セミリタイアすると暇になる。それを活かせないのが問題だ…
2019.02.02
最終更新日:2019年06月10日
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。セミリタイア生活中なので暇ですよ。仕事が少ない状態のことを「セミリタイア」「暇」という異なる言い方をしているだけなんですけどね。だだ今の僕は、その暇を上手く使えていないのですよ。たぶんセミリタイアにまだ慣れてないんでしょうね。
セミリタイアしてるんだから暇でOK
セミリタイアしているのですから、暇であることを問題にしているワケではないのですよ。
その暇を使って、好きなことができる状態になっていないことに少しフラストレーションを感じはじめているのです。
まだ仕事の少ない状態に慣れていないのかな?
僕は、フリーランスのWebデザイナーです。50代半ばになりましたので、また何かの初心者になりたいと思いつつ、一旦ユルみきる時期を設けたくて、セミリタイア生活をはじめました。
また、環境も変えたいと思っているので、東京と山口県萩市の二拠点生活をしています。
なんとなく「そのさきは、萩に完全移住したいな」と考えています。
(参考:セミリタイアしたら、田舎の暇なフリーランスになりたい)
セミリタイアですから、まだ仕事は請けているのですよ。
2年くらい前から、
- 「そろそろ仕事量減らしたいんですよ」
- 「同時進行案件が増えるとキツいっすね」
- 「年間の受注量で判断しようかな」
- 「運用案件も含めて受け持ち数を増やしたくないんすよね」
- 「新規案件請けるのこれで最後にします」
みたいな順番で、そろそろとセミリタイア計画を進め、新規案件の受注を停止して、いくつかの受け持ち案件がクローズしはじめたので「セミリタイアに入ったな」と認識しているのです。
そもそもセミリタイアって、明確な定義のある状態のことじゃないですからね。
自分で決めれば、そこからもうセミリタイアなのですよ。
仕事量が減っていますので、確実に暇にはなっています。当たり前のことですね。
「仕事量は以前のままだけど暇」ってありえませんもんね。
もちろん、収入もそれなりに激減していますが、それも含めて、自分が望んでいる状態になってるのですよ。
スタンバイ・シンドローム
問題なのは、その暇を上手く使えないことなんんですよね。
「上手く使う」の意味は「好きに使う」ということなのですね。特に「有意義に」とか「新しいチャレンジを」みたいなことでなくても「好きなところに出かける」とか「公園でボーっとする」「1週間デジタルデバイスに電源を入れない」とかでもいいのです。
自分の時間を思い通りに使えていないのですよ。
理由は明確で、セミリタイアの「セミ」の部分が残ってるからなのですね。
減少したとはいえ、まだ請けている案件があるので「連絡があったら、対応しなくちゃ」という気分を取り除くことができないのですよ。
解っちゃいるのですよ。
暇な時間を「スタンバイ時間」と捉えちゃってるんですよね。
これまでの職業人生活の中で培ったものではありますが、即レス・即着手・即納みたいなリズムが抜けないのですよ。
その方が、喜んでもらえたし、信頼もしてもらえた。そして何よりも、手離れが良かったんですよ。
(参考:「仕事が早い」と言われるコツ)
それが今、せっかく獲得した暇を上手に使えない原因になっています。
朝から晩まで、ずっとPC前にいます。
もちろん暇なので、YouTube観たり、ググり巡って興味のあることを調べたり、新しい考え方に出会ったり、それはそれで有意義ではあるのですが、「それをしない」選択ができないことにイラ立ちを覚えはじめてるのですよ。
一旦ゼロにするしかないか
セミリタイア生活に入るときから、なんとなくは決めていたのですよ。
過去にもそれっぽい記事を書いています。
収入をゼロにしてもいいから、一旦クライアントワークから離れようと思っているのですよ。
というか、新規案件の受注を止めているのですから、解除しない限り時間とともにこの状態になるんですけどね。
これについては、何度も何度も自己確認を繰り返していますし、このブログ内でもあらゆるところに書いていることなのです。
Webデザイナーでありつづける必要すら感じていないし、むしろ別の何かの初心者になって、別の人生を模索したいと思っています。
でも計算上「不動産収入」と「金融資産の取り崩し運用」でカバーできることは解っていても、一時期でも労働収入がなくなるって、それなりの恐怖がありますよね…。
数年後「労働収入なんかなくても、余裕っす」って内容の記事書いてるかもしれませんけどね。
まだ僕は、崖の上にいるのですよ。
とりあえずは、クライアントワークをゼロにした状態を1〜2年体験してみつつ、その後の人生を作り上げようと思っています。
結果「クライアントワークに戻りたいけど、誰も仕事くれない」って状況になっても、それはそれで自分でどうにかするしかないことなのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。