてしまうのは、認知の歪み以外の何ものでもないのですよ。
単に「しっくりこなかったから」に過ぎなかったりするのですよ。
しっくりくる:
ぴったりと合う感じのするさま、違和感のないさまなどを意味する表現。
出典:「しっくりくる」の意味や使い方 Weblio辞書(2019年1月25日現在)
他にも、近い言い方はいろいろあって、「ピンとくる」とか「ツボにはまる」とか「いい感じ」ってことなんでしょうね。「直感」って言う方がわかりやすいでしょうかね?
反対語は「ソリが合わない」でしょうね。
「しっくりくる+類語」でググったら、もっといっぱい出てきたのですが、僕の生活感覚だと、このへんが「しっくり」きています。
地雷探査能力
このブログを書き始めて半年が経過しているのですが、僕、結構「地雷」ってワードを使ってますね。
「地雷探査」「地雷探知」「地雷回避」みたいな言葉を似たような文脈で使ってるのですよ。
僕はフリーランス歴20年以上のWebデザイナーなのですが、フリーランスにとって「地雷探査能力」って、とても大切なチカラだと思っています。
50歳過ぎてもクリエイティブ系の職種で、メシ食ってるフリーランスの要件って、
- 余人を持って代えがたい才能の持ち主
- 超・常識人
- 地雷回避の達人
のどれか、もしくは複合だろうと思っています。
僕は、50代半ばまでフリーのデザイナーでやってこれているのですが、なんとなく(2)と(3)をずっと意識し続けてきているから、この歳までやってこれたような気がしますね。
(1)があるといいのでしょうが、ここは意識してもどうにもなりませんから、発注者のみなさんの評価にお任せするしかありません。
さて、地雷を探知し回避するために必要なのが「しっくりくる」って感覚なのですよ。
なんとなく若いときから知っていた感覚なのですが、加齢とともに優先順位が上がってきたような気がします。
昔は「憧れてた人との仕事だから」とか「カッコいい業界の仕事ウレシイ」みたいなのが優先していて「しっくり」来てないまま作業を進めて、炎上したり、お蔵入り案件になってしまったりということもありました。
今でも皆無ではありませんが、バランスの問題ですね。
こういう「しっくりこない」問題は、案件がスタートしてからも付きまとうものなのですよ。
今までの実績だったり、チーム内での意思疎通、クライアントの企業姿勢などなど、セオリーをすり合わせつつ、進めていても「なんかしっくりこないな」という案件は、うまく行かなかったりしますよね。
その場合の「しっくりこない」の正体は、エンドユーザー感覚の欠如だったり、チーム内の遠慮だったり、モンスターの存在だったりなどなど、都度々々で異なるので、より高い地雷探査精度を求められるのですよ。
でも、仕事の場合にはどこかで、ローンチだったりキャンペーンの終了だったりで、終わりがきますからね。
最悪の場合、ズブっとハマたとしても「時間が解決してくれるから耐えるか…」って思えるんですよね。
ただ人間関係の場合は、こちらから能動的に突き放さなきゃいけませんから、やっかいなことになりがちかもしれませんね。
人間関係も、まずは地雷回避なのでしょうが…
もう50代にもなりましたから「なんか違和感ある」「この人といるとつまらない」みたいな地雷探査装置は百発百中で機能するようになってると思いますね。
長年かけてこしらえてきたものなので、僕が使う用に最適化されているのなのですよ。
基本的には、直感的に「合わないな」と思った人は合わないですよね。そこはもう、意義を挟む時間がムダだと思っています。
「苦手な人にこそ話しかけよう」とか、クソですよね。その時間があったら、気の合いそうな人複数に話しかけたほうがいいと思うのです。
ただ問題なのが、すでにある人間関係の復活なのですよ。
ちょっと連載感がでてきたのですが、概ね同級生を中心とした、古い知り合いとのSNSでの再開なのですよ。
それ自体は、特にイヤな気はしないのですが、一定の割合で距離感のおかしな人が混ざってくるので、それについては対応に苦慮しているのです。
前述の通り、サクッと「友達から削除」することで対応しています。
自分の側に原因があることもありますよ
ところがですね、時間の経過とともに「こいつ、つまんないな」ってなってくることってあるのですよ。
「こいつ」っていう特定の個人じゃなくて、「周りのみんな」みたいになっちゃうことの方が多いのかな?
これはたぶん、僕の側に原因があるのです。
今までつるんでいた人たちと一緒にいても、なんか「つまんない」「合わない」「楽しくない」みたいなときって、自分がつまんなくなってるときだったりするんですよね。
現在の僕がそれに近くて「セミリタイア」とか「二拠点生活」とか言いながら、生き方を変えようとしているフェーズなのですよ。
おそらく今まで持っていた人間的魅力を休息に失っていってると思うんですよね。
「オレ、部活やめてバンドはじめるわ」みたいな状態なのですよ。
周りの人たちから見た僕は、休息に「つまんない」人間になってきてるはずだと思います。
それを含めて今「しっくりきてる」状態なので、問題ないっちゃあ問題ないんですけどね。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。